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これだから双子は嫌いなんだ。



【プロローグ】



 “好き”は二種類存在する。

 食べ物が好き、動物が好きなどと大雑把な括りでまとめられる“LIKE”

 胸が締め付けられる、気が付くと目で追っているなどと特定の異性に恋焦がれる“LOVE”

「小学校の頃から好きでした。付き合って下さい」

 他の生徒が居なくなった静かな放課後の教室でド定番な告白をする。

 彼女とは小学校から一緒でそれなりと交流があり、話している内に好きになった。

 脈アリな行動も取られていた為に今日告白した。

 しかし、

「ごめんなさい。私、あなたじゃなくてあなたのお兄さんが好きなの」

 女子生徒は振るだけでは無く余計な一言まで添えて俺を振った。

 悲しみに溺れる俺を他所に女子生徒はそそくさとその場から立ち去る。

「……なんで…」

 机に突っ伏し女子生徒の言葉を脳内でリピートしていた。

『あなたじゃなくてあなたのお兄さんが好きなの』

「なんで……兄貴ばっかり…」

 俺の双子の兄はお世話ではなくモテていた。

 噂ではファンクラブまで出来ているとかいないとか。

「同じ歳なのに、同じ母親から産まれたのに、どうして兄貴だけモテるんだ」

 双子には二種類存在する。顔が瓜二つな一卵性双生児と顔が似ていない二卵性双生児。

 自分が兄と同じ顔で産まれて来なかった事を遺伝子レベルで後悔する二卵性双生児の俺。

 そして、心は歪みに歪んでとある計画を思い付く。

「良いだろう。そんなにモテるんならとことんモテさせてやる」

 涙で頬を濡らした顔を上げる。

「女に埋もれて、ハーレムで潰れろ」

 声に怨みを乗せ、目に妬みを覆わせる。

「クソ兄貴ハーレム計画だっ!」

 静かで小さくて惨めな双葉海斗の復讐の始まりであった。



第一話【作戦、計画始動】



 春は別れの季節でもあり出会いの季節でもある。

 今日から高校生となる生徒達は異なる環境と新たな出会いに期待と不安を抱きながら登校する。

 そんな中で期待も不安も抱くこと無く登校する。

「はー何だか緊張するね」

 距離を置いて歩いてるのにも関わらず話しかけて来たこの男は双葉陸斗。

 俺の双子の兄でありこの世で一番嫌いな存在である。

「うるせぇ話し掛けるなフライパンの裏の焦げカス。最低限の二酸化炭素だけ吐いてろ」

 こちとらお前と一緒と思われたくなくて離れてんだ。

「そんな事言わないでよー」

「近付くな雑草!天に言われてなければ誰がお前となんぞ登校なんかするか!」

 近付くだけで悪寒が走る存在とどうして一緒に登校しているのかと言うと、我が妹の双葉天に『二人で学校行って来てね』と言われたからである。

 可愛い妹のお願いがなければこんな動く産業廃棄物と一緒にいるだけで蕁麻疹が出る。いや、もう出てる。

「陸くーん!」

 十字路を通り過ぎようとした時、左側の歩道から声が聞こえる。

 左を見ると明るい茶髪のポニーテールを靡かせながらこちらに小走りで向かってくる女子事七条紅音。

 活発な彼女は保育園からの古い仲であり、幼少期から家族ぐるみの仲でもある。

「おはよう紅音」

「おはよう!海くんもおはよう!」

 どうして距離とってんのに二人して話し掛けてくるの?

 目線を合わすがすぐに逸らしては背中越しに挨拶だけ交わす。

「一緒のクラスになると良いね!」

「そうだね。皆一緒が良いよね」

 それは言語道断だ。お前と一緒の教室とか考えただけで入院ものだ。ナースコール連打してやる。

「ねぇ聞いた?うちの学校に超お嬢様も入学するんだって!」

「お嬢様?」

「うん!何でも鷹木グループの長女だって!」

「鷹木グループってあの?」

鷹木グループとは、この街ではかなり有名で飲食、建設、医療と様々な分野で活躍する超が付くほどの大手企業だ。

 その会長の孫娘が俺達が向かっている高校に入学するとかしないとか。

「へー!それは凄いね!」

「お友達になれるかな?」

「これで同じクラスになったら面白いよね」

 あーはいはい新学期早々桃色空間お疲れ様で……待てよ?

 陸斗の言葉を聞き、俺の頭の上に!マークが浮かぶ。

 こいつの発言によってフラグが建設された。ならば、それを活用してやろう。

 そして後ろでイチャついている二人を無視して急ぎ足で学校に向かう。

「海くん?」

「悪いが先に行く。お前らは二人仲良く登校してろ」

「天に言われたのに?」

「一緒に登校はしていた。ずっととは言われていない」

 一緒に登校する約束に、『最後まで』とは含まれていない。

 よってこいつと校門まで行く理由はない!さすが俺!卑屈の塊!

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

「良いじゃない陸くん。海くん気を付けてね」

 いつもなら引き止める側の紅音だが、『二人仲良く』の言葉を聞いて満更でもない表情で逆に陸斗を引き止めてくれた。

 ここまで俺の策略とも知らずに二人を置いて早歩きで向かう。

 学校では新入生を歓迎してくれているのか校門に花が飾られており、中庭にクラス表が張り出されていた。

 いち早く着いた俺はクラス表を確認し、笑う。

「良し。あの排気ガスと一緒のクラスなのは癪に障るが、計画を実行しよう」

 不敵に笑う姿に何人かが距離を置いていたが、そんな事俺には関係無い。

「見てろよ糞兄貴。目には目を、歯には歯を、リア充にはオーバーヒロインだ」

 俺はクラス表に記載されたクラスのクラスメイトの名前を眺めながら呟いた。

 

