第百四話 退屈な時間
(…結構地味な作業だな。退屈というか…やることが無いというか…)
…彰人たちが本日のメインイベントの一つでもあるカレー作りをスタートさせ、各々の役割分担に従って調理を進めることになってから十数分後。
目の前にてパチパチという音を立てながら確かな熱気を伝えてくる炎が揺らぐのを眺めている彰人は……することがない現状に考えを巡らせていた。
今の彼が行っているのはカレーの重要な要素の一つでもある米炊きであり、用意されていた飯盒を用いて炊き上げている真っ最中である。
時折下の薪を追加しながら火加減を調節し、万が一にも焦がしてはいけないので先ほどから炊き上がり具合を見張っているのだが…如何せん、暇である。
一応見張りという役割があるので何もしていないというわけではないが、だとしてもそれ以外に出来ることがあるわけでも無いのでとにかく退屈なのだ。
…だが、それ以外に彰人がこの状況下で米の見張り以外を行うという選択肢もありえない。
もはや周知の事実であるが彰人は料理が壊滅的であり、ごくごく簡単なものを除けば全くこなせない。
そんな彼が料理の細かい工程など触れられるわけもなく、関わったが最後悲惨な結末になるのは目に見えているのでせめて見張っているだけでもいい米炊きの役割にと志願したのだ。
したはいいのだが……やはり、頭までは分かっていても今感じている空虚さは消えてくれるものではない。
周りを見れば彰人が予想していた通り、時間が経つにつれてここにやってくる生徒の数も増してきたので今となってはかなりの人数がここで溢れかえっている。
少し耳を澄ませばそこら中から男子女子問わず、溢れかえるほどの話し声が聞こえてくるのでそういう意味では退屈もしないが…根本的な問題が解決するわけではない。
(…確か、吹きこぼしてきたら火を強めるんだよな。で、その後は蒸らして完成と)
仕方ないのでこれから自分が行う手順をもう一度頭の中で繰り返してみるが、それだって幾度となく確認してきたことなので今更でもある。
もう思考に染みついてきたとすら思えるほどに、意識せずとも思い出せる調理の手順。
…あと数分もすればその作業を実行する時も訪れるだろうと思いながら、仕方なく頬杖をつきながら彰人はその瞬間を待ち続けることとしたのだった。
「…お、ようやく落ち着いてきたな。ここまで長かった…」
長らく見守り続けていた飯盒が吹き出してきたのでそのタイミングで火の勢いを弱め、さらにもう少しの時間を待っていれば次第に飯盒の窯からは微かに焦げのような匂いが漂ってきたので火から外した。
ようやく見守りからも解放されることと同時に、問題なく米を炊くことも出来たと思われるので安堵の息を吐いてしまうくらいだ。
まだ確認が出来ていないので断定するには早いが、あとは数分蒸らしてしまえばいいだけなので先刻よりは余程気が楽である。
…もうここに留まっていてもやることは済ませているので、一旦他のメンバーがいるところにまで戻ってもいい頃合いか。
そう考え、彰人は自分が見張っていた飯盒を注意しながら抱え上げると別の場所へと移動していく。
「あっ、彰人が戻って来たよ。もうお米は出来たのー?」
「あと少し蒸らしたら完成だ……っと、そっちも順調みたいだな。朱音は…怪我とかしてないよな?」
「…そんなに心配しないでもいいのに。こっちは大丈夫だから、ほら。怪我なんてしてないでしょ?」
「…まぁ、朱音なら心配いらないとは思ってたけどさ。やっぱりこういうのは確認しておかないと不安なんだよ」
「彰人君も心配性だよねぇ…」
彰人が自分の班に振り分けられた机の付近へと戻って行けば、そこでは朱音と優奈の二人組がエプロンと頭には布を巻いて調理に取り組んでいる最中だった。
その机上に先ほどまで加熱し続けていた飯盒を置いて蒸らしておき、ふと彼女らの作業風景を見てみればどうやらそちらも完成間近だったようだ。
