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第百十五話 明かす感情


「朱音……何でここに」

「何でって言われても……だって、()()してたでしょ? ここで会うって…」

「あ、あぁ…そうだったな。悪い、すっかり頭から抜け落ちてた…」


 突如として姿を現した旅館の浴衣を身に纏った朱音の登場に彰人も一瞬混乱しかけたが、その実何てことはない。

 彼女がここにやってきたのは運命でも偶然の産物でも何でもなく、ただシンプルに前もって交わしていた約束ゆえのことだ。


 あの時、旅館の広間にて朱音と雑談に花を咲かせていた時のこと。

 朱音から耳打ちをされた際に話された内容は、今この時に大きく関係していることでもあり……彼女から伝えられた言葉の要点をまとめてしまうと、『お風呂の後に階段近くで少し話したい』というものだったのだ。


 彰人としても朱音の頼みという事であれば断る理由など無いし、直接部屋に向かうのではなく場所を決めて落ち合うというのであれば禁止されたルールにも抵触することは無い。

 なのでその時は特に深く考えることも無く、その場で了承の返事をしたのだが……そこから先に起こった出来事のインパクトのせいで一時的に失念してしまっていた。


 元々ここを訪れたのが朱音との約束もあるので先に待機しておこうという思考も少なからずあったからなのだが、その間に巻き起こった感傷のせいでそちらに意識が向いていなかった。

 …だとしても彼女の方から声を掛けてくるまで気が付くことも無かったというのは思考に耽りすぎだが、それも状況を顧みれば致し方ない。


 たとえ自分が悪いのだとしても…今日一日を振り返って、自身の本心に気が付いてしまったこと。

 そこに付随して湧き上がってきた寂しさという情けない感情に気を取られ、朱音との約束を忘れていたのは…こちらの落ち度でもある。


「まぁ彰人君がいたから良かったけど……本当に、何かあったの?」

「……いや、何でもないんだ。ちょっと外の風景を見てただけだからさ」


 しかし、そこで事実を口にするわけにはいかない。

 もしここで彰人が己の内に出てきた本心を伝えなどすれば、間違いなく朱音はこちらを心配する。その確信がある。


 …だがこれは、朱音には関係もない彰人個人の問題でしかないのだ。

 だからここでは彼女に無用な不安を抱かせないためにも、何もおかしなことなど無かったのだと伝えておく。

 それが事実とは乖離したことなのだとしても……きっと、そうするのが一番良いことなのだろうから。


 …ただし、それが朱音に通用するかと問われればまた別の話。

 万が一にも気づかれないようにと細心の注意を払いながら述べた言葉には、一片の不審感すらなかったはずだというのに……まるでその程度の違和感はお見通しだと言わんばかりに、彼女は目ざとく彰人の異変を見つけてくる。


「…なるほどね。じゃあそんな()はいいから、本当のことを教えて?」

「………え?」


 …絶対に見破られないだろうと思っていたからこそ、心から驚かされることになった朱音の一言。

 口元にはわずかな笑みを携えながらサラリと述べられた言葉に込められた感情は、こちらの嘘など一切通用しないことを暗に示しており……そして、彰人のことを案じるようにいつの間にかすぐ目の前までやってきていた。


「な、何で嘘だなんて……」

「…分かるよ、そんなこと。だって彰人君…どう見たって辛そうな顔してるんだもん。それで何も無いって言われたって絶対何かあったことは伝わるし、心配になっちゃうのは当然だよ」