FIRST TARGET 【鷹木 黄美】



 ◆ ◆ ◆



 私立繚虹学園は中等部と高等部がありエスカレーター式で進学することができ、入学式は中等部と高等部混合で行われる。

 その為、高校側の新入生は見知った顔がほとんどであり新鮮感はあまり感じない。

 我が妹の天もここの中等部にいるが、天は今年で三年生な為入学式には参加していない。

「新入生代表、双葉陸斗」

「はいっ」

 あの歩くヘドロは幼い頃から成績優秀で、この学校の入学試験もオール満点で合格していた。

 この学校は首席で合格した者が新入生の代表として挨拶をするのだ。

「はぁ…陸くんあんなに立派になっちゃって…お母さんは嬉しいよ……」

「お母さん、周りの目が痛いから軽率な発言はよそうな。息子からのお願いだ」

 後ろで座って涙を拭くフリをする紅音の姿が容易に想像が出来る。

 決められたそれっぽいテンプレ文を読み終えた陸斗は壇上から降り、歩く姿を見て頬を赤くする女子が多数確認できる。

 華々しい姿を記録しようと後ろで紅音が写真を撮りまくっているが無視していると入学式は何事も無く終わる。

 各々自分のクラスへと戻り担任が来るまで賑やかなムードに包まれていた。

 そんな教室に二つの人混みが生まれていた。

 一つは陸斗に群がる女子達だ。

 質問攻めのオンパレードにヘルプを求める視線を感じたが、残念だったな俺はゲームに夢中だ。気付かなかった事にしよう。

 そしてもう一つは、

「鷹木さんってあの鷹木グループのお嬢様なの?」

「凄い綺麗ー!どこの化粧水使ってるの?」

 紅音が言っていた鷹木グループのお嬢様、鷹木 黄美に群がる男女の群れだった。

 栗色のロングヘアで艶かなで触り心地が良さそうな髪の毛。

 体型はそこまで強調しない胸と謙虚な尻とスタイルは抜群。

 そら男子は下心で、女子は興味で集まる訳だ。

「髪の毛綺麗ね!地毛なの?」

「そうですわ。お母様がロシア人ですので」

「へぇー!」

 鷹木の群れにいつの間にか混ざっていた紅音は何故か鷹木の前の席に座って一番距離が近い。

 コミュ力の塊と言っても過言では無い。

──さて、どうあいつをくっ付けるか…

 王道ラブコメだったら遅刻寸前の所で曲がり角でぶつかって以下略の展開なのだが、あのお嬢様は高級外車で登校しているのを目撃した。

 故に王道テンプレの一つは潰された。

「うーい、席に着けー」

 何とも気怠く登場した担任は雑に自分の自己紹介をして連絡事項を流しで言っていった。

「自己紹介とかは各自やっとけ。それより学級委員長を決めるぞ」

「えぇ…委員長か…」

「面倒くさそうだしなー」

 他の生徒は皆やる気は微塵も無い。

 雑務を任せられるんだ。好きで立候補する奴は頭がイカれてる。

「はいっ!僕やります」

 あ、居たわ。身近にイカれてた奴。

 陸斗はこういうリーダーシップをとる事が多く、義務感でも働いているのか集団を取り纏める役に自ら進んで立候補する。

「委員長は即決か。なら次は副委員長だが──」

 こうなると陸斗と近付きたいが為に副委員長になりたい奴が殺到するだろう。

 だが、そうはさせん。

「はいっ。副委員長は鷹木さんが良いと思います」

 ここで俺はすかさず鷹木を推薦する。

 周りから余計な事をと思われているだろうが、そんな事知ったこっちゃない。

「推薦されてるが、どうだ?鷹木」

「良いですわよ。副委員長やらせて頂きますわ」

「即決で助かる。じゃあ双葉と鷹木で決まりな。早速だが今日の昼休みに渡す物があるから二人は職員室に来てくれ」

 まずは第一関門の二人っきりのタイミングを作る事に成功。後は昼休みを待つのみ。

 王道ラブコメ展開ならここで陸斗が鷹木より多く書類を持って良い雰囲気になるはずだ。

 そして昼休み。

 昼食を取った後二人は職員室に向かう。

 俺はその後ろをバレないように尾行する。

 おい、そんな変な目で見るな田中。

「じゃあよろしく頼むぞ」

 担任から大量の書類をクラス皆に配るよう頼まれた二人は半分ずつ書類を持つ。

「鷹木さん、少し持とうか?」

 さすが天然女たらしだ。俺が何もしなくてもフラグを建てようとしてくれる。

 しかし、鷹木はそれを拒んだ。

「大丈夫ですわ。私は副委員長ですので責任は持てませんのでこのくらいはさせてもらわないと困ります」

 おっとここで早速テンプレブレイク発動。

 だが問題無い。俺は常に不測の事態に備えている。

「──だからよー」

「っ!?」

 事前にクラスメイトA(阿部)に頼んであえて鷹木の肩にぶつかるよう指示していた。

「おっと。大丈夫?」

 その結果、鷹木はゴキブリ野郎の肩に密着するような形になる。

 思いがけない出来事に鷹木は頬を赤らめ咄嗟に離れるが満更でもない表情をしている。

 良くやった阿部。褒美にグラビア写真集を進呈しよう。古本屋で売ってる昔懐かしい写真集をくれてやろる。

「も、申し訳ありませんわ……」

「お気になさらず。やっぱり重そうだから半分持つよ」

「い、いえ!そのような事…」

「大丈夫だよ。責任とか変に重く考えないで。僕が好きでやってるんだから。それに女の子に重い物を持たせたくないしね」

 はい、トドメの一発来ました。どんな乙女も一撃で落とせる爽やかイケメンスマイル頂きました虫唾が走るので死んでください。

「あ、ありがとうございますわ…」

 鷹木の表情の赤みが首まで到達し、高揚した顔を下に向ける。

 これはフラグ建ちましたわ。ありがとうございます。

「……双葉さん…」

「陸斗で良いよ」

「では陸斗さん…放課後お暇ですか?」

「放課後?」

 はいはいはいはいフラグが乱立しております。暇だったらお茶という名の放課後デートのお誘いですね。

 さすが特級フラグ建築士仕事が早いからとりあえず豆腐の角に頭ぶつけて死ね。

「放課後かー。ちょっと待ってね」

 そう言って陸斗は片手をポケットに入れては携帯を取り出し、何やら操作している。

 次の瞬間、俺の携帯が鳴り出す。

 確認すると、陸斗からのLIMEだった。

『今日の放課後って暇?』

 どこまでテンプレを通すんだこいつは。

 美少女からのお誘いを何だと思ってんだ箪笥の角に小指ぶつけて死ね。

『放課後予定ある。一人で死ね』と送り付ける。

 俺からの返信を見て陸斗は一瞬しょぼーんと顔文字に出来そうな表情をして携帯をしまう。

「放課後大丈夫だよ」

「でしたら少しお茶などいかがですか?」

「お茶?うん、良いよ」

「っ!ありがとうございますわ!」

 良し。これでお嬢様系ヒロインのフラグは完璧に建った。

 後はどう告白させるかだな…

 過程より結果を重要視する俺は尾行を止めて遠回りをしてクラスに戻る。

「意外と積極的だよな鷹木。これだったら休日デートも案外早いかも……」

 考え事をしながら歩いていると前に意識は無いため前方の女子生徒と肩がぶつかる。

「おっと。悪ぃ」

「………」

 女子生徒は肩をぶつけられたのにも関わらず何も言わずに去って行く。

「んだよ。感じ悪いな」

 無言の女子生徒の後ろ姿を見ながら少し機嫌を悪くする。

 あんな女は放っておこう。きっとヒロインではないしな。

 考案した作戦を忘れないよう急いで教室に戻ると、額から今にでも角を生やして鬼にでもなるのかと言わんばかりのオーラを放つ紅音と、これから修羅にでもなるんですかと言わんばかりのオーラを放つ黄美が脂汗を滝のように流している陸斗を挟んで立っていた。