火にかけられた鍋からは芳醇なカレーの香りが漂ってきているので、つつがなく作業も進められたのだろう。
…その過程で万が一にも朱音が傷を負っていないだろうかと不安に思ってしまい尋ねてみたが、そこも彼女がひらひらと舞わせていた掌を見れば傷一つないので問題なし、といった感じだ。
本人にも呆れられてしまったが、こればかりは心配しないという方が彰人には難しいので許してもらいたい。
たとえ彰人の目が及ぶところではなかったのだとしても…そこに何も思わないというわけではないのだから。
「彰人彰人! 朱音ちゃんって凄いんだね! …近くで見てたけど、手際がものすごく良いんだよ! 普段とのギャップで見とれちゃったよ!」
「…そっちもそっちで楽しんでたみたいで何よりだよ」
するとそのまた隣から、興奮したように優奈が声を掛けてきたがあちらの言っていることとしては分かりやすい。
彰人にとっては既知の事実であるが、他の者からすれば朱音の調理技術が熟達していることなど知る由もないため、今日の機会に目の当たりにしたという者の方が遥かに多いことだろう。
実際、その光景を目にした優奈は瞳を輝かせながら朱音の腕前について語っているのでよっぽど感動したようだ。
別にそこはいい。優奈もはしゃぎながらではあるが真面目に料理には取り組んでいたようだし、何かふざけた言動をしていたというわけでもない。
抱えているテンションこそ高いものの、ただ純粋に楽しんでいるだけの彼女にそこまで強いことを言う必要もない。
「ところで航生は……そこか。何してんだ?」
「よう彰人! 今の俺はな…絶賛洗い物中だ! …ちょっと待ってくれな」
「いや…別に焦らせたつもりは無いからゆっくりやってくれ。ただ居場所を確認しただけだから」
それからまだ視界に確認出来なかった友の姿がどこにあるのかと見渡してみたが、その姿はすぐに見つかる。
優奈たちの傍にて何やらスポンジを片手に持ち、手を動かしている航生を問いただせば…どうやら使い終わった調理器具の片付けをこなしていたらしい。
彼も彰人と同様……とまではいかないが、そこまで料理が得意とは言えない人物なのでそうやって料理以外のところで己の役割を全うしていたようだ。
立ち回り的には彰人と似たようなものである。
(それと少し思ったが……なんか周りから視線を向けられることが多いような…? …あぁ、そっちを見られてたのか)
…そして、そのタイミングで彰人も内心に思っていた疑問を浮かべたが時折周囲からチラチラと感じられる視線に意識が向いた。
彼がここに戻ってきた頃から察知出来ていたので最初は気のせいかとも考えていたが、こうも長く続けば否応にでも意識は向けられる。
ただ…その視線が向かう先のことを思えば、この違和感にも納得してしまう。
彰人たちの周辺。作業場の周りを通りがかる者達が見ていたのは、他でもないエプロン姿の朱音一人なのだ。
…そこに注目してしまうのは無理もない。
何せ、朱音が普段は着ることも無いだろうエプロンという、何とも家庭的な雰囲気を思わせる容姿を曝け出しているのだから……いくら表面上は「興味など無い」と装っていても、心のどこかでグッと惹かれるものがあっても不思議ではないのだから。
単にそれだけの魅力を醸し出している朱音の姿が格別だというだけのことである。
…しかし、その様子を彼がどのように捉えるかと言われれば…また話は変わってくる。
(……何というか、な。朱音が見られることなんて今に始まったことでも無いだろうに…こう…複雑な気分になる)
…決して誰かに言うわけでも無い己の心の内にて、彼女の姿が衆目の下に晒されているというこの現状。
普段なら見せない様な新鮮な姿を、不特定多数の生徒が目にしているという状況が続く現状は…彰人の心に、複雑な心境を落としていた。
たとえそれが自分勝手な感情でしかなかったとしても、そう感じ取ってしまったことは紛れもない事実であった。