02-02 決意も新たに。(週明け、秒で砕けます。)
一人暮らしの部屋で最初に過ごす土曜日――。
千秋はベランダに洗濯物を干して室内に戻ると、
「いつまで寝てるんだよ、ヒナ」
盛大にため息をついた。
フローリングに敷いた布団では、陽太が腹を出して寝ていた。
千秋は実家から運んできたベッドで寝ている。
陽太が使っている布団は、陽太自身が駅前のスーパーで買ってきたものだ。
他にも下着やらYシャツやらといろいろと買い込んできて、勝手にタンスに突っ込んでいた。
千秋の部屋に入り浸る気満々だ。
あっという間に部屋の半分以上を占拠した陽太に、千秋は腹立ちまぎれに蹴りを入れた。
「うぅ~……」
「そろそろ起きろって。布団を干すぞ」
うめき声をあげながら、のそのそと布団から出てきた陽太はソファによじ登って、三度寝だか四度寝だかを始めてしまった。
「バターたっぷりのフレンチトースト……」
「起きろってば」
寝ぼけ眼でリクエストする陽太に文句を言いながら、千秋はベランダに布団を出した。
バターの香りが部屋に広がる頃、陽太はようやく起きてきた。
さっさかテーブルについたかと思うと、フォークとナイフをにぎりしめ。出来立てのフレンチトーストが出てくるのを、今か今かと待っている。
手伝えよ――というツッコミはするだけ無駄なのでしなかった。
「陽太のせいで、客先デビューにも一人暮らしデビューにも完全に失敗した気がするんだけど」
白い皿に盛ったフレンチトーストを陽太の前に置いて、千秋は口をへの字に曲げた。
「なんかしたっけ? 俺、千秋を助けてしかいないつもりだけど?」
きょとんと首をかしげながら、陽太は早速、フレンチトーストをほおばった。
「うぅ~! やっぱり千秋の作るフレンチトーストはうまい!」
「どこからその自信が出てくるんだよ」
「千秋のこれまでの人生について、しっかりばっちり説明して。チームメンバーとの心の垣根を低くしたりしたじゃん!」
「まさにそういうとこだよ! 完全に失敗なんだよ!」
「話されて困るような内容じゃないでしょ?」
「話されて恥ずかしいし! 職場の人に! しかも初日から! するような話じゃないんだよ!」
怒鳴ったかと思うと、千秋はフォークを手にしたまま。頭を抱えてしまった。
「初めての客先常駐だから、ちゃんとしようって思ってたのに。初日から大声で怒鳴っちゃうし。学生時代の暴露話、山ほどされるし」
「千秋は真面目だなぁ」
「ヒナと違って情報処理を専門的に勉強してきたわけじゃないんだ。大学まで文系だったんだよ? 技術や知識がない分、真面目にやらないとって思ってたのに……!」
「十分、真面目だったよ?」
「もっと、ちゃんと!」
今の現場に入って、たったの五日。
他のチームメンバーとの実力差は充分に感じていた。
最初から千秋も、自社も、QBシステムズ側もわかっていたことだ。技術的な実力不足をわかった上で、育てるつもり、育ててもらうつもりで契約してもらっている。
長期のプロジェクトで、育てているだけの時間的余裕があるからこその契約だ。
それでも、だからこそ。せめて不足分を補うために社会人らしく、きちんとした振る舞いをしようと思っていたのに。
「……ヒナのせいで全然、ちゃんとできなかった」
フレンチトーストを一口食べて、千秋は深々とため息をついた。
当の陽太は話を聞いているのか、いないのか。千秋が作ったフレンチトーストを頬張って、ニコニコしている。
もう一度、ため息をついて、
「そういえば、ヒナっていつからあの現場にいるの?」
千秋は聞きそびれていたことを尋ねた。
社会人になってからも、毎週のように遊んでいた……と、いうか顔を合わせていた。
千秋の部屋に陽太が勝手に上がり込んできて、マンガを読んだり、ゲームをしたり。勝手にゴロゴロしていたのだ。
陽太はマンガを読んでいても、ゲームをしていても、引っ切り無しに喋っていた。
千秋は聞いていたり、いなかったり。返事をしたり、しなかったりだったけど――仕事の話はほとんどしてこなかった。
陽太も千秋と同じIT業界、ということくらいしか聞いていない。
陽太は大学で専門的に勉強していたんだから、文系プログラマーの自分よりも役に立ってるんだろうな……なんて卑屈な気持ちもあって。詳しくは聞かずにいたのだ。
「いつからって……」
陽太はきょとんとして千秋を見つめると、首を傾げた。
「最初からあそこだよ。ずっと社内作業」
あっけらかんと答える陽太に、千秋は、ん? と、首を傾げた。
「……社内?」
「うん、社内。ずっと岡本さん配下。最初は別の先輩が職場の指導担当者だったんだけど、なんかブチギレられて。何人か代わって、最終的に岡本さんがOJTになって。そっから、ずっと岡本さん配下」
岡本の配下。
つまり、岡本の部下。
つまりつまり、大手メーカーのシステム開発事業を担当している子会社の、QBシステムズの正社員。
つまりつまりつまり――。
「俺は派遣で、ヒナはQBシステムズ本来の社員ってこと?」
「そういうこと。入館証の紐の色、俺と千秋だと違うでしょ?」
あっさりと頷く陽太に、千秋はガバッと頭を抱えた。
今までのことを思い出すと、意識が遠退きそうだった。
陽太も、千秋と同じように、どっかの小さなのシステム会社から派遣契約で来ていると思っていたのだ。
それがQBシステムズの正社員そのもの――!