「陸くーん?放課後は私と部活の見学に行くって約束してなかったっけー?」

「陸斗さん?お暇と言っていましたわよね?」

「えっと…ごめん、忘れてた…」

 見ての通り、紅音は陸斗の幼馴染系ヒロインだ。

 俺が何かした訳ではなく、幼い頃に勝手にフラグを建てていたので計画で作り上げたヒロインでは無い。

 計画当初は紅音を初ターゲットにしようとしたが、そうする必要が無いくらいフラグが増築していたのだ。

「そ、そうだ!部活の見学は半分だけにしよう!一気に全部見ても決めきれないだろうし!その後お茶しよう!三人で!」

 あんぽんたんの提案を聞いた二人の鬼気迫るオーラが増すのが分かった。

 やめなさい二人とも。入学初日に死人でも出す気ですか。

 周りの男子を見なさい。羨ましそうに見る奴らもいるが青ざめて恐れている奴もいるぞ。

「何してんだ?」

「あっ海斗!」

「聞いてよ海くん!陸くんったら!──」

「どなたか存じ上げませんが陸斗さんが──」

「はいはい二人同時に話し掛けんな。聖徳太子じゃないぞ俺は」

 あれ?僕は?と目線を感じるが無視する。

 目線を合わすと呪われそうだから。

「話は聞いてた。部活見学の期間は一週間もあるし、別に今日じゃなくても良いだろう?」

「うっ……確かに…」

「それに、せっかくの交流の場に水を差すのは良くないと思うぞ?」

 もちろん紅音の気持ちは分かるが、今はヒロイン候補を優先する。

 紅音は露骨に罰が悪そうな顔をし、逆に鷹木はパァっと笑顔になる。

「なので、今日の放課後は鷹木の番で。明日の放課後は紅音の番で良いだろ」

「それは名案ですわ!」

「うぅ〜。明日絶対だよ?」

「もちろんだよ!海斗ありがとう」

 最後に俺にしか聞こえない声量で言う生ゴミに唾を吐きたかったが、公共の場なので我慢した。

「ささっ、昼休みも終わりそうだしここいらでお開きだ。お前ら書類配るんだろ?」

「そうだったね。じゃあやろうか鷹木さん」

「はい!」

 満面の笑みで陸斗に着いて行く鷹木を羨ましそうに見つめる紅音。

 すまんな紅音。後で蛆虫野郎の寝顔写真をやるよ。コレクションが増えて良かったな。



   ◆ ◆ ◆



 俺は再び尾行をしている。

 味の無くなったガムと鷹木の放課後デートを後ろから観察している。

 おい可哀想な目でこっちを見るなチビッ子。社会の厳しさを教えつけるぞ。

「それで?どこに行くの?」

「最近話を聞くカフェですわ」

 目的地は今巷で流行っているお洒落なカフェ。

 ネット上で映える写真が出回り店の雰囲気と商品の見た目が可愛らしく有名になっている。

 傍から見れば美男美女カップルに見えてもおかしくないが、ただ歩いているだけでは何も発展しない。

「さて、カフェに着く前に一つアクションを起こしたい所だが、どう起こすか…」

 候補を絞っている時、前方から自転車が猛スピードで向かってくる。

 話に夢中で自転車に気付いていない鷹木の横をスレスレで通ろうとした時、陸斗が自転車との衝突を回避させる為に鷹木の肩を抱き寄せる。

「えっ?」

「あっ、ごめん。危なかったから」

 お分かり頂けただろうか?この行動は意図的にした物でなく、無意識に取っているのだ。

 さすがイケメン。何をするにもスマートですねバナナの皮でも踏んで転けて死ね。

「あ、ありがとうございます……」

「鷹木さんが気にする事じゃないよ」

「……さん付けはやめて欲しいですわ…」

「へ?」

 何アホ面でアホっぽい返事してんだ埃風情が。

「黄美で良いですわ」

「いや、さすがに今日初めて会った人を呼び捨てにするのは……」

 こいつは真性のアホか?それとも脳の一部をどっかに落としてきたか?

 美少女にこんな事言われたら普通喜ぶだろ。

「呼んで欲しいですわ」

「えっと……分かったよ、黄美」

「……っ!」

「なんで黄美が恥ずかしがってるの?」

 こいつは一日でどれ程のフラグを建てるんだ?ギネスに登録されるんじゃないか?

 そんなこんなで目的のカフェに到着した二人は外のテラス席に案内される。

 室内じゃなくて本当に良かったと思ったのは内緒だ。

「こんなお洒落なカフェ初めて来たよ」

「喜んで頂けて何よりですわ」

 店内に入った瞬間周りの女性客が陸斗の方をチラ見していたが当の本人は気付いていない様子。

 そろそろ本当に眼科に行った方が良いよお前。

「──それでその時海斗がさー」

「……」

 しかし、なんでこいつは俺の話しかしないんだ?

 他にも話題はあるだろ。鷹木グループのお嬢様だぞ?退屈させて殺す気か?

「……何も聞かないのですね」

「ん?何を?」

「自分で言うのもあれですが、私はあの鷹木グループの令嬢ですのよ?他の人達は私の身の回りの事を聞いてきましたわ。それなのに陸斗さんは何も聞かないのですね」

 確かにクラスメイト達は鷹木の普段の生活、趣味、家族構成など個人情報保護法全く無視で質問していたが、陸斗はそんな事を聞こうとはしていなかった。

「なんでって言われても。そうだなー…」

 ほんの少し考え、陸斗は答えた。

「そう言う事は徐々に黄美から聞きたかったから、かな?だって質問責めされるの嫌でしょ?」

 これは陸斗本人がそう思っている事だ。

 陸斗も同じ質問責めにあう事が多く同じ質問同じ回答をする事が苦手になっていた。

「だったら違う話で盛り上がった方が良いと思うんだ。僕の場合家族の話題が多いけどね」

 申し訳なさそうに頭を軽く掻く陸斗の前で鷹木は再び頬を赤くする。

 こう言う事をサラッと言えるからこいつはモテるんだよな。俺には出来ん。

「……あの…」

「なに?」

「……陸斗さんは…好きな人はいらっしゃるんですか?」

 さぁここで鷹木選手の先制だー!良いフックですねー!

「ブフッ!えっ?急に恋バナ!?」

 慌て過ぎだろとツッコミを入れたいが我慢して観察を続ける。

「好きな人……うーん……今はいないかな」

「……そう、ですか」

 陸斗の回答を聞き鷹木はコーヒーを一啜りする。

 きっと喜びを必死に隠しているのだろう。その証拠にカップを掴む指が若干震えていた。

「黄美は好きな人いるの?」

 どうしてそんなデリカシーの無い事を聞けるんだお前。

「……いますわ」

 ほい来たー!来ましたー!恥ずかしいのか頬を赤くしております!しかし視線はしっかり不燃ごみを捉えております!

「へぇ!いるんだ!どんな人?」

 興味津々な表情でデリカシーの無い発言しているお前です。

「優しくて気遣いが出来て、話しているとここを温かくさせてくれる人ですわ」

 鷹木は胸に手を当てて答える。

 その姿は聖母マリアと言っても過言では無い。

 いかんいかん。気を張ってなければバブみが爆発するところだった。

「そう、陸斗さんみたいな人ですわ」

 おぉっと!ここで鷹木選手の強烈なストレートだ!これは並の人間なら即ノックアウトだ!

「へぇ。良い人だね」

 誰かこのバイ菌に熱消毒したばかりの熱々の哺乳瓶を叩き付けてくれ。俺は人肌+αまで温めたミルクをぶっかけてやるから。

 見ろよあのお嬢様の顔。人生で初めて告白したのにスルーされて驚きを通り過ぎてアホ面してるぞ。

 鷹木の遠回りな告白を聞いた俺は初計画の達成に胸がブレイクダンスしそうになる。

 まだ踊るには早いぞMyハート。老後の為にその元気は残しておけ。

 たった一人ヒロインを作っただけでハーレムとは言えないからな。

 そして気が付けば日が暮れる一歩手前。

 春と言っても日が落ちれば肌寒さは残る。

「寒くなる前に帰ろうか」

「そうですわね。今日はありがとうございましたわ」

「こちらこそだよ。すみませーん」

 お会計を終え、二人は帰路に立つ。

 何気ない会話を楽しんでいたが、出会いがあれば別れもある。

「じゃあまた明日ねー!」

「はい!また明日!」

 手を振って見送る陸斗は鷹木の姿が見えなくなったと同時に踵を返す。

 俺も後は帰るだけだが、まだやる事があるので陸斗とは反対方向、鷹木の後を追った。

「双葉…陸斗……」

 頬を染めながら小さな声で陸斗の名前を連呼する鷹木を確認して、俺は安心した。

「──ミッション達成」

 鷹木の様子から見て完全に陸斗に惚れている。

 一度告白をスルーされて諦められてしまう事を懸念していたが、それはないようだ。

 我ながら初の計画にしては上々では無いだろうか。

 後半は何もしてないけど。

「今日は美味い飯が食えそうだな」

 沈みかけている夕日を見ながら俺は満足気に呟くのであった。



 翌朝、いつも通りの時間に起きていつも通りの時間を過ごす。

 陸斗と一緒に登校したくない俺は一足早く家から出ようと玄関を開けた。

「……おはようございます」

「あら?どうしてあなたがこの家から?」

 玄関の前には鷹木がいたのだ。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている俺を見て鷹木は訊ねる。

「おかしいですわね…ここは確か陸斗さんの家のはずですわよね?」

 おかしいのはお前の方だ。なんで住所を知ってる?

「行ってきまー……あ、黄美!おはよう!」

「おはようございます!」

 なんでお前は鷹木がいる事に違和感を覚えない?

