第百三話 到着した目的地
「……うおおおぉっ!! 着いたぞー!!」
「…うるせぇな。こっちも感動の余韻に浸ってるところなんだからもっと静かに騒いでくれ」
「何言ってんだ彰人! この目の前の風景を見てみろよ! …こんな場所を目の間にして、騒がない方が無理って話だろ!」
「それは分かるが……はぁ、言っても無駄か…」
…眼前に広がる美しい光景の中。
バスに長時間揺られながら彰人たちがやってきたのは郊外に位置する湖畔のすぐ近くであり、見渡す限りの美しい湖が広がっている。
この場所こそが本日のメインとなる目的地の一つでもあり、彰人や航生を含めた一年生の宿泊研修、その第一の舞台となる場所だった。
豊かな自然に囲まれながら、同級生との仲を深めるという元々の目的を達成するためには最適な場だとも思えるこの地にて……彰人の真隣に立ちながら、誰よりも馬鹿でかい声を上げる航生のせいで気持ちの良い気分が台無しである。
感動の余韻に浸るだとか、ようやっと到着した湖畔の美しさを目にしたことによって生まれた風情というものをまるで意識していない……雄叫びのようにすら感じられる声量で叫ばれたともなれば当然だ。
今の大声のせいで周辺にいた大勢の生徒からも注目を集めてしまっているし、恥ずかしいことこの上ない。
…なお、そのすぐ傍では同じようにテンションの上がった優奈が今にも駆け出していきそうにしているのを朱音が必死で抑え込んでいる姿が確認できる。
向こうは向こうで、学年でも屈指の美少女同士の絡みということもあって相応に衆目の視線を集めているようだが…そんなところまで共通点を見出す必要はない。
というより…カップルで揃ってこちらの負担を増やさないでほしい。
見れば朱音側も困ったように優奈の暴走をせき止めている様子なので、あちらの増援にも向かった方がいいかもしれない。
区切りの良い開始時点から不安しか感じさせない言動をかましてくる彼らの対処に追われることになってしまったが、これが順調なスタートであるかどうかは…また微妙なところだ。
「……ふぅ、危ないところだったね。私の内なるパッションが溢れ出ちゃうかと思ったよ」
「……お前の暴走を止めてたのは主に朱音なんだからな? そこら辺しっかり分かってるのか?」
「もっちろん! ありがとうねー、朱音ちゃん! あのまま動き出してたら、私もどこに行っちゃってたか分からなかったよ!」
「だ、大丈夫……だよ。つ、疲れた…」
「…朱音、ほら水飲め。よく頑張ったな」
「……あり、がとう…」
…到着してからまだそれほどの時間も経過していないというのに、やたらツヤツヤとした顔で感謝を伝えてくる優奈と、それとは対照的に疲労の色を顔に浮かべる朱音の姿がそこにはある。
あれからどことも知らずに走り出していきそうだった優奈を何とか正気に戻るまで抑え込むことに成功し、この場に留めておくことが出来た。
…が、その代償として長時間優奈の身を留め続けるために力を使っていた朱音がひどく消耗してしまい……息も絶え絶えといった様子で呼吸を荒げていた。
本当に、彼女をここまで披露させた原因の優奈には深く反省してもらいたいものだ。
「…おーい、彰人! これからこっちで昼飯作るってさ! 早く来いよー!」
「……航生は航生で、気楽に過ごしてるもんだしな…分かった! すぐ行くから待ってろ!」
するとそのタイミングで、今彰人たちがいる場所から程遠く離れた位置から航生の呼びかけが聞こえてくる。
…この疲労困憊に陥った状況を作った原因の一人から、そのような呑気な声掛けをされるのは少し腹が立ったが……今それを論じたところでどうにかなるわけでも無い。
内心で重く息こそ吐いたものの、それ以上は何かを言うわけでも無く黙って航生の近くまで歩み寄っていった。
「おっ、やっと来たな。なんかあっちで随分と大変そうなことになってたみたいだが…何やってたんだよ」
「………」
「いった!? 急に叩くなよ! 何すんだ!」
「うるせぇ! …お前の彼女のせいでこっちが大変な目に遭ってたのにお前だけ気楽な表情浮かべてるのがムカついたから、その報復だ」
「八つ当たりじゃねぇか!?」
「知らん。…それよりも、昼飯って言ってたがどこで作るんだよ」
普段と変わらぬ態度で接してくる友の雰囲気が直前までに蓄積していた疲労とも相まって腹が立ったので、その流れの中でとりあえずはたいておいた。
