第百三十三話 不用心な聞き耳
(…相変わらず外は寒そうだな。これから外に出る奴は大変だ)
無事に朱音の父である雄大との顔合わせも問題なく済ませることができ、改めて穏やかな日常へと戻ってくることができた彰人。
今の彼は窓から確認できる風景から吹き込んでいる北風を眺めながら、学校の数少ない休息時間でもある休み時間を過ごしている。
…そんな時に何となく見ていた窓の外に対して吹いている風の強さを確認し、今から外に出なければならないクラスはさぞや大変だろうと半ば他人事のように考えていた。
実際、彰人たちのクラスは今日体育の授業もないので他人事というのも間違ってはいないのだが。
そこはどうでもいい。重要なのはこの季節に伴って現れ始めた風の冷たさだ。
様々な行事を経てきたからか時が過ぎ去っていくのもあっという間に感じられるが、もう十一月も半ばを通り過ぎようとしている。
日々を堕落しながら過ごしてきた自覚もないのでこの時間経過の早さはひとえに一日一日の密度の濃さゆえか。
やることに対して得られるものがこの一年は特に多く、彰人からしても中々の濃度を秘めていた日々の中では時間など気にせずがむしゃらに行動してくるだけだった。
そんなことを繰り返していれば、そりゃあ時の流れだって気にしなくなる瞬間も出てくるだろう。
…時間を気にせずに行動してきた反動がやってきてしまったのか、今ばかりはやたらと遅く感じる時の中で一人退屈な状況下にいるわけだが。
周辺を見渡してみてもクラスメイトは誰かしらと会話を重ね、その会話内容がそこかしこから耳に入ってくるために盛り上がりには事欠かない。
誰とも話さず、なおかつ一人で過ごしているなんてこの教室内ではそれこそ彰人だけのもので……いや、正確には彰人だけというわけではないか。
よくよく見てみれば彼のいる位置から少し離れた場所で眠っている一人の少女、朱音の姿があり、彼女もまた誰かと過ごすわけではなく自分一人の時間を満喫していると言えるだろう。
まぁ彼女の場合はああして過ごすのがほとんど平常運転なのでクラスメイトも特に触れることなく、朱音がゆっくりと休める場を形成しているのだろう。
…もしも彼女が起きていたら話しかけようかとも思ったが、無理に起こしてしまうのは流石に可哀そうだ。
こっちの都合で朱音ばかり振り回してしまうのはまた違うだろうし、今回はこちらも一人で時間を潰すとしよう。
(でもな…そう決めても別にやることがないし、暇つぶしの道具もないんだよな)
ただ一人で過ごすと決めたところで、退屈な状況であることに変わりはない。
今この場に優奈や航生といった友人たちがタイミング悪くいないことも退屈さに拍車をかけてしまっており、勉強に手を付けようにも復習する範囲は粗方片付けてしまっている。
…まさしく八方塞がりという言葉が似合う現状であり、彼にできることと言えば次の授業が始まるのを大人しく待っておく程度のことである。
仕方ないので暇つぶしも兼ねた外の風景観察を続けることとして、この場は凌ぐこととしておいた。
と……そんなことを考えながら過ごしていた彰人の耳に、ふと飛び込んでくるクラスメイトの会話が一つ。
「……でさ、お前結局どの種目に参加するのか決まったのか?」
「いやー…まだ迷ってるところだわ。けどせっかくなら女子に注目してもらえるやつ一択だな!」
「分かる分かる。ぶっちゃけ俺も球技大会は迷ってるんだが……やっぱここはバスケとかにしとくか!」
「おう! 俺と一緒に、この機に青春謳歌してやろうぜ!」
何やらバカ騒ぎをしていたらしい男子二人組があまりにも大きな声量で騒いでいたので、否応にもその会話はこちらの耳に届いてくる。
そこで聞こえてきたものであったが、何やら彼らが話しているのは……これから行われる行事についてであったらしい。