「なんで鷹木がここにいる?説明しろ」

「昨日の夜にLIMEで一緒に登校したいって言われたから住所送っといたんだ」

 なんだこいつの当たり前だよ?と言わんばかりと表情は。

 とりあえず、

「一発殴って良いか?」

「おぶふっ!?」

「陸斗さん!?」

 YES or NOを聞く前に腹パンを決める。

 どっちを答えてもする予定ではあったが本能的に先に手が出てしまった。

「じゃあ今度からこいつと一緒に登校してくれ鷹木」

「ところであなたは何なのですか?」

「俺?俺は海斗。こいつの……」

 弟とは死ぬ程言いたくない。

 こんな奴の兄弟ってのだけで虫唾が走るからな。

 それに、計画以外では女子と話す理由が特にないので俺は嘘をつこうとした。

「……親戚みたいな──」

「弟だよ。双子の」

「なっ!?てめっ!?」

「あら、そうでしたのね。では先程の行為は兄弟の戯れ合いみたいなものなのですわね」

 いや割と本気の腹パンでした。

「確かクラスも一緒でしたわよね?これも何かの縁でしょうし一緒に──」

「断る」

 桃色空間を味わいながら登校するとか考えただけで吐き気がする。

「てな訳で俺は先に行く。二人で仲良く登校しろ」

 そして俺が離れて少しして二人はお互いの顔を見合わせる。

「……じゃあ行こうか」

「そ、そうですわね」

 もちろんこのイベントも利用してヒロイン度を上げさせてもらう。

 イヤホンを耳に嵌めお気に入りの音楽を聞きながら俺は考える。

「さて、次はどんなヒロインが現れるかな」



第二話【苦闘、妹VS弟】



四月が終わり五月、そして六月を迎えた。

 シーズンはジューンブライドと聞こえの良い季節だが、実際は梅雨本番でありどんよりとした雨雲が空を覆っている。

 心まで曇りそうな天候に例外なく俺の心は曇模様である。

「随分と余裕だな?」

「あぁ?」

 放課後の空き教室。暇つぶし相手になっているこいつは服部武幸。

 爽やかな黒短髪にシンプルで目立たないシルバーのピアスがトレードマークのこいつとは知り合い以上友達以下の関係だ。

 どうしてこいつと知り合ったかと言うと、俺が鷹木と陸斗を尾行している所を見てたらしく、その後質問責めを食らい仕方なく計画を話した。

 するとこいつは『面白そうだな。俺も一枚噛むことにするぜ』と勝手に決め、以降つるむようになった。

「俺の手札に恐れおののけ!20だ!」

 今やっているトランプゲームはブラックジャック。

 カードの合計数が21に近い方が勝つシンプルなゲームだ。

「悪いな。俺の勝ちだ!」

「あぁそうだな。確かに悪い事をした」

 そう言って二枚の手札をオープンする。

 俺の手札はダイヤのAとキング。

「んなっ!?何ぃ!?」

「ナチュラルブラックジャックの場合ベット額は2.5倍。残念だったな」

「俺のチップがぁぁぁぁぁ!!」

 百円玉をチップと見立て積み重なった服部の百円玉を回収する。

 総額二千円と言ったところだろう。

「ちくしょう…俺の財布の雲行きも怪しくなってきやがった…」

「残念だが俺に賭け事を挑んでる時点で晴れ間を見ることはない」

「もしやズルか!?卑怯な!?」

「騙される方が悪い」

「少しは否定しろや!このイカサマ野郎が!!」

「怒んなって。ほら、これでジュースでも買ってこいよ。ついでに俺のもな」

「元々俺の金だろ…はぁ……行ってくる」

 肩を落として落胆しながら服部は教室から出ていく。

「落ち込みそうなのはこっちだ」

 ため息を一つ吐き再び本降りになってきた外を眺める。

「初計画から二ヶ月。目星位ヒロイン候補が現れない…」

 そう。鷹木をヒロインにした後これといって計画が進展していなかった。

 五月最大のイベントであるGWは鷹木家にお邪魔して二人のヒロイン度が増しただけで、その後は大したイベントは起きなかった。

「こんなんでは駄目だ。早急に手を打たないと」

 しかし、どうやって?

 ラブコメ漫画なら次の話で新たなヒロインが出てくるのだが、現実はそう上手くいかない。

「おーい買ってきたぞ。お前の好きなメロンソーダだ」

「サンキュー」

 投げられたジュースをキャッチする。

 炭酸なんだから投げつけんなよ。

「それで?次のターゲットは決めたのか?」

「それが全然だ。この学校はモブキャラしかいないのか?」

「むしろモブキャラが当たり前なんだよ。美少女は漫画の中だけだ」

「冷めたこと言うなよ二次元依存者」

 服部はこう見えて重度のアニメオタクだ。

 推しキャラの誕生日にケーキを買ったり、声優のライブやイベントがある日は学校を平気でサボるなどまさにオタクの中のオタクだ。

「所詮三次元なんて肉の塊だ。そんな物に興味は無い」

「そう言うなって。推しキャラを作ってくれた奴だって肉の塊だぜ?」

「作者は人ではない。神だ」

 真っ直ぐな目でそんなこと言えるお前は凄いよ。

「はぁ……新作のラノベでも探すか……」

 今日で何回目のため息か分からないが服部は携帯を取り出す。

「買う金あるのか?」

「無ぇよ!お前に取られたからな!」

「なら違う食い扶持を探すんだな」

 頭を抱え悩んでいる服部を後目に窓を眺めていると、教室のドアが開く。

「海斗ー?帰るよ?」

「さも当たり前のように来んな。なんでここにいるって分かった?」

 陸斗と取り巻き二人が学級委員の仕事を終えて教室に現れたのだ。

 ちなみに俺がここにいる事は紅音にも鷹木にも話していない。

「通りすがりの子に海斗見なかった?って聞いたらここにいるって教えてくれたんだよ」

 なにその似非人海戦術?

「あー!私達が仕事してるってのに二人で遊んでたの!?」

「遊びじゃない。小遣い稼ぎだ」

「生活費を賭けた男の勝負だ」

「それを遊びと言うんですわよ」

 正論は嫌いだ。本人が勝負と言うんだから勝負で良いじゃないか。

 やれやれといった様子で俺と服部は帰る支度をする。

 すると、鷹木が何か思いついたのか手をパンっと叩く。

「そうですわ。皆さんこの後予定はございますか?」

「予定?僕はないけど?」

「私もないよ?」

「呼吸する予定がある」

「アニメを見る予定がある」

「でしたら少しご相談がありますので、私の家に来て頂けますか?」

 おかしい。遠回しに面倒くさいと伝えたつもりだったが伝わっていなかったようだ。

 服部も面倒くさそうな顔で鷹木を見ている。

「すまんが俺達はパスだ」

「昨日届いたお茶菓子もありますわよ?」

「菓子食ったら帰るからな?」

「変わり身早っ!?」

 なにを言っているんだ馬鹿野郎。鷹木家で出てくる茶菓子は舌が溶けるほど美味いんだぞ?

