06-02 病み上がりの身体に胃痛の種が堪えます。
退院後、千秋は母親に首根っこをつかまれて実家に戻ってきていた。
「どうせろくなもの、食べてなかったんでしょ! それともお母さんが見てないのをいいことに、夜更かしでもしてたの!?」
と、怒鳴る母親の前でひたすらに小さくなりながら、お腹に優しくて栄養満点のご飯を食べて、寝て、という日々が続いていた。
自分の分の作業だけじゃなく、千秋の遅延分までやってくれている陽太は、それでも二十時頃には帰ってきていた。
通勤時間を考えると、ほぼ残業なしで上がってきているようだった。
毎晩のようにベランダ伝いに千秋の部屋にやってきて。チームメンバーからの差し入れをどさりと置いて。
それから、暇つぶしにと買ってきた漫画を置いていくのだ。たまに数日前に買ってきたのと同じ巻が混ざっているとこが陽太らしい。
同じ表紙を並べて千秋はくすりと笑った。
「ほい!」
そう言って、食べかけのポッチーを千秋の口に突っ込んで、部屋に帰っていくこともあった。
――家の中だから……よしとしよう。
自分に言い聞かせるように心の中で呟いて、千秋は大人しく陽太がくれる食べかけのポッチーを飲み込んだ。
***
日曜日にようやく一人暮らししている部屋に戻り、翌日の月曜日に約一週間ぶりに出社した。始業開始のチャイムが鳴ると、岡本がフロアの端にある打ち合わせスペースへと手招きした。
「体調はもう大丈夫?」
イスに座るなり、岡本が心配そうに尋ねた。
「大丈夫です。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
「うん、それならよかった。でも無理はしないで、健康第一で働くようにね」
テーブルに額が付くくらい深々と頭を下げる千秋に、岡本はにこりと微笑んだ。
「作業のことなら大丈夫だよ。百瀬くんが珍しく本気出してくれたから。……いつもあれくらい本気でやってくれるとうれしいんだけど」
岡本が天井を仰ぎ見ながらぼやいた後半部分については、千秋は聞かなかったことにしてあいまいに微笑んだ。
「今回の件で百瀬くんが引き継いだ部分や、スケジュールを変更した部分があるから説明をしたいんだけど。その前に――」
真剣な表情で前置きする岡本に、千秋は思わず背筋を伸ばした。
――次で契約切られる、とか……!?
ただでさえ、遅延で足を引っ張っていたところに、無断欠勤、入院、そのまま一週間の休暇だ。相当に迷惑をかけた自覚はある。
岡本や陽太は大丈夫と言ってくれるけれど、さして優秀でもなく、自分のところの社員でもない人間と契約を続けるメリットはない。
「小泉くん……」
岡本の次の言葉を想像して、千秋はため息混じりにうつむいた――のだが。
「百瀬くんに合鍵、渡しておくようにね」
「はい……はい!?」
想像とまるっきり違う言葉に、千秋はすっとんきょうな声をあげた。
当の岡本は、口元の前で手を組んて真剣そのものだ。
「合鍵。作って渡しておいて。本当に。冗談抜きで」
本当に。冗談抜きなのだろう。
岡本の妙な威圧感に耐えらずに、千秋は思わず引きつった笑みを浮かべた。
「えっと……岡本課長?」
「この着信履歴、見てごらん」
すぐにでも見せられるように用意していたのだろう。
重要資料を開いたパソコンを客に見せるような、機敏で美しい動作で、岡本はスマホをすっと千秋の前に差し出した。
画面をのぞき込むとズラッと“百瀬 陽太くん”と、いう登録名が並んでいた。
着信、不在着信が入り乱れているけれど、一分や五分といった短い間隔で電話がかかってきていたことがわかる。
「このスマホは着信、発信合わせて百件まで履歴が残る仕様なんだ。その履歴が小泉くんが休んだ当日、百瀬くんの名前で埋まったんだよ。百件、全部……」
千秋はぎこちない動きで顔を上げた。岡本の無駄に優しい声と微笑みが怖い。
「お客さんから掛かってきた不在着信もすごい勢いで流れていくし。打ち合わせ中もスマホが鳴り続けるし。プロジェクトメンバーに恐妻家だったのか。不倫がバレたのか。もしかして前日に彼女と別れ話でもしたのかって有らぬ女性関係を疑われるし。今は独身で恋人もいないのに、とんだ濡れ衣だよ」
千秋は口元が引きつるのを感じながら、再び、うつむいて奥歯を噛みしめた。
千秋を心配して、仕事を休んでまで駆けつけてくれたり。千秋が遅れた分の作業を引き受けてくれたり。それでも、心配をかけないようにと早めに作業を終えて帰ってきてくれたり。
そういう気遣いや優しさにはすごく感謝している。
している、のだけれども――。
「と、いうわけで合鍵を渡しておくように」
「はい! 大変なご迷惑をおかけしました!」
テーブルに額をぶつけかねない勢いで頭を下げながら、
――ヒナのバカ、アホ! やっぱり迷惑だ!!
すべてのことを一旦、脇に避けて。千秋は心の中で、陽太に全力で罵声を浴びせかけた。




