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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第三章

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第百二十話 幕引き


 その後、朱音とは少しの間会話を楽しんでいたがしばらくすれば解散することとなった。

 流石にあの場で長時間留まり続けていれば徐々に起きてくる者達に見つかっていたかもしれないし、こんな朝早くから仲睦まじく話す姿を見られれば……何を言われるかも分からないので妥当な判断だっただろう。


 いずれにせよ、各々の部屋に戻ってからはまだ眠っていたらしい航生たちの姿を横目にしつつ彰人も時間を潰し……彼らが起きてきてからは宿の朝食を食べたり、束の間の休息を満喫したりとゆっくりとした時間を過ごせたと言える。

 そして今、彰人たちが何をしているかというと………。


「もう終わりなのかよー……まだあと二、三日くらいは泊まっていこうぜ…」

「……気持ちは分かるが諦めろ。そんなことやってたらバスに乗り遅れるぞ」

「だってよー……」


 …荷物をまとめている鞄に項垂れかかりながら、もう終わってしまうこの行事を悔やむような様子を見せる航生にツッコミを入れながらも帰りのバスへと乗り込む直前である。

 周りを見渡せば少なからず航生ほどとまではいかないものの、似たようなリアクションを取っている者もいるし彰人もそういう心境がないと言ってしまえば嘘になるので理解できないわけではない。


 ただ、そのようなことを言ったところで時間が巻き戻るわけでもないのだから、さっさとこのイベントが終了する事実を飲み込んだ上で帰宅の準備を整えた方がいい。

 なので先ほどからそのように言ってやっているのだが……まともに聞く様子が見られないので進言も無駄に終わるかもしれない。


「なーにー航生? さっきから何我儘言ってるのー?」

「優奈ー…聞いてくれよ。俺が泊まりの思い出に浸ってるっていうのに、彰人が冷たいことばっか言ってくるんだよ……」

「え、そうなの? …ちょっと彰人、うちの航生に何酷いことしてくれてるのさ!」

「……何で俺が責められてるんだ。別にそんなことも言ってないし、ただ切り替えて帰りの用意しろって言っただけだろ」

「それが冷たいんだよ! くっそー! …俺の気持ちなんて分かってくれる奴はいないんだ…!」


 そうすると賑やかさを増していた彼らの会話を嗅ぎつけてきたのか、この場に航生の愛しい恋人でもある優奈が参戦してきた。

 彼女は航生の言い分を聞くや否や、向こうの意見を信じ切って彰人の方を責めてきたが…それは勘違いも良いところである。


 前提として彰人は別に冷たいことなど言っておらず、単に帰るための準備をしておけと言っただけのこと。

 悔し気に捨て台詞を吐く友の言い分も分からないではないが……だからと言って、そちらの意見を鵜呑みにされても困る。


「航生……可哀そうに…彰人! これに懲りたらあんまり航生を虐めたりしたら駄目だからね!」

「…この構図だと、どっちかと言うと俺の方が虐められてる感じなんだが……言っても無駄か…」


 気分を落ち込ませてしまったパートナーを慰めようとする優奈の行動は場を選びさえすればとても褒められたものとして映ったのだろうが、あいにく立場が立場なので彰人は溜め息をつくばかりであった。

 …眼前の二人が自分たちだけの世界を作るのはもはや見慣れたことであっても、流石にそれで自分が悪役に仕立て上げられるのは勘弁してほしいところだ。


 忠告したところで無意味なことも十二分に理解してしまっているので、強くは言わないが…彼らに対して呆れの感情が湧き上がってきたことも事実である。


 というより、次第に彰人のことなど気にすることなく衆目の下でいちゃつき始めた航生と優奈の姿を見ていれば言葉を掛けることすら躊躇われる。

 時と場合を考えて行動しろというツッコミは…今更どころか、こうなったら他者の言葉など聞く相手ではないので放置しておくに限る。


 それに伴い、周囲は二人の甘い空気に当てられてどこか砂糖を吐きそうな気配を漂わせていたが……そこに関しては彰人も全く関係ないので、当事者に何とかしてもらうしかない。

 ……周りにいた同学年のやつらから、『仲が良いんだからお前が何とかしてくれ』という類の視線を向けられていることなど彰人の勘違いでしかない……はずだ。


(こうなったらあいつらも止まらないだろうしな…ま、放置しておけばいつも通りに戻ってるだろうし問題もないか。周りの視線は……うん。気にしないようにしよう)


 いくら自分に向けられる感情に鈍感な彰人といえども、これだけの目を寄せられれば嫌でも意識は向けられる。

 …周囲が自分に期待していることとして、場所を弁えずに仲睦まじくやり取りを重ねるカップルの暴走を止めてほしいという類の意思であることは察せられたが…そんなことを願われても無理なものは無理である。


 実現できるはずもない希望を抱かせてしまっても周りには余計な被害しか生まないことは目に見えているため、こういう時はそれらしい挙動は見せずに静かにフェードアウトしていくのが最適解だ。