 予定出来たわ鷹木家の茶菓子食いに行くわ。



 ◆ ◆ ◆



 高級茶菓子に釣れられ高層タワーマンションの最上階である鷹木家にお邪魔する。

 初の鷹木家であった服部は「……これ本当に人が住むところ?」と呟いていた。

「ところで、相談ってなに?」

 他愛もない話から一転、陸斗が切り出す。

「そうでしたわね。実は…」

 先程まで笑顔だった鷹木の表情が急に暗くなる。

 余程話しずらい事なんだろうが、俺と服部は茶菓子を堪能し続ける。

「明日、私の妹が日本に帰ってきますの」

「え?妹?」

「へぇー!黄美ちゃん妹がいたんだー!」

 ほーん、鷹木の妹か。

 話は一応聞いておくか。

「お母様のお仕事の手伝いで一緒に海外に行ってたのですが、とある事情で帰国することになったんですの」

「仕事の手伝い?凄いね!」

「もしかして妹さんハイスペック!?」

 鷹木の妹だし、多分美少女なんだろうな。しかも現役バリバリの母親の仕事の手伝いも出来ると。

 なるほどなるほど……

「帰国後はすぐにここから近い学校に通う予定でしたの。でも、あの子は……」

 暗かった鷹木の表情が更に暗くなる。

 その様子を見た陸斗と紅音は心配して鷹木を見つめた。

「なんか暗い話しそうだな」

「そうだな。あ、最後のイチゴ味もーらい」

 重い空気とは裏腹に場違いの空気感の俺と服部。

 気にはしていない。ちゃんと話も聞いてるしな。

「……あの子は、学校に行きたくない。と言い一人で帰って来るんですわ……」

「学校に?」

「行きたくない?」

「……ほほぉー」

 なーんか、だいたい話が掴めてきたぞ。

 ほとんどの茶菓子を食い散らかして満足した俺は鷹木に言う。

「相談ってのは、妹を学校に行かせるよう俺達に説得して欲しいってところか?」

「……そうですわ」

 ビンゴ。やっぱりか。

「凄い海斗!どうして分かったの?」

「話しかけるな不燃ごみ。ただの勘だ」

「説得かー。私にできるかな?」

 やる気満々の二人を見て安心したのか鷹木の表情が和らいできていた。

 しかし、

「俺はパスだ」

「「「えっ!?」」」

 俺の発言を予想していなかった三人は声を揃えて驚き、俺を見る。

 服部は飽きたのか携帯小説を見ている。

「どうしてさ!?」

「理由は簡単だ。情報が少な過ぎる」

 説得とは第三者が意見を言い、相手を納得させて初めて成立する。

 しかしそれはある程度の情報があった上での話だ。

「妹が向こうでどんな事をされたのか分かっているのか?」

「い、いえ……」

「だったら情報収集から始めるのがセオリーだ。鷹木家の力があれば向こうでの妹の学校生活の事を聞き出せるんじゃないか?」

「やろうと思えば可能ですわ」

「ならやってくれ。不確定要素しかない状況で説得したところで相手の逆鱗に触れて怒らせるだけだ」

 一息つこうと出された紅茶を啜る。

 なるほど、香りが強いストレートティーか。悪くない。

「海斗ってやっぱ凄いね」

「こっち見んな出涸らし。こういうの問題は当たって砕けろって訳にはいかねぇんだよ」

「でしたら、早速お母様に頼んでみますわ。向こうでの緑莉の生活がどのようであったのかを」

「あぁ。情報がまとまり次第行動に移せば良い」

「ありがとうございますわ!海斗さん!」

 お高い茶菓子をご馳走になったんだ。このくらいの手助けはするのが礼儀だ。

「さてと、今後の動きはお前達で決めてくれ。俺達は帰る」

「え?海くん達帰るの?」

「話し合いってのは人数が多ければ多いほど進まないものなんだよ。ある程度の事が決まったら明日にでも報告してくれ」

「分かりましたわ」

「それじゃあな。帰るぞ服部」

「おん?終わったか?帰んべ帰んべ」

 鞄を手に取り服部と一緒に鷹木家を後にする。

 車で送ろうかと鷹木に提案されたが、それを断り歩いて帰ることに。

「んで?これも作戦の一つなんだろ?」

「さすが服部大先生。よくお気付きで」

 信号を待っていた時、服部が聞いてくる。

 そう、今回の件もイベントとして利用させてもらう。

「主人公が何日もかけて説得し続け、引きこもった新ヒロインを連れ出し惚れさせる。そして頑張る姿を見て更に惚れるヒロイン達。こんなお得な話があるか?」

「だけど今回はかなり長期戦な気がするぜ?」

「あぁ。なんせ相手はハイスペックお嬢様だ。慎重にいかねばな」

 信号が青に変わり、服部より先に歩き出す俺。

 じめっとした空気と小雨が静かに傘に降り注ぐ中、俺は期待に胸を膨らませていた。

「鷹木には悪いが、姉妹でナメクジ野郎を取り合ってもらう」


SECOND TARGET【鷹木 緑莉】



 ◆ ◆ ◆



 翌日の昼休み。昼食を食べながら鷹木の席に集まり昨日の続きを話すことになった。

「お母様の話によると、特に虐め等の事は無かったようですわ」

「え?聞き出すの早くない?」

「うーん……だとしたらなんで行きたくないなんて言うのかな?」

 有益な情報を得ることが出来なかったことに悩む三人をジュースを飲みながら眺めているとラノベを読んでいた服部が話しかけてくる。

「簡単な理由だってのに、なんで気付かないのかねあの御三方は?」

「さぁな?紅音と燃えカスはともかく鷹木は気付けて当然のはずなのにな」

 容器が潰れるまで吸い込み、空になったことを確認して後ろにあるゴミ箱に投げる。

 軌道良し。風は無風。障害物無し。これは入るな。

 しかし、容器はゴミ箱の縁に当たり入ることはなかった。

「的外れな答えにならないといいな」

「そうなったら軌道修正するさ」

 容器を拾いゴミ箱に入れた後、ついでに悩んでる三人のところへ向かう。

「どうだ?なにか分かったか?」

「進展はありませんわ……」

「むしろ後退しそうだよ…うーん……」

 こりゃ悩むだけ悩んで埒が明かないパターンだな。

 仕方ない、ヒントだけでも教え──

「そうだ。海斗だったらどうする?」

「なんで俺に聞く?」

 アドバイスを言おうとした時、不意に紙屑が聞いてくる。

「だって、前に同じことしてたよね?」

「え?そうなの?」

「そっか、紅音は中学は違うもんね。実は海斗は中学の時も──」

「やめろ」

 話が逸れる前に低く重い声で止める。

 普段出さない声を聞いた二人は思わず口を閉ざす。

「昔は昔、今は今だ。環境が違うし状況も違う。昔話する暇があるならもっと話を詰めろ」

 明らかに機嫌を損ねた俺を中心に不穏な空気が生まれる。

 そんな中、服部が後ろから俺の目尻を伸ばす。

「おうおう。ただでさえ目付きが悪いのに余計鋭くなってるぜ?」

 服部の手を払うと、反省の色を見せずに囲む机の横に立つ。

「気にしてることを指摘すんな」

