第百話 休息ポイント
「……ぜぇ…はぁ…! な、何とか間に合ったな…」
「…お前、本当にギリギリセーフのタイミングだったからな。むしろアウトの可能性もあったぞ」
気持ちの良い青空が広がり、雲一つない快晴が続く今日この頃。
待ちに待った宿泊研修の当日となったこの日に、彰人達一行は学校近くに停められていたバスに乗り込んで目的地でもある県外へと赴いていたが…そんな楽しさに満ち溢れた空気の中で、一人息を荒げている者の姿がある。
それは今も彰人の隣の座席に座りながら疲れ果てたかのように呼吸を荒くした航生であり、彼がこのような様子を見せているのはひとえに今に至るまでの過程が原因だ。
…もはやその流れの一部始終を知っている身からすれば呆れるしかないのだが、前にあれだけ言っていたというのにバスの集合時刻に遅れてきたのだ、こいつは。
あともう少し来るのが遅れていればバスが出発してしまうというタイミングになってようやく走ってくる航生の姿が見えた時には、彰人も安堵と呆れかえる感情が混在した、何とも言えない心情になったものだ。
何とか間に合ったから良かったものの……全速力で駆け出してきたゆえに体力を使い果たしている友の姿を見ると、どうにも溜め息が口からこぼれてくるものだ。
「…はぁー……はぁ…よし、何とか息も落ち着いてきたな…」
「これに懲りたら反省しろよ、マジで。優奈も一回お前の家に寄ったらしいからな。そこも謝っとけ」
「…流石に悪いとは思ってるって。優奈には…まぁ怒られるだろうが、俺が悪いことだしな。後でしっかり謝るわ」
バスへと乗り込んでからしばしの間は荒げた呼吸のペースを整えることに専念していた航生だったが、それも少し時間が経った今になってようやく落ち着きを取り戻してきたようだ。
それまではまともに会話を交わすことも出来なかったので、彰人も静かになるまでは触れることなく放っておいたが……話せるようになったのなら話は別だ。
今も言ったことだが、航生が自らの遅刻に気が付く前に待ち合わせをしていた優奈が彼の家に寄っていたらしい。
その時に出てきた航生の母親から、まだ眠り続けているとの内容を聞き……呆れながらも学校に向かって来たのだと、やたら疲れた表情をした本人から聞かされたのだ。
…その時の優奈の表情といったら、いつもの活発さが嘘のようにがっくりと肩を落としていた。
無理もない。自分の彼氏が約束の待ち合わせすらすっぽかして寝坊していると聞かされたのだから、愛想を尽かされなかっただけありがたいと感謝すべきである。
そんな彼女は今、彰人達の斜め前の座席にて隣に座った朱音と楽しく談笑をしている姿が確認出来る。
…バスに乗り込む前まではそこに至るまでに疲弊する段階が多すぎたからか、くたびれたような表情を見せていた優奈。
しかし、今はその様子を瞬時に察してくれた朱音がメンタル面の休息も兼ねて他愛も無い会話を繰り広げてくれているので、何とか持ち直したようだ。
時折楽し気な笑い声が響く車内にて、彼女たちの様子を見れば大きな問題もなさそうなのでひとまずは安心といったところだろう。
この後に待ち構えている地獄を思うと航生は気が気でもいられないだろうが、そこは完全なる自己責任なのでしっかり己がしでかした罪を自覚してもらいたい。
そして、是非とも反省をしてもらいたいものだ。
その後もバスに揺らされながら何とも言えないスタートダッシュを決めた彰人達一行は…色々な意味で騒がしさに満ちた車内にて目的の地へと向かって行くのだった。
◆
「おーっし、彰人! とりあえずここまで着いたが…お前はどうする? 俺はひとまず手洗いに行ってくるが」
「…そうだな。バスに乗っててもつまらないし、何か買えるものでもないか探してみるか」
「そんならそこまでは一緒に行こうぜ! ちょうど皆出ていった後だしな!」
彰人たちが乗っていたバスは現在休憩地点でもあるサービスエリアの滞在しており、ここで生徒たちは各々休息を取ったり併設している店を回ってみたりと、好きな時間を過ごしている。
事前に定められた集合時間があるため長居こそ出来ないが、少しばかりの休みを取るのであればこれでも十分だろう。
ずっと座りっぱなしでいれば同じ姿勢を維持し続けたことで身体も凝り固まってしまうだろうし、この後に待ち受けているイベントを思えば体力を回復させておいて損も無い。