 そしてそこまで考えた辺りで……ふと()()()()に彼の目は向けられる。


「…? あそこにいるのって……朱音、だよな。何してるんだ?」


 彰人の現在位置からは少し距離があったものの、その程度で彼女を見過ごすことなど無いとでも言わんばかりに…彼はそれまで存在が確認できなかった朱音の姿を認識した。

 ここから見た限りではどこかの誰かと会話をしているというわけでもなく、かといって何かに取り組んでいるという感じでもなさそうだ。


 ただひたすらに、宿の建物付近に腰掛けながらどこともつかない方角をぼーっと見つめる朱音の様子からは…退屈そうだ、なんて印象が感じ取れる程度である。

 実際もう少しで帰宅するというタイミングでは今から部屋に戻ってもやることが無いのだろうし、荷物も粗方しまい終えてしまったのだろう。


 身軽な恰好をしたところを見るに、そんなことも推察できるため…ほとんど間違ってもいないと思う。


「…朱音も大変だよな。ああやって座ってるだけで注目されまくってるし…」


 しかし、そんな彼女の周囲は当人の挙動に反して軽い人だかりが形成されている。

 …特に朱音に対して何かを仕掛けようという感じでもないようだが、あれだけの人の群れの中心にいてなお衰えることがない彼女の容姿やスタイルに……自然と目を惹かれた連中が集まってきた、という流れか。


 …もちろん、こうして彼女に抱く好意を自覚した彰人もその現状に何も思わないわけではない。

 これまでは当たり前の事実であったから特に深くも捉えていなかったが、朱音は言うまでもなく圧倒的な人気を誇る美少女であり…それ即ち、競争率も格段に高いということと同義だ。


 今現在の距離感や間柄を考慮すれば、彰人が彼女と最も仲が良いということも疑いようのない事実であることは確かなのだが…それが今後の進展に直結するわけでも無い。

 それどころか人の感情なんてものは些細なきっかけさえあれば簡単に移り変わってゆくものであるし、考えたくはないが彼女が別の者を選ぶことだって十分にあり得るのだ。


(そんなことばかり考えてたって、仕方ないってのは理解してるんだがな……まぁ、俺は一歩ずつだ。焦ってばかりでも良い結果になんて……?)


 …しかし、そこで結果ばかりを求めて歩みを早めるのは悪手であることも彰人はよく理解している。

 彼女のことを……朱音のことを愛しく思っているからこそ、焦って雑な手段を選んでしまえば良い結果になど繋がるわけもない。

 そうしてしまえば後悔するのは、他ならぬ彰人自身なのだからこそここでは冷静に立ち振る舞うことが重要だ。


 ……と、そんなことを考えながら何となく朱音のいる方向を見つめていると彼女もこちらの存在に気が付いたのか、ハッとしたように目を向けてきた。

 すると朱音は彰人の方に視線を向けると、蕩けるようにはにかんだ笑みを浮かべて…小さく手を振ってくる。


(……っ!)


 今までにも何度か似たような仕草を見たことはあったが、それでも…今の想いを自覚した彰人にとって、その何気ない素振りは絶大な威力を秘めている動作に等しい。

 他でもない彼女の魅力が何倍にも見えてしまうからこそ…そんなさりげない動きさえも心臓を大きく掻き乱す魅力へと早変わりしてしまう始末だった。


(…あとで、周りに人がいる中でそういうことするなって言わないと駄目だな……でないと今度は何をするか分からないし…)


 …ドクドクとうるさいくらいに高鳴る己の心臓を意図的に無視しながら、彰人も彼女に小さく苦笑することで返事をして……内心では朱音への忠告をすることを今後の予定に加えておいた。

 今回はまだ周囲に人がいる中でも小さな身振りだったために気が付かれはしなかったが、これが大きく注目を集めるようなことであったら…周囲からどのようなことを言われるか分かったものではない。


 朱音がこちらにアピールをしてくれるのが嬉しいことは誤魔化しようもない事実ではあるが、だとしても限度というものを教えておくのは大切だ。

 …仮に限度を振り切ってしまえば、航生と優奈の二の舞になりかねないので…自分だけはあのようなことにならないようにしようと固く心に誓う。


 なお、その誓いは現時点でほとんど無意味であることは言ってはいけない。



 …その後、指定に時間に近づくにつれてバスへと乗り込んでいく同級生の後に続きながら彰人も荷物をしまい込んで乗車した。

 相変わらず不満を口にする航生の愚痴を聞きながらではあったものの……それ以外には特に問題もなく、様々なことがあった宿泊研修は幕を閉じていく。


 幕を閉じる。終わりが近づく。

 そんな言葉に昨日まではやるせない感情を抱えていた彰人の内心は……不思議と、ひどく晴れやかなものとなっていることを自覚しながら。


 自身が得たものを自覚した彼の情感は…一人の少女へ向けられていたのだった。


…はい。ここで第三章は終了となります!


宿泊研修というイベントを舞台にして多くの出来事を経てきたこの章でしたが、途中はちょっと湿っぽくなりつつも最終的に彰人も自分の想いに気が付けました。


そんな彼らの間で変わりゆく関係性。

次から始まる第四章ではそこにがっつり触れていきますので、甘さを期待している方はお楽しみに!

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