表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒のシャンタル 第二部 「新しい嵐の中へ」<完結>  作者: 小椋夏己
第三章 第二節 侍女たちの行方
242/354

14 麝香

「わけ、わっかんねえ!」


 ベルが口癖を叫ぶ。


「ほんっと男ってやだ! きれいな女見たらすーぐそんなこと! 触るだのなんだの」

「ちょい待て」


 トーヤが真剣な顔でベルを止める。


「今は真面目な話してんだから、腰折るようなこと言うんじゃねえ」

「なんだよ!」

「黙って聞いとけ、後でなんぼでも言われてやるから。そんで、アラン、どんな感じだった」

「あ、ああ」


 アランは一瞬躊躇するが、これはそういう話ではないのだと息を整える。


「なんだろうな、ふらふら~っと、ついていっちまいそうな、ほんの少しだがそんな気がした」

「ああ、そういう感じだな」


 ミーヤとベルは男二人が言っている意味がよく分からない。


「ちょっと思い出したことがある」


 トーヤが続ける。


「香水ってあるだろ? 宮の侍女たちはつけてるかどうか知らんが、多分王宮とか貴族の女とかはつけてるよな?」

「え、ええ」

「その香水だがな、いい匂いするだろ?」

「はい。時々すごくきつい方もいらっしゃいますが、大抵はほんのりと花のような良い香りがしていますね」

「いるな、そういうのも」


 トーヤが愉快そうに笑う。


「あの香水を作るのにな、ほんの少し、本当にすこーしだけ、臭いもんを入れるんだよ」

「ええっ、どうしてそんなこと!」


 ミーヤが信じられないという風に言う。


「たとえば麝香(じゃこう)、聞いたことあるか?」

「いえ」

「そうか、ないか。それを香水にほんのすこーし入れるとな、えも言われぬいい匂いになるんだそうだ」

「本当なのですか?」

「ああ、本当だ」

「そんなこと、信じられないんですが……」

「いやいや、マジだって」

「そもそもその『じゃこう』というのは何なんですか?」

「麝香か、うーん、なんてのかな、なんか鹿の内臓みたいなすごく臭いもんだ」

「ええっ!」

「ほんとだってば。それをな、ほんのすこーし入れると、そりゃもういい匂いになるんだとよ」

「うそだろ?」

 

 ベルも疑わしそうにそう言う。


「いやいや、マジだって」

「信じられねえけど、でも『じゃこう』ってのは聞いたことある。いい匂いだって言ってたぜ?」

「それをほんの少し入れた香水はな。でも現物はそりゃもうくっさいもんだ」

「トーヤは嗅いだことあんのかよ?」

「ある」

「なんでだ?」

「臭いけどな、他にも薬としても使えるし、結構高価なんだよ。そんで、それ運ぶやつの用心棒したことがある。その時に臭わせてもらったんが、そりゃもう臭かったぞ」

「本当かなあ……」


 まだ疑わしそうに見るベルと、その横で同じように信じていいものかどうかという顔のミーヤを見て、トーヤがため息をつく。


「ほんとだってば」

「まあ、それが嘘かほんとかは置いといてだな」


 いつものように話を本筋に戻すのはアランだ。


「その香水だの麝香だのってのがどうしたって?」

「うん、だからな、マユリアもそんな感じがした」

「そんな失礼な!」


 ミーヤが思わず声を荒げる。


「マユリアは尊いお方です。そんな風に言われるような、そんな穢れた物に触れるような……」


 そこまで言って、思い当たったことがあるように黙ってしまった。


「思い出したか?」

「……ええ……」


 認めるしかない。


「そうだ、穢れだよ」

「ええ……」


 本来ならマユリアの任期は十年だ。その前にシャンタルとして十年の務めを終えたらマユリアとして十年、それが限界のはずだった。

 それが、当代のマユリアはさらに八年、その身に女神マユリアを宿し続けている。


「穢れで命を縮めるんだよな、シャンタルもマユリアも」

「はい、そうです……」

「その穢れの影響が出てるのかも知れん」


 トーヤの言葉にミーヤがつらそうに顔を伏せる。


「そして、皮肉なことに、その穢れによってマユリアは一層美しくなった。聖なる女神、触れることもできぬ尊い存在から、艷やかな美しい存在に、もっと美しい存在になったのかも知れん」

「ですが、見たところお体に障りはないように見受けられます。お元気そうです」

「だから、そういう出方じゃねえのかも知れねえな」

「え?」

「見たところは病気のようには見えない、確かに健康に見える。だが、本人が平気かどうかは分からんだろう」

「そんな、そんなことが……」

「ない、とは言えないってぐらいのことだがな」

「お元気でいらっしゃると、そう思いたいです」

「俺もだ」


 


『海の向こうを見てみたい、海を渡ってみたい、そう思っていました』




 この世のものとも思えぬほど美しい女神がそう言った。

 二人でその言葉を聞いた。

 その夢を叶えてもらいたい、そう思った。


「聖なる美しさにほんの少し穢れが混じったら、さらに美しくなったってのか……」


 アランが言葉をなくしながらそう聞く。


「分からんがな、なんとなくそんな風に見えた」


 元があまりに美しすぎる存在であった。

 そのために、この世のものならぬ美しさがさらに美しくなったからとて、誰もそのことに気がつかなかったのかも知れない。

 ただ、外の世界にいて、そして以前のマユリアを知っていたトーヤだけが、その違和感になんとなく気がついたのかも知れない。


「どうして差し上げればいいのでしょうか」

「分からん。ただ、交代が二年も早まってるってのは、もしかしたら、その状態からマユリアを助けるためもあるのかもな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