自分の恋人の後始末をこちらに押し付けた罰とでも思っておけば、特に胸も痛まないので問題無しである。
…いきなり叩かれたことに関して向こうが文句をつけてきたが、そこも完全にスルーだ。
それよりも今は目先の予定についた話を進めた方が建設的なのだから。
「…あぁ、昼飯な。なんか聞いた感じだと向こうの方で食材と道具が準備されてるから、班ごとにそれを持って行って作るんだとさ。中々に楽しそうだよな!」
「なるほどな…そういえば、もうそろそろ昼飯時なのか。時間を確認してなかったから忘れてたな」
話を聞いた限りだと、調理のための材料や用いる器具なんかは一式揃えられているようだがそれをどのように使うのかは教師陣もノータッチのようだ。
基本的に生徒同士で協力をすることで事前に伝えられていたカレーの完成を目指すとのことだ。
もちろん、料理が不得手なメンバーが多い班には都度サポートとしてアドバイスや助力をしてくれるようではあるが。
しかし、彰人の班に限ってその心配は無用というものだろう。
何しろこちらには……料理という舞台では比類する者無きほどに頼りになる朱音がメンバーにいるのだから、おそらくそこに頼るような展開は訪れないだろう。
「だったら俺たちで先に道具だけ運びに行こう。そういう力仕事はこっちの役割だろ」
「そうすっか! …そういや、優奈と間宮さんの姿が見えないけど何してるんだ?」
「…二人ならあそこだよ。ほら、じゃれついてる姿が見えるだろ」
「……あー、あそこか。道理で近くにいないと思ったら…」
そういうことならば、朱音たちがこちらに来る前に道具と材料をひとまとめにして自分たちの作業場所に運んでおいた方がいい。
今はまだ生徒の大半がこの湖畔近くに広がる野原の上で雑談をしていたり騒がしく走り回ったりとしている風景が散見されるが、それも時間が経てば調理に移っていく者が増えていくに違いない。
そうなれば自然と調理のためのスペースも混みあってくるはずなので、混雑を避けるためにも先に荷物だけでも運んでしまった方がいいということで話がまとまった。
…ちなみに、ここにはいない朱音たちが何をしているのかというと…彰人が指で示した先。
他の生徒たちと同じように野原の上にて朱音に一方的に話しかけ続けている優奈の姿が確認できるので、あの様子だとしばらくはあそこから動くことも無いだろう。
…朱音には申し訳ないが、もう少しだけ優奈の相手は任せておこう。
その間に彰人たちは力仕事を済ませておくので、それでチャラにしてもらいたい。
「…まっ、こんなものか。あと持ってきてないものとか無いよな?」
「取りこぼしは無いと思うぞ。まぁ持ってきてないものがあったらその時にまた行けばいいだろ」
「…それもそうか。なら今度は──」
「……あ、いたいた! 航生ったら、どっかに行くなら言ってよ!」
「お、優奈も来たか! ちょうど良かったな、これからカレー作りが始められるから呼ぼうと思ってたんだよ!」
「あ、そうだったの?」
大きな屋根にて天井が覆われたキッチンスペースにて彰人と航生は一通りの道具と材料を運び終えていたが、やはりこの時間だとまだここにいる者はまばらだ。
時間的にもバスが到着してから十数分しか経過していないのでそれも当然なのだが、ここから指数関数的に人数が増えていくことを考えれば早めに来たのは正解だっただろう。
と、そこでタイミング良く航生たちを探しに来た優奈もこの場を訪れてきたので、このまま調理も始められそうだ。
「朱音も来てくれたか。…疲れとか大丈夫か? まだきつかったら料理ももう少し後にするが…」
「ううん、もう大丈夫。…確かにさっきはちょっと疲れちゃったけど大分回復したからね」
「そうか。なら良かった」
「これからカレー作りなんでしょ? エプロンも持ってきたから、すぐに始められるよ」
「了解。なら早めに作って食べるとするか」
「さんせー! 実は少しずつお腹減ってたんだよね!」
それに引き続き、ちょこちょことこの空間に足を踏み入れてきた朱音もすっかり疲労は取れたようなので何よりだ。
この様子なら問題なく作業も進められるだろうし、本人から聞いた限りでは強がりを言った感じでもないので過剰に心配する必要もないだろう。
ともかく、ここからは今日の山場でもあるカレー作りをスタートさせることとなるのだった。




