18 凪の海
嵐が過ぎ去った翌朝、トーヤはいつものように1人甲板で手すりにもたれ、海を見ていた。
昨日と一昨日は海を上から下まで混ぜ返したような嵐だったのに、今日はまた一面の凪、静かな海がどこまでも続いている。
「よお、相変わらずここか」
ディレンが声をかける。
近づいてきていたのは分かっていたが、分かっていて無視していた。
「他に行くとこねえしな」
海を見たまま感情もなく言う。
「たしかにな」
ディレンが横に並び、黙って同じように海を見る。
しばらく2人してそうやって海を見ていた。
「今日はなんも聞かねえのか」
トーヤが海を見たままでそう言うと、
「ああ、もういい」
ディレンが海を見たままそう答える。
「おまえが困ってない、おまえのままだってのが分かったからな。必要だと思うことがありゃ、その時に、言いたい時に言え」
トーヤがまた海を見たまま言う。
「分かった、そうする」
2人で黙って海を見ていたら、甲板の上がざわざわと騒がしくなった。
「おっと、お出ましみたいだぞ」
ディレンが言う通り、シャンタルがいつもの奥様の姿でしゃなりしゃなりと船内から出てきた。
後ろには侍女のベルと護衛のアランが付いている。
「おまえは行かなくていいのか?」
「ああ、たまにはガキどもに任せるさ」
そう話していると奥様が船長に近づいてきた。
「昨日はお疲れさまでした、とおっしゃっていらっしゃいます」
ベルがすました声でそう言うと、ディレンは中身を思い出して思わず笑い出しそうになったが、自分も真面目な顔で答える。
「ありがとうございます。色々ありましたが、ゆっくりとお休みになれましたか?」
丁寧に答えると、ベルが伝言を伝えてくる。
「はい、嵐も収まりましたし、その後はなんの憂いもなくゆっくりと休めました、だそうです」
「そうですか。次の港までは後10日ほどです。途中で経由地の島に寄って、1日休んだ後にいよいよシャンタリオに向けて残りの航海です。残りの旅も安寧であるといいですな」
ベルが伝えると、今度は言葉もなくこっくりと頷いてみせる。
「では、失礼いたします。そちらの護衛を少しお借りしました、後はごゆっくり」
そう言ってディレンはその場を離れていった。
奥様は船べりにいた護衛のトーヤに近づくと、ベルを介して言葉を伝える。
「ここにいたのですか、船長とゆっくりお話はできましたか、だそうです」
「ああ、おかげさまでな。あんたもここでゆっくり海を見りゃいい、気持ちいいぞ」
そう言って奥様に席を譲った。
奥様は手すりに手をかけ、ゆったりと凪の海を眺め、そしてベルを通して言葉を伝えてきた。
「不思議ですね、こんなに穏やかな水が、昨日はあれほど激しい音を立てるなんて。すべての事象は目の前のことだけではない、あらためてそう思います、だそうです」
「後は、なるようになれ、だよ」
「奥様」がトーヤにだけ聞こえるように、小さい声でそう言ってくすくす笑う。
「ああ、そうだな。島までの10日はもう穏やかな日ばっかりだろう、って言っといてくれ」
それだけ言うと、トーヤはくるりと背中を向け、職場放棄したまま一足先に船内へと戻っていった。
しばらくすると、奥様御一行もその日のお務めを終えて客室へと戻ってきた。
「やれやれ、今日もいっぱいの人が来てたな」
ベルがふうっと息を吐いてストールを投げ捨てる。
「おつかれさま」
シャンタルがそう言ってクスクス笑う。
「でもまあ、そのおかげで息抜きできるんだし、しょうがねえだろ」
アランがそう言ってベルを小突く。
「一度ベル1人で出てみたら? またいっぱい人が集まってくると思うよ」
「うえ~」
外には出てみたいが、今の姿で出るとそういうことになるだろうと思うと、それだけでベルは肩が凝る。
「勘弁してくれよ~今でいっぱいっぱいだよ、もうちょい楽に出られる方法ねえかな」
「無理だろうね」
またシャンタルがクスクス笑う。
「じゃあ、今日はお昼ご飯を食べたらもう一回出てみようか。みんな食後のお昼寝してるぐらいの時間に」
「って、その時間、シャンタルも昼寝じゃねえかよ」
「だから、今日はお昼寝やめてベルに付き合うよ、どう?」
「うーん……」
少し考えてベルが、
「分かった、じゃあ昼からもちょっと出よう」
「いいね、奥様も島に着くのがうれしくて浮かれてるってことで」
2人がクスクスと笑いを交わし、
「じゃあ、その代わりに今からちょっと寝るから」
「って、結局寝るのかよ!」
「うん、お昼には起こして」
言うだけ言うと、横になってことんと寝てしまう。
「もう寝た、赤ん坊かよ!」
腰に手を当て、呆れたように見下ろして言うベルに、トーヤとアランが、
「なんか、本当に嵐の海と凪の海ぐらい違う昨日と今日、呆れるほどいつも通りだな」
「まったくだ、いつもとなんも変わらねえ」
と言って笑う。
あの時、シャンタルがああ言い出してくれなかったら、もしかしたら、昨日の嵐の海にディレンを投げ入れ、今頃なんとも言えない気分でここに座っていたかも知れない。そう思うと凪でいられる今日がありがたい、トーヤはそう考えていた。