「まぁまぁ。そんなことより俺からヒントあげよう」

「ヒント?」

 服部は紅音の食べかけのパンをちぎり、机の上に二つ並べた。

「虐めってのは主に二種類ある。一つは暴力的、一つは精神的なのだ。前者は体を見れば一目瞭然だが後者は特定が中々難しい。なんでだと思う?」

 パンの欠片を一つ摘み上げ食べる。

 残った欠片を見つめる三人の中で紅音が答える。

「言った本人が自覚がないから?」

「ピンポーン正解。自覚がないとその発言の重みを理解しない。そんなことを毎日言われたら人間ってどうなるかな?」

 服部は残りの欠片も食べ、綺麗なった机に腰をかける。

「さて、奥様必見バーゲンセールでヒントをあげた訳だが、分かった人ー?」

 考え込む三人を眺めていると、陸斗が自信なさげに口を開く。

「……まさかだと思うけど…」

「はい、双葉お兄ちゃん」

「鷹木家の名前にプレッシャーを感じている…ってこと?」

 陸斗の発言を聞いて紅音と鷹木は驚く素振りを見せる。

 それを見た服部はやれやれと首を振る。

「それが正解かどうかは妹ちゃんに聞いてみないと分かんないなー」

 そう言って机から降りて俺の席に戻る。

 服部のヒントを聞いて話し合いはやっと進展した。

「もしそうなのでしたら、姉である私が話しやすいですわね」

「そうだね!まずは黄美ちゃんが話に行った方が良いよね!」

「うんうん。そうなると次は……」

 先程までの悩んでいた三人が嘘のように活き活きと今後の動きを決めていく。

 それを見て俺は何も言わずに自分の席に戻る。

「美味しいところ持って行って悪かったな」

「服部…お前……」

「お礼はラノベ一冊な」

「……妹ヒロインが欲しくなったのか?」

「あ、そっちの心配?」

 何はともあれ、作戦がようやく進んだことに安心した俺は次の作戦の準備に取り掛かることにした。

「なに調べてんの?」

「鬱妹系ヒロインが出てくるギャルゲーのシナリオを調べてる」

「うわー。カンニングとはズルいねー」

「なにを言う、これは予習だ」

 この様子だとしばらくはドブ水の出番はないだろう。あいつの出番が来るまで知識を蓄えておく必要がある。

「ガリ勉はモテないぞー?」

「バカよりはマシだ」

 へいへいと軽返事を聞き流しゲームヒロインの攻略ルートを調べることに集中する。

 この時三人の話をちゃんと聞いていなかった俺は後に後悔することになる。



 ◆ ◆ ◆



 雨の勢いが弱まりつつある放課後。

 紅音は部活があるとのことで離脱し、残った二人で更に話を詰めると連絡があった。

「そんじゃ、今日はお先に」

「おう、じゃあな」

 本日発売のアニメ雑誌を買いに服部も先に帰り、俺はいつもの空き教室で一人調べ物を続けていた。

「……駄目だ。どのシナリオを調べても引きこもりヒロインのルートが見つからん」

 シナリオ、漫画、アニメと色々調べたが、そもそも引きこもりからヒロインが誕生する想定のものがなかった。

「こんなことなら服部に聞いとけば良かった。連絡しておくか……」

 服部にLIMEで連絡し携帯をしまう。

 焦ってはいない。しかしなんだろう、この胸騒ぎは……

「……まぁいいや。俺も帰ろう」

 切れた集中力を取り戻そうと一旦帰宅することに。

 帰り支度をしている中、携帯が鳴る。

 服部か?さすがオタクの鑑だ調べるのが早い──

「……はぁ?」

 着信は服部からではなく、糞兄貴からであった。


『やっぱり今日妹さんと話に行くよ。海斗も後で来てね!』


 妙な胸騒ぎの正体はこれだったと思った時にはもう遅かった。

「馬鹿が!それが駄目だって言ってんだよ!」

 急いで陸斗に電話するが『おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか電源が入っておりません』と無機質なアナウンスだけが流れる。

 携帯はマメに充電しろってあれほど言われてんだろ!

「クソが!まだ校内にいるか!?」

 慌てて教室を出て自分のクラスへと向かう。

 しかし、教室には陸斗と鷹木の姿はなかった。

「おい!糞野郎はどこに行った!?」

「え?陸斗君達なら結構前に帰ったよ?」

「あーちくしょう!!」

 声を荒上げ教室を出る。

 なんで先走るんだよ!本当に嫌い!あークソっ!このっ…バっっバーカー!!!

 焦る気持ちが語彙力を失わせる。

 その時、服部から電話がかかってくる。

『もっしー?今からタイトル送るから参考に──』

「今はそんなのどうでもいい!あの馬鹿がやりやがった!」

『えー?何やらかしたの?』

 ことの事情を服部に説明すると、電話の向こうから笑い声が聞こえた。

『ギャハハハハ!マジかよ!』

「笑い事じゃねぇよ!今から合流できるか!?」

『ちょっとそれは厳しいなー。これからオフ会あるから』

「クソ!後でかけ直す!」

『俺も電源切っとくよー』

 こちらの心境を汲み取っていないのかくだらない返事をされ切られる。

 鷹木家までは車で二十分程の距離があるため走って向かうとなると時間がかかる。

 雨は止んでおり傘を刺さずに走れることが不幸中の幸いだった。

「頼むから変なことだけは言うなよ!あーゆータイプは一度嫌うと修正すんのが不可能だからな!」

 猛ダッシュでマンションに着くやすぐに入り口のオートロックに叫ぶ。

「鷹木!俺だ!海斗だ!早く開けろ!」

『海斗さん?今開けますわ』

 鷹木の声を聞くに焦ってはいないようで呑気な返事をされる。

 急いでエレベーターに乗り、鷹木の部屋に着く。

「おい!どうなった!?」

「どうしたのですか?そんなに慌てて」

「慎重にやれって昨日言ったばかりだろうが!あのクソは!?」

「陸斗さんなら妹の部屋に…」

「遅かったか…あぁ……」

「か、海斗さん?」

 膝から崩れ落ちる俺の姿を見て心配する鷹木。

 ……仕方ない。いつまで落ち込んでいても状況は変わらない。軌道修正だ。

「……なんか菓子をくれ」

「い、いまご用意しますわ」

 糖分を取って落ち着こう。こうなったらなにがなんでも妹をヒロインにしてやる。

 本日の茶菓子はクッキー。一つ一つに細かい模様が描かれており、まさに職人技とも言えよう。

 しかし、そんなことはお構いなくクッキーを頬張る。

「鷹木。なんで今日話すことになったんだ?」

「え?放課後に陸斗さんと話しまして、分からないことは本人から直接聞こうってことになったんですわ」

「拗れた奴がそう易々と言うと思うか?」

「私もそう思いましたわ。でも陸斗さんはやってみなきゃ分からないよ!と仰って行ってしまいましたわ」

 うん、やっぱ馬鹿だあいつ。

 強行突破すればなんでも解決すると思っているのか?

