20 確固たる絆
もうこれ以上は何を聞いても無駄だとマユリアは判断した。
ただ……
「わたくしはおまえを信じています」
そう一言だけ伝えた。
「ありがとうございます。私もマユリアの御為、シャンタルの御為なら、この老いた価値のない命でよろしければ、今すぐにでも捨てる覚悟がございます。その心に寸分の曇りもございません」
キリエはソファから降りて床に膝をつき、深く腰を曲げて頭を下げる。
「頭をお上げなさい」
マユリアが声をかけて頭を上げさせた。
「こちらへ」
もう一度ソファに座らせる。
「わたくしはおまえを信じています」
マユリアはもう一度同じ言葉を口にする。
「信じて良いのですよね?」
その上であらためて確認した。
「はい、お信じください」
キリエはきっぱりと言った。
「何があろうとも、私は、キリエは、マユリアとシャンタルの御為に存在しております」
年を経て少し白く曇ったその黒い瞳。
だがその奥には真実のみが映されているとマユリアは思った。
「分かりました」
マユリアもその深く黒い瞳でじっとキリエを見つめた。
「わたくしもおまえを信じます。この先、何があろうとも、それが例えば他の者の目には裏切りと映ろうとも、それはおまえがわたくしの、シャンタルのためにやってくれていること、そう信じます」
「はい」
主従の間にあらためて絆がつなぎ直された。
いや、絆はずっと存在していた。
その上からさらに太く強い絆を結び足したのだ。
「では、わたくしは戻ります」
「はい、ご足労いただきありがとうございました」
マユリアはソファから立ち上がり扉に向かう。
「あ、そうそう」
足を止め、振り返ってキリエに言う。
「体調は良いのですか? 見舞ったところ、顔色も良いようで安心いたしました」
キリエが丁寧に頭を下げて言う。
「はい、ご心配をおかけいたしましたが、このように体調は落ち着いております。マユリアにお見舞いいただき、また少し元気になったように思います。本日はわざわざありがとうございました」
キリエが体調不良と聞き見舞いに足を向けた。
こうしてそれが事実となった。
「では、大事になさい」
「ありがとうございます」
パタリと扉が閉まった後も、まだしばらくキリエは頭を下げ続けていた。
マユリアはキリエの私室から出るとまっすぐにシャンタルの私室へと戻った。
「話を聞いて参りましたが、キリエも知らぬことのようでした」
マユリアはラーラ様にも会話の内容を伝えた。
「そうでしたか。では託宣は当代がなさったこと、それでもう間違いはないということですね」
そう言って、ホッとした顔をする。
ラーラ様は胸の前で両手を組み、
「よかったですね、シャンタル」
そう言って、当代が次代様のご誕生の託宣をなさったことを心から喜ぶ。
「ですが」
その後でラーラ様はふと顔を上げ、心配そうにマユリアの顔を見た。
「ああ、そのことなら」
ラーラ様が何をおっしゃりたいのかを読み取るように、マユリアが続ける。
「キリエが少し体調をくずしたと耳にしたのでお見舞いに参りました。思っていたより元気そうで安心いたしました」
「そういうこと」にしたのだと、ラーラ様も気がついたようだ。
「さようでしたか、それはよう御座いました。キリエはどうしていましたか?」
「はい、わたくしが尋ねましたら、ソファで休んでいたようですが、律儀に起きてまいりました。そして少しばかり体の具合などを尋ねたりいたしましたが、わたくしの顔を見たら元気になった、と」
「そうですか」
ラーラ様が安心したような顔をする。
「わたくしも長くキリエに会っておりません。今度一度尋ねてみようかと思います」
「ええ、喜ぶと思います」
「シャンタルもお連れしたらどうでしょう?」
ラーラ様は幼い頃にキリエに大事にされていたシャンタルが、この三年ほどほとんど会えない侍女頭のことをよく覚えていることを知っていた。
「ねえ、キリエはどうして来ないの?」
以前、セルマがいる時にシャンタルがそう尋ねると、セルマが、
「キリエ様はお年を召されて、もうシャンタルのお世話があまりよくできないのですよ。あまりご無理を言って疲れさせてはいけません」
そう言ってがっかりさせていたのも知っている。
セルマはキリエに敵対心を持っている。
今は自分をマユリアに次ぐ高い位置にある者とでもするように、老いた侍女頭をあえて無視するように物事を進めることが多くなった。
「セルマは確かに有能かも知れませんが、誰にでも負けまいとする心が少しばかり強いようで」
ラーラ様はそう付け加えた。
「侍女の資質」
以前、キリエがミーヤとリルに話したそれは、
『侍女の資質、それは己より仕える主を優先すること、一心にお務めに邁進できること。つまり自分を捨てて他人を大事にできる者、他者の喜びを己の喜びとできる者です』
このような言葉であった。
当時、シャンタルの託宣をいただき、道を踏み誤らず、まっすぐに自分の生きる道を見つけたリルは、自ずとその心に目覚め、侍女らしくなった。
「まだ若いセルマがキリエに対抗するのも仕方のないことかも知れません。ですが、わたくしはそれがとても悲しく感じられるのです」
ラーラ様が目を閉じてそっと言った。