 誰の目から見ても分かるはずなど無いと、そう思っていた感情の偽装は……彼女一人にだけは通用しない。

 誰よりも彰人の隣に立ち、誰よりも彼のことを見つめ続け、そして……彰人のことを心から案じている朱音だからこそ、彼の上辺だけの誤魔化しなどお見通しだったのだ。


 …これ以上嘘を重ねたところで、朱音にはあっさりと見破られるだけだろう。

 だというのなら……いっそここで、抱えていた本心を明かした方がいいのかもしれない。


 彼女に対してさらに嘘をつきたくないという気持ちがあったことも理由の一つではあるが、何よりも……朱音であれば、この独りよがりな話さえも聞いてくれるかもしれない。

 たとえ、その話を聞かれたことで彼女に幻滅されたとしても…それは受け入れる。


 …悲しくはあるが、こんな情けない内情を聞かされれば向こうも少なからず思うところだって出てくるはずだ。

 その結果として朱音が自分から離れていくのであれば、原因は彰人の側にあるのだから引き留める権利はない。


 普段ならこんなことは思わないだろう。

 …それでも、今は誰かに話を聞いて欲しいという思いが彰人の中にあったからこそ…不思議と、自分の弱みを誰かに知られてもいいと思えたのだ。

 相手が彼女であれば、なおさら。


「ねぇ、彰人君。もちろん無理になんて言わないけど…何があったのか教えてくれない? 助けになれるかどうかは分からないし、私が力になってあげる、なんて偉そうなことは言えないけど……でもね、黙って見ているだけなのは嫌だから。少しでも辛いことがあったなら相談してくれた方が嬉しいんだ」

「……分かった。だったら情けないけど…頼ってもいいか?」

「うん、もちろん」


 いつものように彰人の隣に立ちながら、いつもと同じ声色で話しかけてくる朱音の表情は……今までに見たことも無いほどに、優しい笑みを浮かべていて。

 それでいながら…こちらの身を気遣うように、深い慈しみの情を抱えている。


 どこまでいこうと彼女のスタンスは変わらず、ここに来ても余計な動揺は全く見せていない。

 そんな彼女だからこそ、彰人はつい寄りかかりたくなってしまうのだ。


 …こんなことが正しいとは思わない。ただの独りよがりの自分中心的な考えだ。

 そうなのだとしても…今の彰人には、もう相談することを止める意思もなかった。


 全てを話して、全てを明かして、失望されてしまうのであればそこまでだ。

 未練たらしく追いかけるような真似は…しないし、したくない。


「…何て言えばいいんだろうな。自分で自分が何を考えてるのかを説明すればいいのか、ごちゃごちゃしてて口にするのも難しいけど…」

「ゆっくりでいいよ。…私も時間はたくさんあるし、焦って話しても良いことなんて無いからね」

「助かる……けど、時間をかけすぎてたら引き延ばした分だけ話しにくくなりそうだし、一思いに言うよ」

「……うん」


 彼女に本心を伝える覚悟も彰人なりに固めた。

 …それでも、やはりと言うべきか……自分の本音を打ち明ける勇気が今一つ出せなくて。


 ここぞという場面であるはずのこの瞬間ですら、二の足を踏んでしまっている自身の臆病さが嫌になってくるが、そんな時でさえ朱音が与えてくれる言葉は優しさに満ちている。

 きっと彼女は、ここで言葉を止めてしまったとしても笑って許してくれるだろう。


 彰人が言いたくないのならそれでも構わないと、どこまでいっても彼の都合を最優先にするだろう少女は……こちらに無理をさせる選択肢など取ることも無い。


 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 本心を告げることに躊躇しているだけならばともかくとして、そこまでいってしまえばもうそれは朱音の優しさに甘えているだけだ。

 …自分の中で覚悟を決めたなんて言っておきながら、結局彼女の支えに助けられるだけの臆病者となってしまう。


 流石にそれは認められないし、許されることではない。

 ここで話すと決めた。伝えると誓った。

 だったら今……彼女にしっかりと向き合って、話を聞いてもらう事だけは全うしなければならない。


「何て言うのかな……多分朱音からすればどうでも良いことだろうし、周りに言ったら笑われることなんだろうけど…俺はさ、ずっと寂しかったんだ」


 だから、彰人は話し始める。

 今この場で気が付いてしまった、己の根本にあった感情を。


 その芯にあった──自覚した本質の思いを。


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