「まぁぶっちゃけると過程はどうだっていい。欠陥品が戻ってくるまではなにも出来ないからな」

 クッキーを食べていると、焦りの感情は消えていた。

「てか妹はどの部屋にいるんだ?」

「下の階ですわ」

「一人一部屋の次元が違いすぎる」

 ツッコミが入れれるほど精神が回復した。

 やはり糖分は大事だな。今後なにかあった時は鷹木家の茶菓子を利用しよう。

「……そう言えば、海斗さんは以前にも同じようなことをしていらっしゃったんですわよね?」

「またその話か」

 俺がクッキーを食べている間無言だった鷹木が口を開く。

 そんなに気になっていたのか。

「あぁ、そうだよ」

「その時はどう解決なさったんですの?」

「解決してないさ」

 あまり話したくなかったが、クッキーのお礼として話すことした。

「虐めの根源を潰して相手を説得させて終わらせようとした。だけど無理だった」

 あの頃の記憶が蘇る。

 あの子の顔、あの時の気持ち、しまい込んでいた感情。

「人の心ってのは一度傷付くとすぐには治らない。治るまでは一人でいるか、一番信頼できる拠り所に縋るしかないんだよ」

 それに気付かなかったんだよ。俺は。

 その所為であいつを救えなかったんだよ。

「……その子はどうなったんですの?」

「さぁな。引っ越して行ったし分からん」

 これ以上記憶を思い出したくない俺は鷹木の質問を強制的に終わらせる。

「しかし遅いな。駄目なら駄目でさっさと切り上げて──」

 すると、玄関が開く音が聞こえた。

 陸斗が戻ってきたと思ったのか鷹木は玄関に向かう。

 大体の予想は出来ているが、どう修正するか……とりあえず今日は一旦帰って作戦を練り直すか。

「陸斗さん!?どうしたんですの!?」

「ん?」

 荒らげた鷹木の声が気になり玄関に向かう。

 そこには、頬に薄ら切傷を作った陸斗が立っていた。

「……ごめん、説得出来なかった」

「やっぱりな」

「海斗?来てたんだ……」

 露骨に落ち込んだ表情でこちら見をる陸斗を見て俺は怒りが湧き上がる。

「なんで先走った?」

「考えてても仕方がないって思って」

「それは鷹木からも聞いた。お前はいつもそうだ。出来るか分からないことにでも突っ走ってゴリ押しでやり通そうとする」

「やってみなきゃ分かんないじゃないか!?」

「それが危険な行為とまだ分からねぇのか!!」

 俺と陸斗の怒号に鷹木は驚くが、俺の口は止まることはなかった。

「今までもそうだっただろうが!無茶と無謀は違ぇんだよ!」

 保育園から始まり小学校、中学とこいつの失敗の尻拭いが全部俺に来ていた。

 今までのストレスが今になって爆発した。

「これに懲りたらこれからはもっと慎重に行動しろ。たっく、誰が尻拭いすると思ってやがる」

 最後に小声で呟きリビングへ向かおうと後ろを向く。

 そんな時だった。

「……だ…」

「あ?」

 顔を下に向け手を握り拳を作っている陸斗が後ろにいた。

「……嫌だ」

「……はぁ?」

「僕は諦めないよ…今日が駄目なら明日、明日無理なら明後日。絶対妹さんを説得させる!」

「だから!それが無謀だっつってんだろ!」

 陸斗の反論に負けじと言い返す俺。

 その光景はまさに兄弟喧嘩であった。

「ははーん?もしかして海斗には出来ないから僕に嫉妬してるの?」

「なんでそう解釈すんだよ!?」

「良いよ?このことは僕に任して海斗は家で寛いでて?あ、天には当分遅くなるってだけ伝えといて」

 肩をポンと叩かれ俺の横を通り過ぎる陸斗。

 その時、俺の中のなにかがプツンと切れた。

「誰が出来ないって?」

 俺の言葉を聞いて振り向く陸斗を睨みつける。

 そして、指をさして宣言した。

「そこまで言うならやってやろうじゃねぇか!てめぇに出来ねぇことは俺が出来んだよ!」

「無理無理。そんな後ろ向きな考えの海斗には無理だよ」

「言ったな?今に見てろ!」

 常に緩く締めていたネクタイを雑に解き床に叩きつけて靴を履く。

「か、海斗さん!?どちらに?」

「お前の妹のとこだよ。案内しろ」

「え?で、でも……」

 チラッと陸斗を見る鷹木に気付いたのかこちらを見ることなく頷く。

「おら、行くぞ」

「あ、待ってくださいまし!」

 俺と鷹木が部屋から出ていき、一人残った陸斗は呟く。

「なんか、久しぶりだな。こういうの」

 その表情はどこか寂しげで嬉しそうであった。

 


 ◆ ◆ ◆



 あークッソ!イライラする!

 俺のイラつきを察していた鷹木は何も喋らず下の階にある妹の部屋に案内した。

「あ、あの……」

「なんだよ?」

「み、緑莉に話をしてきますわ…」

「なにを?」

「海斗さんもお話をしてくれると…」

 怯えた目をしている鷹木を見てため息を吐く。

 怒る相手はあのボケだけにしておこう。鷹木にイラつく意味はないからな。

「あぁ、頼む。イラついてて悪かったな」

「い、いえ。お気になさらないでください」

 さらっと流したが緑莉とは妹の名前であろう。まぁ一々覚える必要もないか。

 一人先に部屋に入っていった鷹木を待つこと数分。許可が降りたのか鷹木に促され部屋に入る。

「それでは、頼みますわ」

「あんだけ啖呵切ったんだ。やるだけやってみるよ」

 そう言って俺は妹がこもっている寝室に入る。

 寝室はカーテンが締め切っていたため薄暗く季節もあってかジメッとしていた。

 そして床に散乱する小物や筆記用具を見て陸斗が傷付いた理由を察する。

「今度は誰?」

 シーツに包まって顔があまり見えないが、目元を見てこれは姉顔負けの美少女だってことだけは分かった。

「どうせアンタもさっきの人と一緒なんでしょ?お姉ちゃんの友達か何なのか知らないけど、放っておいて」

「分かった。じゃあ……」

 俺は静かに妹に近付く。

 警戒心が薄いのか特に動こうともしない妹のシーツを掴み、ひっぺ返した。

「なるほど、目元は姉そっくりだな」

 呆気に取られた妹の表情に徐々に眉間にシワが寄っていった。

「なにしてんのよ!?」

「まどろっこしい布を取っただけだが?」

「ふんっ!なに言ったって私は学校になんか行かないからね!」

 無理に取ったシーツを掴み再び包まろうとする妹。

 そうはさせまいとシーツを丸めて床に振り落とす。

「別に俺はお前を学校に行かせたくてここに来たわけじゃあない」

 そして、俺は妹の頬をビンタする。

 急な出来事に妹は再び呆気に取られ、ジンジンと伝わる痛みに我に返る。

「な、何すんのよ!?」

「お前の真似事だが?」

「訳わかんない!?なんなのアンタ!?」

「お前を説教しに来たモブキャラだ」

「はぁ!?説教!?」

「あぁ。お前、構って欲しいだけだろ?」

 俺の冷たい一言に妹は荒くなった言葉を止めた。

「親の七光と思われたくなくて必死になって勉強してきた。だけど結局皆にこう言われたんだろ?『鷹木家なら当然だよね』って」

 正直妹の気持ちは理解出来ない。しかし、ある程度の予測は出来る。

 これは経験から言えることだけ。

「……あんたに…」

「あん?」

「あんたに何が分かるって言うのよ!?なにしても比較されてちゃんとした評価を貰えない。どんなにどんなにどんなに頑張ったって誰も私を見てくれない!努力を見てもらえない悲しみがアンタに分かるの!?」

 涙混じりで叫ぶ妹。

 少しの沈黙が部屋に漂い、妹の息遣いが静かに聞こえる。

 ……同じだ。

 こいつは昔の俺と同じだ。あいつの隣にいる為に血反吐が吐くまで努力し続けた俺だ。

 だからこそ、この本音が聞けたことはデカかった。

 鷹木には悪いが、もうこいつは糞兄貴のヒロインだ。

 静寂を振り払うかのように、俺は言った。


「分かる訳ないだろ。アホか」


 俺の言葉を聞いた妹は目を丸くさせて俺を見た。

「お前が悲しんでいようが苦しんでようが、それを言わず一人で抱え込んでたら誰も気付かないだろ」

「そんな事…言えるはずないじゃない!」

「お前矛盾してるってそろそろ気付こうぜ?それとも本当に構ってちゃんなのか?」

「うるさい!アンタ本当に何なの!?何しに来たの!?」

「だから言ったろ。説教しに来たって」

 ベッドに片足を乗せる。それを見た妹は後ろに逃げるが壁が背につきそれを妨害する。

「甘えんな駄々っ子。世の中ってのは残酷だ。どんなに待ってたってお前の気持ちを100%理解してくれる白馬の王子様は現れない。毎回同じ台詞しか吐かないNPCしかいねぇんだよ」

 俺もお前の気持ちなんて分からなかった。

 それは当たり前だ。俺はお前じゃないから。

「存在意義ってのは他人から言われて見つける物じゃない。他人からの言葉なんてただの戯言だ。理解者は複数人も要らない。自分自身だけで良いんだよ」

「……そんなの…見つかる訳…」

「あぁもうウザい!!」

 チラチラと昔の自分と重なってたこともあり、俺は両手で妹の顔を強めに掴んでいた。

「周りがなんと言おうとお前はお前だ!鷹木緑莉だ!姉でもなければ親でもない!」

 俺はあいつになれなかった。

 それは当たり前の事だ。俺は俺で、あいつはあいつなのだから。

「試してみろよ!藻掻いて足掻いて抗ってみろよ!今までお前は抗ってきたんだろ?だったらもう一度やってみろよ!必死に努力して、他人の評価を覆せ!それを迷惑を言う奴は皆クズだ!結果しか求めない奴の言葉は全てゴミだ!」

