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第百十話 雑談スペースにて


「……っと、なんか話してたら喉乾いてきたな…少し外に飲み物買ってくるよ。三人はここで待っててくれ」

「あいよー! …黒峰も、もう少しで風呂の順番が回ってくるはずだからそれには遅れるなよな!!」

「一応時間が近づいたら僕の方から連絡はするからさ。あんまり慌てなくても良いからね」

「助かるよ。じゃ、行ってくる」


 自分たちの部屋にて荷物も一通りまとめ終わり、やることが無くなったのでだらだらのんびりと生産性もない会話にシフトしていたこの部屋の四人であったが…それも時間が経てば状況は変わってくる。

 今もふとした瞬間から自身の喉の渇きに気が付いた彰人がゆっくりと立ち上がり、何か飲むためのものを買うために部屋から出て行こうとする。


 すると背後から同室メンバーの健二と大悟から声を掛けられ、あまり長時間の外出はしないようにと忠告を受けた。

 …元よりそこまで長く外に出るつもりもないので軽く受け止めながら扉を開けて廊下へ移動していく。


 見た感じ、ちらほらと宿のあちこちに生徒の姿が確認できるので風呂に入浴するまでの自由時間は各自好きなように過ごしているという事なのだろう。

 そこは特に気にかけることでもないし、むしろここに宿泊するという非日常的な空気な中にいるとなれば否応にでもテンションが高まっていくのは自然なことだ。


 彰人もそれは例外ではないし、表にこそ出していないが胸の内ではこの新鮮な空気感を楽しんでいる。

 …この事実を知られれば調子づいた航生にどこかに連れ出されることが目に見えているためそれは避けておいたが、やはりこういった時間は嫌いではない。


 性格的にはインドア派である彰人も、決して外出を嫌っているわけではないのでその点を楽しめるくらいの心の余裕はあるのだ。


「自販機は…あそこか。どれにするかな…」


 と、そこまで考えながら歩いてきた辺りで視界の端にも飲料が置かれている自動販売機が見えてきた。

 もしかすれば、こういった場には自販機などないのではないかという不安もわずかながらあったのだが……ここはそんなことも無さそうで安心である。


 場合によっては外に出て探しに行くことも吝かではなかったのだが、流石にそこまで出てしまえば時間内に戻ってこれるかは微妙なのでやめておいた方がいいだろう。

 そんなことより今は何を買うかを吟味する時だ。


「…そこまで悩む必要も無いか。適当に選んでおけばいいだろ」


 ただ、ここで悩んでばかりいても時間を浪費していくだけなので彰人も長考することは無く判断は即決した。

 硬貨を投入口に放り込んで選択したボタンは一般的な缶コーヒーのものであり、時期的にも温かいものが揃えられていたのでそちらを選ばせてもらった。


 最初は甘めのジュースでも飲んで口当たりをさっぱりさせようかとも考えていたが、よく考えれば入浴を済ませた後にはここで夕食を食べるのだから長く後味が残りそうなジュースはあまりよろしくない。

 そんな考えもあって取り出し口に落ちてきたコーヒーを空けて飲んでみるが…中々に良い。


 口当たりからして芳醇な香りを漂わせるこれは程よい苦みだけでなく、そこに加えてスッキリとした風味を感じさせてくる。

 注がれる熱とも相まって思わずホッとさせられるこのコーヒーは、選んだ瞬間にはそれほど期待もしていなかったがこう振り返ってみると当たりだったかもしれない。


 個人的にコーヒーが嫌いではない……というかむしろ好きよりでもある彰人にとっても満足と言える味わいであり、今後買う機会があればリピーターになることも考慮するに値する。

 一人でそのようなことを考えながら、意識せぬうちに上げていた口角を自覚すれば…そこで不意に声を掛けられた。


「…あれ、彰人君。こんなところで会うなんて偶然だね……」

「ん…何だ朱音か。そっちこそどうしたんだよ、ここまで来るなんて」


 近くにあった柱にもたれかかりながら何の気なしに周囲をぼーっと見つめていた彰人に気配を感じさせることなく近寄ってきたのは瞼を重く揺らした朱音だ。

 …この半日の間に激務が重なった身ではどうも眠気が限界に近づいてきているようで、彰人に声を掛けてきたのもほとんど無意識の領域だったらしい。


 その証拠に、小さくではありつつも身体をゆらゆらと揺れ動かしているので眠いというのが一目瞭然だ。


「さっきまではお部屋で休んでたんだけどね……眠ろうとしたら同じ部屋の子が凄く話しかけてきて…それ自体は嬉しいんだけど、全然眠れなかったから……」

「……あぁ、なるほどな。それは確かに休まらないな」


 しかしそれならば尚更、何故こんな状態の彼女がここにいるのかという話になってくる。

 彰人もはっきりと記憶しているわけではないので断言はできないが、男子と女子で風呂の入浴時間は変わらなかったはずだ。


 逆に言えばそれまでの時間は完全に生徒の自由に過ごすことが出来るため、朱音ならばその時間を眠って過ごすだろうと予想していたのだが……聞いた限りの話だと、どうやら部屋にて色々とあったらしい。


