4 拒む理由
セルマはじっとマユリアの言葉を待つ。
本当に分からないのだ、なぜ今は後宮入りをこうまで拒むのか、が。
マユリアはしばらくじっとセルマの顔を見つめていたが、ゆっくりと顔を背けて言う。
「八年という年月は長いのでしょうか、それとも短いのでしょうか」
「え?」
真意を測りかねるという表情でセルマはマユリアを見る。
「わたくしにも分かりません。あの特異な出来事を思い出すとまだ八年、日々の自分を振り返るともう八年、そのように思えます」
それはなんとなくセルマにも理解できた。
年月とはそのようなものだ。
早くも遅くも感じる。
その時々に、状態によってどちらにも感じられる。
「一度そうと決めたことが数年の年月の後、違う考え方になることが、それほど不思議なことでしょうか?」
「ですが、相手は王族です。そのような詭弁が通じましょうか!」
「詭弁、ですか」
マユリアが表情を変えずにセルマに返す。
「あれほどの出来事があり、己の運命も変わったと感じたこと、それを詭弁と言われるのなら、もう何を言っても無駄なこと」
先代の死のことを言っているのだ、とセルマは思った。
「人は、いつどうなるのか、誰にも分かりません。故にわたくしは、務めを終えたら両親に会いたい、お元気でいらっしゃるうちに。そう思うようになったのです」
「ですが、それでしたら後宮に入ってから里帰りなさるということも可能です」
セルマが必死に食い下がる。
「ご両親も、娘が女性として最高の栄誉に包まれた姿を見るのはお幸せだと思います」
「それでは、両親にそれが幸せかどうか伺って、幸せだとおっしゃるのなら、それから考えることにいたしましょう」
「それは……」
それでは困るのだ。
セルマは神官長との会話を思い出していた。
「どうやっても首を縦に振ってくださらないのだ」
神官長が弱りきった、という風にため息をつく。
数年前から少しずつ、皇太子殿下からの申し入れをマユリアには伝えていた。
「どうやってもマユリアを私の後宮に入れたいのだ。父上はもうお年だ、まだ若く次の国王たる私の元へ来る方がマユリアもお幸せだろう」
神殿が宮の役割の一部を受け持つようになり、宮での存在感を示し始めた頃、皇太子から神官長にそのように話を持ってくるようになった。
だが、どのように話を持っていっても、やんわりとはぐらかされる。
「曰く、そのように先のことは考えられぬ、曰く、一度は国王とお約束をした身、そのように無節操なお約束はできぬ、曰く、今はこの国にとって初めての苦難の時期、それを乗り切るのでせいいっぱい」
いくつもの理由を上げては断りを入れてくる。
「一体、何が気に入らぬと言うのだ。マユリアと言えど、任期を終えればただの人に戻る身、それを皇太子が、次期国王が、己の元に迎え入れようというのに、色良い返事をせぬとは」
神官長がイライラと多くはない髪をかきむしる。
「では、いっそ人の身に戻られたところを命令されたらいかがでしょう? マユリアに何も命じることができぬとしても、一人の民に戻られたならば可能でしょう」
「それでは意味がないのだ」
セルマの言葉に神官長がさらに渋い顔で言う。
「その場合、神殿は何もできなかったことになる。マユリアと皇太子殿下の仲を取り持った、その事実がほしいのだ」
神官長が望むのは、マユリアの、女神の後宮入りに神殿が尽力したことにより王宮よりの信頼を得ること。セルマはそう理解した。
「そもそも八年前はすんなりと受けたはずだ。それをなぜ今になって拒まれるのか……」
頭を抱える神官長に、セルマは一つ聞いてみた。
「あの、国王陛下からのお申し出ならお受けになる、ということはあるのでしょうか?」
一度は受けた。だがその話は国王からの話であり、皇太子からのものではない。
「いや、ない」
神官長が首を横に振る。
「そもそも後宮に行くつもりはなく、親元に戻りたい。そうおっしゃっている」
「さようですか……」
なんとなくほっとした。
老いた国王の元なら行くが、若く健康な次の国王の元へは行きたくないと言われても、それもまた意味がよく分からないからだ。
一度後宮に入ったら、後は一生後宮暮らしになる。
ならば、嫌な言い方をすれば、長く現役でいられる相手の方がいいだろう。
もしも国王の元へ行き、高齢の国王に早々に何かあった場合、後は次代の女性たちの陰に隠れてひっそりと生きるしかなくなる。
「そうなのだ」
神官長もセルマが考えたことが分かる、という風に答える。
「もしも国王様は嫌だが、皇太子殿下の元になら行くと言われるのなら理解できないこともない。だが、どちらも嫌だと言う」
「ええ」
「まったく、女性として最高の栄誉を得られるというのに、何をお考えなのか……」
男性である神官長は分からないと頭を振る。
だが、女性であるセルマには、なんとなく分かった気がしないでもない。女性として栄誉ではあるかも知れないが、その相手が望まぬ相手だとしたら行きたくないと思うだろう。
八年前のあの騒ぎ、そして今回の漏れ聞こえる争いの再開、口には出せぬが、嫌になる理由がないことはない。
王家の血に不敬ではあるが、とそう言い訳しながらも、そう思う気持ちは否定できなかった。