19 国王の決意
皇太子が神官長に、
「マユリアを手に入れるためならなんでもする」
と言っていたその頃、王宮の主も自室でイライラと足を踏み鳴らしていた。
もちろんこちらも同じ理由からである。
八年前、思った以上にすんなりとマユリアは後宮入りを受諾した。
求める者が多い美しい女神のこと、その前には色々と面倒な問題はあったが、自分はこの国ではシャンタルに、神に次ぐ地位にある。女神であるマユリアと同じ、人としては最上位にある。
だから当然なのだ、自分がマユリアを手に入れるのは。唯一同列にある自分こそが、あの至上の美を、天上の女神を手に入れられるのだ。
「それをあの阿呆めが……」
当時の息子とのやり取りを思い出し、吐き出すように言う。
『マユリアは私の3つ下です、つまり父上から見ると娘の年齢となるのはお分かりですよね?』
『本当にマユリアのことを思われるのならば、この先の長く幸せになれる道をお選びになるべきでしょう』
『女神に真に幸せを願っての選択をなさることこそ、真の名君と言えるのではないですか』
皇太子との決して短くはないやり取りの中で、すいっと出てきた本音の部分である。
遠回しに自分のことを年寄り扱いし、若い自分に譲れと言ってきた。
国王は名君の誉れが高い。
ただ、その大部分が「黒のシャンタル」の託宣により、国内が平穏な時を過ごしていたからだとの自覚もある。すべてを自分の手柄であると思いこむほど、愚かな王ではなかった。
国が荒れれば統治者への不満もたまるが、何事もなく繁栄していると民は為政者への反感も抱かない。
前期の十年間は本当に穏やかな良い時代であった。
その時代に自分の盛りが重なったこと、その幸運もまた、自分が天に選ばれた王だからだとの自負がある。
「史上最も美しいシャンタル」の十年間、その次の「史上最も力のあるシャンタル」の十年間、その二十年の間の統治者であった自分。
そのような特異な時代に国王であったこと、それこそが自分が天に選ばれた者の証である、そう思っていた。
その天からのごほうびがマユリアである、と国王は考えていた。
「その天に逆らうようなことを考える愚か者がおる」
今30代に入ったばかり、まさにいま盛りの時代を迎える息子の顔を思い出し、忌々しそうにそうつぶやいた。
だが、八年前と違い、今は確かに衰えを感じる。平均的な寿命が60歳のこの国にあり、庶民とは違うとはいえ、そろそろその年齢を迎える国王と、まさに人生の最盛期に差し掛かる皇太子、どちらが人として魅力的かは比べるべくもない。
皇太子は見た目が良い。
王妃は若い頃美貌の持ち主で、母親似の息子は自分の目で見ても惚れ惚れとする時があるぐらいだ。しかも体も鍛え上げてがっしりとし、正直、非の打ち所がない。
もしも老人の域に足を踏み入れていると自分と、若く美しいと言える皇太子、2人を並べてどちらかを選べと言われれば、不利と言えるであろう。それは認める。
そう冷静に考え、国王は顔を歪めた。
八年前にはまだまだ若く、それまでは黙って自分に従うばかりの大人しい息子であった。その部分を多少物足りないとは思っていたものの、まあ後継者には及第点であろうとの評価を下していた。
それが、マユリアを奪い合ったあの時から、ガラッと変わってしまった。
積極的に政治に関わる機会を増やし、剣や槍、乗馬、その他この国では必要がなかろうと思われる実戦的な訓練にも精を出し、みるみる変わっていった。頼りがいのある後継者になっていった。
先代があのような亡くなり方をし、マユリアを巡る争いにも一度フタをしてすると親子の仲も落ち着いて、悪いものではなくなっていたと思っていた。
「それが、またあのように」
交代が近いと知り、毎日のように自分の元へ来るようにとの使いを送っていると聞いた。
「阿呆めが……」
もう一度同じ言葉をつぶやく。
自分とマユリアの間には「約定」がある。
先代の死によって一度は「延期」されたが、破棄されたわけではない。今も生きている約束だ。
どうやらマユリアは人に戻ったら一度親元へ帰りたいと言っているらしい。その気持も分からぬではない。
聞くところによると皇太子はそれを許さず、後宮入りした後に宿下がりとして戻ればよかろうと言っているらしい。
「全く人の気持の分からぬ者よ、それほどのことも許さぬとは狭量な」
国王は自分の息子を見下すような笑みを浮かべ、そうつぶやいた。
自分は息子とは違う、国王は度量が広いのだ。一度親元へ戻した後、そこから後宮へ迎えてやればよい。そのぐらいのことを許さぬことはない。
それに、神であるマユリアに命令はできぬが、人に戻った後はあの「誓約書」を見せて説得すればよいのだ。確かに後宮へ入ると書いてマユリアのサインもしてある。
一度は後宮入りを了承していたこと、それからまだ手元に「誓約書」があることからの余裕であった。
「あの女神は私のものだ、神がそう定めたのだ。それが誰であろうとも渡すつもりはない」
相手が誰であろうとも、邪魔する者は排斥してやる。
国王はそう心に決めていた。




