18 皇太子の決意
「まだ色よい返事は聞けぬのか」
3度目のシャンタルのお茶会が開かれているちょうどその頃、とある場所では高貴な服装の男が、イライラと目の前の男に言い捨てていた。
「はい、申し訳ございません」
卑屈に頭を下げたのは神官長だ。
いつにも増して弱々しく見えた。
神官長は王宮の皇太子の部屋へ呼ばれていた。
用はもちろん、マユリアの後宮入り、皇太子の側室となる件である。
「何しろ一度親元へ帰りたいとおっしゃるもので、それを止める理由がないのです」
皇太子が冷たい目で神官長を見る。
今年31歳になる皇太子は八年前に父親である国王とのマユリア争奪戦に破れ、一度はどうしようもない気持ちを抱きながらも手を引くしかなかったものの、あの出来事で父王が「おあずけ」を食らった後、次はどうやっても己のものにと強く心に決めていた。
当時の自分はまだ若く、盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ力の強い父親にはとても叶わなかった。
「だが今は」
皇太子が続ける。
「私の方が父上よりも上だ。叶わぬことなどない」
「おっしゃる通りでございます」
神官長がさらに平たく頭を下げる。
「親元へならば後宮入りした後、あらためて宿下がりという形で行けばよいではないか」
「はい、そうも申し上げたのですが、どうしてもすぐに親元へ行きたい、そうおっしゃってお聞きにはなられません」
「それを取次役という者が説得するのではなかったのか?」
「はい、セルマも説得はいたしておるのですが、お気持ちは固く、どうしても気持ちを変えてはいただけません」
皇太子は整った眉をキリキリと引き上げ、全く気に入らぬという顔になる。
顔の造作自体は美男子と言えるものであろう。よく手入れされた肌も艷やかで、男盛りの今、何もかもに自信に満ちた表情もそれにふさわしい実力があってのこと、驕りや、その立場におもねる者たちに持ち上げられての裏打ちのないそれではない。
実際、国での評判は悪くはない。
いかにも次の国王にふさわしい、人品骨柄申し分ない、皆がそう認めている人物だ。
だが、ことマユリアのことになると冷静さを欠くこととなる。
マユリアは皇太子の初恋の人であった。
まだ幼い7歳の頃、父に連れられ謁見した折、当時まだ4歳だったマユリアの煌めくような美しさに神に対して不遜な気持ちと恐れつつも一目で恋をした。それ以来ずっとずっと恋い焦がれてきたのだ。
その立場上正妃を娶り、役目として跡継ぎの王子たちをもうけはしたが、それは皇太子という己がやらねばならぬ務めであったからだ。正妃を尊重し、妻として大事にはしてきたが、決してそれは恋だの愛だのという感情とは別のこと、皇太子として、夫としての義務からだ。
皇太子が真に求めるのはマユリアだけ。
これだけは相手が誰であろうと譲らぬ。
八年前のあの屈辱を、二度と味わうつもりはない。
「八年前には後宮入りの話をすんなりと受けたではないか。なぜ此度はそのように拒否するのだ」
「それが、年齢のことをおっしゃってもおりました」
「年齢?」
「はい、もう自分は盛りを過ぎた年齢である、いまさら後宮には入れぬと、そのように」
「あの美しさの前に八年の月日など、どのような問題だというのだ」
「はい、そうも申し上げました。いかにお美しいかと。ですが、よいお顔はなさいませんでした」
「全く、何が不服だと言うのだ……」
皇太子はそう言った後、
「まさか、それほど父上が良いと言うのではないだろうな?」
「いえ、それはございません」
神官長がはっきりと否定する。
「親元に帰りたいと、それははっきりとおっしゃっています」
「では、父上との約束を守ってというのではないのだな?」
「いえ、あの、それが」
「なんだ、はっきりと申せ」
「国王様はその八年前の約定がまだ生きておる、そのようにお考えです」
「知っている」
皇太子は不愉快そうに眉をひそめた。
「父上はもう老人だ、先がない」
あまりにはっきりと言うので神官長がオロオロとする。
「それで天上の美姫を手に入れてどうしたいというのだ? 宝の持ち腐れとはこのことだと思わぬか?」
今度は自分の父親を鼻で笑う。
「だが、その老人が国王だというだけで、私はまた今回も唯々諾々と従わねばならぬのか? 冗談ではない!」
皇太子が蔑むような目でどこか遠くを見る。
「マユリアは私のものだ。なんとしても諾と言わせるように」
「は、はい……」
「そのためならばなんでもする」
「なんでも……」
その言葉に神官長の目が光を帯びた。
「本当になんでもなさいますか?」
皇太子が少し体を引くようにして神官長を見た。
「なんでもなさいますか?」
「方法があると言うのか?」
「はい」
皇太子はじっと神官長を見ていたが、豪華な椅子にあらためてどっしりと座り直す。
シャンタル宮とは趣が違うがやはり豪華な部屋。
シャンタリオの後継者の部屋にふさわしい綺羅びやかな部屋である。
優雅でありながらもどこか雄々しいその設え。
皇太子が座る椅子の背後には凛々しい虎と獅子の描かれたタペストリーが飾られている。
聖なる神獣が王国の次代の主を見守っている。
神官長は二頭の猛獣たちに気圧されぬように呼吸を整えながら、皇太子をじっと見上げた。