同じようなことをしていても、自社の社員と他社からの請け入れ社員では扱いが全然、違う。契約の打ち切りと解雇じゃ、しやすさが全然、違ってくる。
陽太があれだけやらかしていて大丈夫なのだから、千秋がやらかしたミスくらい……なんて甘い考えだったのだ。
「このまま行くと三か月で更新切られて、自社に戻されて……!」
「え……千秋、自社に戻っちゃうの!?」
「そんでもって先輩や上司から役立たず扱いされて、やっぱり文系プログラマー使えないなって話になって……!」
「ねぇ! 千秋、自社に戻っちゃうの!?」
「めちゃくちゃ難しい仕事ばっか振られて自主退職に追いやられて、実家に戻って、再就職に失敗して、家族の冷たい目に耐えられなくなって、部屋に引きこもって、自宅警備員になる運命なんだーーー!」
「自社に戻ったら、実家に戻ってくるの? なら、いいや」
頭を抱えて仰け反っていた千秋は、陽太の明るい笑い声に凍り付いた。
ならいいや?
真剣に悩んでいると言うのに、その一言。
たったの一言で片づけられてしまった。
あれも、それも、どれも、これも――。
「ヒナのせいで自宅警備員になっちゃうのに!」
バシーン! と、テーブルを叩いて、勢いよく立ち上がった千秋を見上げて、陽太はパクリとフレンチトーストを頬張った。きょとんとした顔をしている。
どうして千秋が怒っているのか、さっぱりわからない……といった表情だ。
――……だよね。
陽太の表情に脱力して、千秋はすとんとイスに座り直した。
いつもそうだ。
陽太は自由気ままにやっていても結果を出すし、結果を出すからこそ許される。
千秋は真面目にやっているつもりだし、周りからもその点だけは認めてもらえる。
でも、それだけ。
学生時代なら、それでもよかった。
でも社会人はそうじゃない。結果を出さなきゃ意味がないのだ。
「千秋、俺のせいで自宅警備員になっちゃうの?」
「うん、そう。ヒナのせい」
言い捨てて、千秋は唇を引き結んだ。
今のは完全に八つ当たりだ。
「……?」
千秋が怒っている理由はわからなくても、陽太に対して本気で怒っているわけじゃないということはわかっているらしい。
陽太は臆することなく、うつむく千秋の顔をのぞき込んできた。
邪気のない、陽太の丸い目に見つめられると居たたまれなくなってくる。
千秋はぷいっと顔を背けた――のだけど。
「なら、俺が養ってあげる!」
陽太の体温の高い手に頬をつかまれて、ぐいっと強引に戻されてしまった。
「俺、千秋の作った料理、大好きだし。千秋みたいなお嫁さんが欲しいって、ずっと思ってたし。自宅警備員がいやなら俺のお嫁さんになったらいいよ」
子供みたいに無邪気に笑う陽太を見つめ、千秋はぽかんと口を開けた。
陽太が言う“お嫁さん”という言葉に、たぶん深い意味はない。
陽太が言いたいことは、何かあったら助けるから心配しなくていい。そんなに気負わなくていい。
そんな程度の意味なんだと思う。
それはわかる。
わかってはいる、けれど――。
きゅん……。
「って、なるか! ボケぇ!」
バシーーーン! と、テーブルを叩くと、千秋は絶叫した。
「え、なにが!? なんの話!? 千秋、なんで急に怒ってんの!!?」
陽太は慌てて立ち上がると、フレンチトーストが乗ったお皿を手に、後ずさった。
「ヒナになんて養われてたまるか! て、いうか俺はお前のオカンか!」
「いや、だから、お嫁さん……?」
「どっちもお断りだ!」
千秋はもう一度、バシーーーン! と、テーブルを叩くと拳を握り締めた。
「来週から真面目に働く!」
「今週も十分、真面目だったよ!?」
「もっと真面目に働く!」
幼なじみの妨害になんて屈せず、真面目に社会人をやるぞと心に誓って。千秋はにぎりしめた拳を、決意をこめて振り上げたのだった。