「そうとなれば早いところ行っとこう。あんまだらだらしてても休む時間が無くなる」
「それもそうだな。さーてと、トイレは……あっちか! んじゃ彰人、またバスの中で会おうな!」
「はいよ。…前に気を付けて行けよ!」
二人がそれまで乗車していたバスを降り、お互いに向かう先は異なるので少し歩いていけばそこからは別行動だ。
航生は時間帯もあってか少し混み気味な手洗い場に、彰人は何か良い物でもあるかと物色をするために隣の小売店に入っていった。
それと念のために…勢い有り余って前方不注意のまま走り出していきそうだった航生に注意も兼ねた声掛けをしておいたのだが、さして効果は無さそうだ。
こちらの声など耳に入る前にとっとと駆け出していった様子からは、彰人の言葉が届いた様子など微塵も感じられないのでおそらくは聞こえてすらいないのだろう。
「……俺も行くか。向こうは向こうで何とかなるだろ」
しかし、向こうの事ばかり気にしていたって何も始まらない。
スタートダッシュがあれだったからこそ不安な点が際立ってしまう友の姿だが、あれでもやるところはきちんとやる男なので彰人が余計な心配ばかりせずとも思いだした頃にはふらっと戻ってくるだろう。
どちらにしても、ここは彰人も割り切って自分の用件に集中していた方が楽しめるというものだ。
そう判断し、彰人も今まで考えていた思考を打ち切ると自動ドアを潜って店内へと足を踏み入れていくのであった。
(へぇ…やっぱりこういう場所って賑わってるんだな。品ぞろえも良いし…思ってたものとは違う感じだ…)
思っていた以上に賑わいを見せていた店の奥へと入ってきた彰人だったが、そこでまず感じたのは想定以上の清潔感だった。
少々失礼かもしれないが、彰人はこういった場所だと商品の陳列も乱雑でそこらのスペースも掃除が行き届いていない、清潔感など二の次でただただ休憩を取るための場だと思っていた。
だが、実際に自分の目で見てみれば決してそんなことは無い。
それどころか、想像していた何倍も清掃が行き届いており洒落た装飾があちこちに施された空間はここだけでショッピングでも出来てしまいそうだと思わされるくらいのものだ。
(よく見ればそこらで女子も盛り上がってる感じだし…休憩場所っていうより、本当に買い物をする場所とすら思えるな)
周囲を見渡せば彰人と同じように学校指定のジャージを身に纏った女子生徒だと思われる者達が盛り上がったように陳列された商品を手に取る光景がいくつも展開されているし、あの様子なら楽しさも存分に味わえているようだ。
「…俺もせっかくだし何か買っていくかな。母さんたちにもお土産になるようなものがあればいいんだが……」
そして、そんな光景を見てしまえば彰人の購買意欲というのも自然と刺激されてしまう。
ここに来るまではただ物色して終わらせるつもりだったのだが、この雰囲気に当てられてしまったのか何かを買いたくなってしまった。
いい機会でもあるし、両親への土産にちょうどいいものが無いだろうかとうろうろと店内を回って見れば……その一角にて、ふと気になる光景が視界に飛び込んできた。
「……ん、あれ…朱音、だよな? 何やってるんだ?」
店内を巡っていた彰人の目に入ってきたのは見慣れた少女の姿であり、それだけならば存在を認知はしても特に触れるようなことは無かった。
だが、今の彼女が置かれている状況が普段のそれとはまた異なるものだったゆえに…意識に引っ掛かったのだ。
彰人と同じくこの店を訪れていたらしい朱音は現在、どういうわけか見慣れない女子複数人に囲まれている。
遠目から確認した限りだと朱音と何かを話しているように見えるのだが……距離があるのと周囲の喧騒によって会話内容は聞こえてこない。
…ただ何となくだが、ここから見えることだと朱音が少し困ったような表情を浮かべているような気がするので…何かトラブルでもあったのかもしれない。
「…少し、話しかけてみるか」
何も無ければそれでいい。単なる彰人のお節介ということで話は終わる。
それでも……もしこれが朱音を狙ってのトラブルだったというのなら、彰人も知った上で見過ごすことは出来もしなかった。
ゆえに、彼は己の内に湧いた疑問を解消するためにも…彼女の元へと歩み寄っていった。
…トラブルの予感。




