第百三十四話 帰り道、その途中
「…なあ朱音。急で悪いんだけど…ちょっと聞いてもいいか?」
「え、なぁに彰人君? いいよ、何でも聞いて?」
時刻は放課後。授業も終わって帰るだけとなった帰路の最中。
珍しく放課後に彰人から誘いを持ち掛けて朱音との二人きりで下校することになり、並んで歩いている折のことであった。
彼と二人で帰れていることが楽しいのか、それとも別の要因でそんな態度を取っているのかは不明だが…やけに上機嫌となっていた朱音に対して彰人は数時間前から抱えていた問いを投げかけた。
「いやまぁ、大したことでもないんだけどな? …ほら、今度球技大会があるだろ? 朱音はどの種目に参加するのかって気になってさ」
「あ、そのことなんだ。うーん……どうするかと聞かれるとちょっと悩んじゃうかな」
「そうなのか?」
彼が朱音を下校にまで誘って聞き出したかったことというのはこれであり、用件も突き詰めればそこに集約される。
クラスメイトが語っていた会話を聞き出して思い出した球技大会であるが、どちらかと言えば興味も湧かない彰人が唯一気になる点。
それは他でもない朱音の参加種目であり、是非ともここで知っておきたかった。
しかしその問いかけに対して返されてきたのは何とも要領を得ない回答であったが……どうしたというのだろうか?
「実は私もまだしっかり決めてないんだ。っていうのもね…私って運動が得意じゃないでしょ? だからやるスポーツによっては活躍なんてまず無理だし…チームの足を引っ張るだけだろうから、なるべく影響が少ないものにしようって考えてたんだ」
「あぁ……確かに朱音って運動は苦手だったもんな」
「うん。残念ながらね」
…だがそんな疑問も彼女から直々に教えられた事実を聞けば納得の解決であり、そういえばそのようなこともあったと彰人も遠い記憶が蘇ってくる。
かつて聞いた記憶と普段から接しておいてそうした素振りを見せないから忘れかけていたが、いつも見せてくるハイスペックぶりに対して朱音は本来運動神経が皆無な少女である。
…口にするとより物悲しくなってくるが、純然たる事実だ。
まるで勉強面の有利差との帳尻でも合わせるように、運動面に関してはポンコツという言葉がこれ以上なく似合ってしまう朱音の運動神経。
常日頃から眠気を堆積させているというハンディキャップがあることも相まって、彼女にスポーツでの優秀さを期待しろという方が土台無理な話であることは百も承知であった。
「バレーとかも候補にあったけど……私がやったら確実にボールを取り損ねるからね。わざわざ邪魔になる種目を取りに行くこともないよ」
「そんなもんか…」
「だから私がやるのは…やっても簡単なものかな。彰人君の方はどうするの?」
聞けば納得だし、口にする文句すら湧いてこない朱音の発言。
これを聞いたうえで反論するとなればそれは彼女に無理をしてでも動けと命令しているに等しいし、そこまでの無理を強いられるほど彰人は偉くもない。
だからこちらからはそれ以上のことを言わないし、聞きたかったことの大半も聞けたので話は終わろうとして…今度は向こうから質問がやってきた。
「ん、俺か? …俺も特に決め手はないんだよな。候補にあるのは…ドッジボールとかかな。楽だし」
「…ふふふ、せっかくの球技大会なのにまた地味なものを選んだんだね?」
「…仕方ないだろ。こういうので格好つけても派手な活躍なんて出来るわけないんだから」
彼女から飛んできたのは彰人が朱音に向けたのと全く同一のもの。
彰人がどの競技に参加するのかということを問うものであり、この流れの中にある質問としてはしてきて当然とすら言える類のものだっただろう。
…しかし、そこで格好のついた返答が出来ればよいのに素直に答えてしまうのが彰人の性格だ。
無理に格好つけようとせずにありのままの姿でいられるのは彼の美徳でもあるが、せめて朱音の前くらいなら…少しくらい格好をつけても良いというのに。
