2 非難
「セルマ」
マユリアは優しく言う。
「おまえのその気持ちはよく理解しております」
「では」
「ですが」
マユリアはセルマの言葉を遮った。
「わたくしは、さほどに健康状態に問題があるように見えますか?」
「いえ、それは……」
セルマは返答に困る。
「みなが言うように、確かに通常のマユリアの倍の任期を務めております。そのためにみなが心を配ってくれることはまことに心に感じるものです。感謝しています」
「それでしたらば」
「ですが」
再度遮る。
「わたくしにも心があります。おまえにはそれが分かっていますか?」
セルマが言葉に詰まる。
「もうすぐ交代があります。その後、わたくしは市井の者に戻るのです。その前に、長年苦楽を共にした侍女頭の体調不良を聞き、その様子を見に行くことがそれほどの罪でしょうか?」
マユリアの言葉を聞き、しばらくセルマは時間を置いてから、
「承知しております、マユリアにもお心があること。ですが、そのお心を重視するあまり、会いたい者に会い、やりたいことをやり、行きたいところに行くことでマユリアのお命が縮まることがあったとしたら? その会いたい者の心のことはどう考えればいいのでしょうか?」
そう一気に言い切った。
「よく分かっております。ですが、分かった上で申しております。憎まれようと嫌われようと、マユリアの御為にならぬことには否と言うしかセルマにはできぬのです」
キッと顔を上げ、真下からまっすぐにマユリアを見上げる。
マユリアはその顔を正面からじっと見返す。言葉はない。
「今一度申し上げます。『わたくし』は、マユリアの御為に申し上げております。ですから、たとえ相手が『キリエ殿』であろうとも、もう二度とそのようなお振る舞いは」
「『わたくし」……」
思わぬ言葉で三度マユリアがセルマの言葉を遮った。
「は?」
セルマは、何を言われているのか分からぬという顔で目を丸くし、あらためてマユリアの顔を見上げた。
「特に宮に決まりはないことと今までは知らぬ顔をしていましたが。おまえはいつから自分のことを『わたくし』などと称すようになりましたか?」
言われてセルマが顔色を変える。
「わたくし」という一人称、これは宮においてはシャンタル、マユリアの両女神、それから今は元女神であるラーラ様だけが使っている一人称である。
王宮においては王族の方々のみ、貴族の夫人たちも使ってはいない。
特に法律で定められたものではなく、長年の間の慣習ではあるが、暗黙のうちにそう定められ、長い年月が経っている。
言われて黙り込んだセルマにマユリアが続ける。
「法で定められたものではなく単なる慣習のこと、気にはしていましたが、特に咎めることもなかろうと今まで言わずにおりました。それから」
少し残念そうな表情でマユリアが続ける。
「キリエ『殿』とは、これは一体なぜですか?」
「それは……」
言われてまた黙り込む。
「おまえが自分をどう称しようとも、それはおまえ自身のこと、特に何かを言うつもりはありませんでした。ですが、キリエに対してその言いようはいかがなものか。そのようであると耳にしたことはありましたが、今までわたくしの前でそう呼んだことはなく、自分で聞いてもおらぬことで咎めだてするのもどうか、そう思って言わずにおりました」
セルマは黙ったまま視線を床に落とし、じっとそのまま動かない。
「この宮の侍女を束ねる者は侍女頭であるキリエです。『取次役』という役職はあくまで『奥宮』と『前の宮』の取次をする役割にすぎません」
きっぱりと言われ、セルマが悔しそうな顔になっていることにマユリアも気が付く。
「ちょうどよい機会ですから言っておきます。『侍女頭』は『取次役』よりも上の役職です。侍女の最高位が『侍女頭』なのですから。それをよく心に留め置くように。分かりましたか?」
マユリアの言葉を聞き、セルマはきつく歯を噛み締めてから、それでも大人しく、
「はい、分かりました……」
そう答えた。
マユリアは悲しそうな顔で続ける。
「おまえの忠義心、この宮のことを思って日々力を尽くしてくれていること、それには衷心より感謝しています。ですが、それ故に、おまえの心が頑なになり、それを通すために必要以上に己を大きく見せようとして、他の者たちに勘違いされる。それもまた、わたくしたちには辛いのです。分かってくれますね?」
セルマは少しだけ黙って考えていたが、
「一つだけ伺ってよろしいでしょうか?」
「なんです」
「マユリアは今、『わたくしたち』とおっしゃいましたが、マユリア以外はどなたのことなのでしょう」
答える前にそう訪ねた。
マユリアは少しだけ驚いた顔になったが、仕方がないという風に目を閉じて答えた。
「わたくしとラーラ様です。シャンタルはそのようなことを理解なさるにはまだ幼い」
「マユリアとラーラ様……」
それを聞いてセルマは少しだけ表情を緩めた。
セルマが今一番の敵と見るキリエが含まれてはいなかった、そのことに安堵したのだとマユリアもその表情を見て理解した。
マユリアがセルマを嗜めたつもりの言葉をセルマは非難と捉え、そこにキリエが入っていないことに安堵したのだと。