 彰人達男子が利用しているのは宿の二階。対して女子が使っているのが三階でひとまとめにされているので気が付かなかったが……端的に言ってしまえば、朱音もマスコットとして可愛がられたのだろう。

 それはもう、存分に。


 同学年でも圧倒的な有名人にして美少女である朱音と話す機会などそうそうあるわけでも無いので、彼女と同室になったメンバーはそれはもう盛り上がったに違いない。

 …これに関しては、そんな彼女たちを責めることなど出来やしない。


 彰人と同学年の者であれば誰であっても似たような状況になれば舞い上がるものだろうし、単に巡り合わせとタイミングが悪かったというだけの話だ。

 向こうも同じクラスの女子ではあるのだから彼女の体質は理解していると思うし、本当に限界が近づいた時には解放してくれることだろう。


「だからこうやって少しお外に出てきたんだけど…やっぱり眠気が収まらなくって…」

「それはキツイな…ここじゃ眠れる場所なんてないし、そもそもが雑談スペースみたいなものだし……あ、そうだ」


 朱音が相当に眠気を感じているのは会話を交わしている様子からもよく伝わってくるので力にはなってやりたいが、彰人が手を貸してやれるようなことは特段ない。

 この窮地を解決できる手段が残されているとすればそれは、彼女が落ち着いて睡眠を取れる場所まで連れていくか何か眠気が晴れるような手段を持ってくることの二択。


 だが、そんな都合の良い場所や物がそこらに転がっているわけもない……そう思っていた時。

 彰人は今しがた自分が握りしめていた()の存在を思い出した。


「朱音、良かったらコーヒー飲むか? カフェインでも摂取すれば少しは眠気も覚めるかもしれないぞ。飲みかけで悪いけど」

「ん……? こーひー? …だったら、一口だけもらってもいいかな?」

「ああ。ほら」


 よくよく考えてみれば、彰人が手に持っているコーヒーは眠気覚ましの代表格とも言える飲料だ。

 そこに含まれるカフェインを取り入れれば朱音の眠気を晴らしてやれるかもしれないし、活用しない手はない。


 なので缶コーヒーを見せながら朱音にも飲むかどうかを尋ねてみれば、少し考えるような素振りを見せた後に頷いてくれたのでサラッと手渡す。

 朱音の方も特に大きな反応を見せることなく両手で缶を持ち、小さく喉を鳴らしながらこくこくとコーヒーを摂取し始めた。


「……苦いね。当たり前のことなんだろうけど…」

「そりゃコーヒーだからな。少しは目も覚めたか?」

「…うん。まだ少し眠気もあるけど…さっきよりはスッキリした感じがするよ」


 そうすると一口分飲み終えた朱音が少し渋い顔をして苦いと口にしていたが、それはそうだ。

 その苦さこそがコーヒーの売りであり、最大の魅力なのだからそこを外してしまえば晴れる眠気も晴れない。


 しかし彼女もコーヒーが特に苦手だといった感じではなく単に味の感想として述べただけといった様子だったので、飲み干す分にも問題はなさそうだ。


「じゃあ彰人君……これ、ありがとうね。おかげさまで少し頭も冴えてきたよ」

「はいよ。……ん?」


 先ほどの宣言通り、一口だけ飲み終えた朱音が薄く笑みを浮かべて缶を律儀に返してくれたので、彰人もそれを大人しく受け取ろうとする。

 …が、そこで彼も重要な事実と己の失態に気が付いてしまった。


(…やっちまった……特に意識せずにしてたから違和感も無かったけど…何で朱音に間接キスを促すような真似してるんだよ…)


 朱音から缶を受け取る直前になって硬直した彰人の脳内では、ほとんど無意識に行ってしまっていた間接キスについての思考が巡っている。

 …向こうが特にリアクションも見せなかったということも関係はしているが、だとしても彼女に対して違和感なくしていたことを思い返していけば内心で羞恥に襲われそうになる。


 そんな彰人が胸の内で己の行動を反省しているなど知る由もない朱音は不思議そうに首を傾げていたが、気づいてしまった以上もう朱音の手にある缶は受け取れない。


「…朱音、そのコーヒーやるよ。もう残りも少ないだろうから飲んじゃっていいぞ」

「え? でもこれ、彰人君が自分で買ったものなんでしょ?」

「俺はもう満足するまで飲んだからさ。気にせずに眠気覚ましにでも使ってくれ」

「…そう言うなら、じゃあ……」


 唐突に手に持っていた飲料の所有権が自分に移ってきたことに朱音は驚いたような表情を見せていたが、彰人が撤回するつもりはないと理解すると諦めて受け取ってくれた。

 …半ば押し付けるような形になってしまったが、これはもう仕方がない。


 朱音との間接キスになると分かっていながら知らん顔をして受け取ることなど今の彰人には出来るわけもないので、これが今の最善手なのだ。


 未だに不思議そうにコーヒーを飲んでいる朱音の姿を横目にしながら、彰人は自身の迂闊さに対して溜め息をついた。

 内心、これからはもっと距離感に気を付けようなどと無意味な誓いを立てつつ。


もう手遅れなくらい距離感近いだろとか言ってはいけない。

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