(……あぁ、そういえばもうすぐで球技大会があるんだっけか。すっかり忘れてた)
言われてみればそのようなイベントがまた今度にあるのだという話を彰人もどこかで小耳に挟んでいた覚えがある。
学校側の意図としてはこの寒い時期だからこそあえて大きく身体を動かせるような催し物を作り、生徒の健康的な身体作りを促進しようとする狙いがあるだろうこのイベント。
…もちろん運動をしたくない生徒からしてみれば歓迎すべきものでもないのだろうが、彰人の考えでは正直どちらでもいいといった感じだ。
(球技大会かぁ……やる気があるかどうかで言ったら微妙なところなんだよな。別に運動が得意ってわけでもないし…)
彰人の通う高校にて開催される予定の球技大会というのは、基本的に他の学校で行われるものとそう形式は大差ない。
男女ごとに分かれていくつかある球技種目から各々参加するものを選択し、そこで決めたチームと試合を行うといった流れ。
根本的にはオーソドックスなものとそう変わりはない。
ただそれでも、彰人もこのイベントを歓迎しているかどうかと聞かれればまた絶妙なものである。
元来アウトドアよりもインドア派として生活をしてきた彼にとっては運動というのは日々の中で最低限こなすものでこそあれど、メインとしてこなすようなものではない。
こういうのは学校の中でも運動部に所属している生徒が主戦場とするものだと彰人は思っているので、文化部、もとい帰宅部である彰人にとっては参加の義務こそ果たすが全力で頑張ろうという気概までは起こらなかった。
(ま、今回も程々に頑張ってチームに貢献するとしよう……航生辺りはやる気を出すかもだけど、そっちはそっちに任せればいいし)
結局最終的に行き着く結論はいつもと変わらず、せいぜいがチーム全体の足を引っ張らないようにすることを努めるというもの。
いくらやる気が湧かないからと言って集団の和を乱すほど性根がひん曲がってはいないつもりなので、今回もその例に漏れずいつものスタンスでいくだけである。
「——けどさー! せっかくの晴れ舞台だろ? …この機会だし、俺たちに気がありそうな女子とのワンチャンを狙ってみるっていうのも悪くないよな!」
「えー……そんな相手いるのかよ、お前」
「いるに決まってんだろ! …今に見てろよ。俺はこの球技大会で男としてのステップアップをしてみせる!」
「まぁせいぜい頑張れや……」
…だが、そこでまたもや耳に飛び込んできた騒がしき会話模様。
さっきから聞き耳を立てずとも勝手に聞こえてくる騒々しさが彰人の意識にも侵入してくるが、そこで得られた会話内容は……今の彼でも興味を引かれるものであった。
(…男としてのステップアップ、か。そりゃそうだよな……こういうイベントだし、女子との距離を縮めようってやつもいるに決まってるか)
周囲に響く声量で会話を重ねているクラスメイトも意図して広めているわけではないのだろうが、その声の響き方ゆえにこちらにも不可抗力として内容は耳に入る。
…同級生の一人が口にしていた、女子との距離感を縮めようと画策する者だって彼以外にも数多くいるはずだ。
当然、彰人が近づこうとしている彼女を目当てにする者も……いないと思うのは楽観的に過ぎるというもの。
(……俺も、後で朱音と少し話してみるか。あいつも何か考えてるかもしれないし…)
いつか朱音に想いを伝えるとスタンスを決めた以上、停滞している現状に甘んじているのは良い傾向とは言い難い。
それがどんな結末を迎えるにせよ、この行事をきっかけとして何が変わるかも分からないが…どんな小さなことでも行動は起こしてみるべきだ。
そう考えたがゆえに、彰人もまずは小さな一歩からだとこの後に朱音と話す予定を定めておいた。
どうなるかは何もかもが不明であっても、全ては彼女と話してからだ。