「私は彰人君が格好よく活躍してるところ、見てみたいんだけどなぁ……」
「…その言い方は卑怯じゃないか? まぁ…なるべく楽そうな種目の中で努力はするさ」
「……だったら、それを私も楽しみにしてるよ。期待してるね?」
「はいよ…プレッシャーが凄いな」
ただそれを本人に言ったところでどうこうなるわけもないことは朱音とて理解しているらしい。
わずかに呆れるような感情を見せながらではあったものの、そこは諦めてくれたようで次には悪戯めいたように薄く笑みを浮かべていた。
…そこから告げられたのは彼にとってこれ以上ないやる気を引き出すものであり、同時にとてつもないプレッシャーを感じさせるものでもあったが………。
口にした本人はそれを理解しているのかどうかも判別しづらい小悪魔にも似た雰囲気を醸し出しているので、その言い表しようもない魅力にも目が行ってしまいそうになる。
しかしこれは…否応にも全力を出さざるを得なくなってしまった。
今回の催し物が彰人の独壇場というわけでもない球技大会ということであれば別に程々の頑張りでも十分だろうと考えていたが、彼女直々のお願いともなればそういうわけにはいかなくなる。
もちろん朱音から直接的に頑張ってほしいと口にされたわけではないが、それでも…さっきの発言はそう言われたのとほぼ同義である。
そんなことを思いを寄せる相手から告げられてしまったとなれば、それまで考えていた面倒な思考などどこ吹く風。
種目にもよるだろうが、彰人も彼女に活躍する姿を見せるための努力をすることがほとんど確定事項として定められてしまう。
……無論、選ぶ種目を楽なものとすることに変化はないのだが。
そこはまた別の話なので一旦許してほしい。
「…でも球技大会が始まるのもまだ先だからな。十二月に入ってからだし余裕もあるか」
「私は寒い中で運動するの嫌いだから…あまり遅くやるのは好きじゃないんだけどね」
「……確かに。それはそうかも」
そうして各々の参加する種目を教えあいながら彼らは帰りの道を歩いていくが、そこで交わされるのは他愛もない内容ばかり。
…間にある雰囲気は内容に反して互いに全幅の信頼を置いていることが丸わかりのものであるため、傍から見れば甘さも多いのだが…幸か不幸か二人がそれに気が付くことは無い。
更にそれよりも前に、朱音の方からふと何かを思いついたかのようにリアクションが飛び出てくる。
「でもそうだね……今回の球技大会は結構楽しみかな?」
「そうなのか? 聞いた感じだと朱音が楽しめそうな要素が少ないと思うけど」
「運動するのは苦手だから、その認識は間違ってないよ。ただ私が言いたいのはそこじゃなくって…うーん、今はやっぱり秘密かな?」
「なんだそりゃ…教えてくれないのかよ」
自身で運動することを苦手としているはずの朱音が球技大会を楽しみだというので、何か期待しているイベントでもあるのかと思い尋ねてみるが…それは違うらしい。
ただ、その詳しい内容に関しては少し躊躇った素振りの後で結局教えてくれる様子もなかったので、きっと当日まで彰人が知れることは無いのだろう。
「彰人君には一番言えないことだからね。だけど…楽しみにしてくれたらいいよ。私も頑張るから」
「頑張る…? …駄目だ、何を企んでるのかさっぱり分からん…」
「ふふっ、今はそれでいいよ。…いずれ分かると思うからね」
…しかし、その直後に朱音が何かを企むようにして浮かべた笑みを見てしまえばそんな疑問すらも吹き飛びかねない魅力を目の当たりにしてしまう。
まるで彼に対して様々な情感を抱くその様は、言葉では表現しきれない艶やかさを醸し出していた。
意図がつかみ切れない朱音の言葉は気になりもしたが、どうせ追及したところで教えてもらえるようなものでもないので割り切ってこの場は諦めることとするのだった。
——この時の朱音の言葉の意味を彰人が理解するのは、球技大会本番となってからになる。
彰人も朱音も、運動を得手としているわけではないので本気で身が入っているわけではない感じですね。