 妹の涙が俺の指に絡まる。

 妹の体温が手に広がり冷たく感じはしなかった。

「……無理だよ…」

「決めつけるな。向こうがどんな環境だったか知らないが、ここではそんなことは起きない。起こさせない!そんなこと言うやつがいたら言え!そしたら俺が──」

 ん?待てよ?熱くなって支離滅裂なことを言うところだった。

 冷静になれ俺。これじゃあまるで俺に任せろ的な発言だぞ。

 ここまで0.1秒。俺の思考回路はフルMAXで活動し、軌道修正する。

「……さっき来た奴がお前を否定する奴を懲らしめる。何かあったらあいつを頼ればいい」

 妹の顔から手を離し、そのまま距離をとる。

 良し。ちょっと雑だが修正した。

 あとは金魚の糞に意識を向けさせよう。

「あいつはああ見えて頼り甲斐のある人間だ。抱擁力もあるし頭も切れる。あんな男が隣にいたらさぞ頼もし──」

「……良いの?」

 下を向いた妹から発せられた弱々しい声が俺の言葉を遮る。

「私…ワガママだよ?迷惑とかすごいかけちゃうよ…?」

「そんなこと気にするな。迷惑ってのはかけた方が悪いんじゃない。かけられた方が悪いんだ」

 丸めたシーツを上に被せ、俺は後ろを向く。

 あの蟯虫ならここで頭を撫でたりするんだろうが、俺はしないぞ。そんなことしたら顔から火が出るわ。

「だが、中途半端な迷惑はやめろよ?かけるなら最後まで迷惑をかけろ」

「……ふふ。変なこと言うわね」

 被さったシーツを払い、先程の暗い目付きが嘘のように輝いて見えた。

「私、学校に行くわ。周りになんて言われようと私は私だって抗ってみせる」

「おう、頑張れよ」

「これからお姉ちゃんに言ってくる。着いてきてくれる?」

「姉の部屋に荷物あるからな。ついでに行ってやるよ」

 こうして妹の説得に成功した俺は悔しがる陸斗の顔が脳裏を過り口元が緩む。

 どうだ?やってやったぞ。さぞかし悔しがるだろうな!!

「ねぇ、名前は?」

「ん?あいつのか?あいつは陸斗──」

「違う。君の名前」

 はぁ?なんで俺の名前を?

 まぁ、どうせ今後はあまり接することもないから別にいいか。

「俺は海斗だ」

「海斗…海斗ね……」

 俺の名前を聞いた妹の様子が少し変に感じた。

 ……なんか、すごーく嫌な予感がしてきたぞ。

 さっきとはまるで違う胸騒ぎを拭い切れずに鷹木達と合流し、妹の旨を伝えて俺は一人で帰宅するのであった。



 ◆ ◆ ◆



 それからしばらくして、6月も下旬に差し掛かる頃。

 鷹木妹はうちの中等部に転入することになった。

 鷹木が涙を流して俺にお礼を言ってこられた時は本当に困った。

 俺は女子の涙に弱いのだ。

 ……なんかナルシストみたいだな。自重しよう。

 運が良ければ天と同じクラスになるだろう。友達になれたらあいつ喜ぶだろうな。

「海斗ーいつまで怒ってるのさー」

「視界に入るな悪玉菌。目が汚染される」

 先の件以降、陸斗が逆ギレしたことに罪悪感を感じたのだろうかほぼ毎日謝ってくる。

 俺はいつもの調子であしらっているのだが変に勘違いされまだ怒っていると思われているようだ。

 ツーンと無視していると諦めたのか自分の席に戻り弁当を取り出そうと鞄をまさぐる。

「……あっ」

「ん?どうしたの?」

「お弁当忘れてきちゃった…」

 あぁ、そう言えば玄関にあいつの弁当箱があったな。

 寝惚けて忘れたのか。いい気味だ。

 弁当がない陸斗は財布を手に取り購買に向かおうと席を立つ。

 それと同時に教室の扉が開き、そこには二人の女子がいた。

「陸兄ぃー」

「あれ?天?」

 現れたのは敬愛して止まない我が妹の天だった。

「お弁当忘れてったでしょ?はい、持ってきたよ」

「おー!ありがとー!」

 天から弁当を受け取った陸斗は嬉しそうに天を抱き締める。

 羨ましそうに天を見つめる紅音と鷹木を確認出来たところで目頭が熱くなる。

「やはり双葉の妹も可愛いかよ…」

「ちくしょう…兄があれならやっぱり妹もか…」

「あれ?弟はなんであーなんだ?」

 いかんいかん、妹の可愛さがクラスの男子に広まってしまった。これは由々しき事態だ。

 そして田中、お前は後で校舎裏な?

「あら?緑莉?」

「やっほーお姉ちゃん」

 天の後ろには鷹木妹がいた。

 ボサボサだった髪は整えられ、姉同様の栗色の髪が胸元まで伸びている。

「やっぱり、制服姿可愛いですわね」

「なになに?この子が黄美ちゃんの妹さん?」

 興味津々で鷹木妹に近付く紅音。

 天に軽く挨拶し、怠そうに陸斗から離れて紅音にハグをする。

「お姉ちゃんがお世話になってます。緑莉って言います」

 さすがは鷹木の妹と言ったところか。礼儀はちゃんとしているようだ。

「ところで、どうして高等部に?」

「お姉ちゃんとお兄ちゃんに会いに来たの」

 ほほぉ。油汚れのやつお兄ちゃんと呼ばれてるのか。俺が見ない間にちゃんとヒロインらしくされているじゃねぇ──

「いたいた!お兄ーちゃーん!」

 感心している中、俺の右腕に柔らかな感触と圧迫感。

「ん?」

「え?」

 俺の腕に抱き着いている鷹木妹を見て俺と服部の思考回路は停止した。

「「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」

 そしてクラスの男子の奇声混じりの叫び声で俺の思考は復活した。

「おい、なにしてる?」

「なにって?お兄ちゃんに抱き着いてるんだよ?」

「なんで俺なんだ!抱き着く相手が違うだろ!」

「間違ってないよ?だってお兄ちゃんはお兄ちゃんだし」

「はぁ?」

 なにを言ってるんだこいつ?俺がいつお前のフラグを建て……あっ。

 思い浮かんだのは先日の出来事。

 あの時の胸騒ぎはこういうことだったのか……!

「クククッ。海斗は歳下がタイプだったのか」

「んなっ!?そんな訳あるか!?」

「え?違うの?」

 服部の目がいつもと違うのが分かる。

 この目は、完全におちょくってる目だ!

(のシーツ)を強引に剥いであんなに激しく(説教)してきたのに?」

「えぇ…海斗、お前……」

「海兄ぃ……ないわー」

 言い方ぁぁぁぁ!!?

 語弊しか生まない言い方すんじゃねぇぇええええ!!

「ち、違うぞ天!これには深い事情が…」

「お兄ちゃん、今日晴れてるし中庭でご飯一緒に食べよ?」

 このクソガキがぁぁぁぁ!!?

 その上目遣いに殺意を覚えるわ!!

「私を拒否ったら、また引きこもるからね?」

「んな!?」

 耳元で小さく囁いたその声はとても艶めかしく、それでいた確かな悪意が込められていた。

 腕から離れた鷹木妹は手を後ろに組み、小悪魔な笑顔で俺の横に立つ。

 そして、クラス全体に聞こえるように言った。


「あなたを好きになっちゃった。これからよろしくね、海斗お兄ちゃん♪」


 俺の中でなにかが崩れた。

 鷹木妹の急な告白に硬直している俺をヒューヒューと横からちゃちゃを入れる服部。

 そしてクラスの女子からの謎の温かい視線と男子からの冷たい死線。

「……な」

「な?」

「なんで…こうなるんだぁぁぁぁ!!」

 俺は空かさず椅子から立ち上がり教室から逃亡した。

「あっ」

「逃がすか!」

 しかし、それを見た鷹木妹と服部が追いかけようと廊下に出る。

「待てよーお兄ーちゃーん」

「なんで逃げるのー!?」

「追いかけてくんな!一人にさせてくれ!」

「大丈夫だよ!いつもは強気なのに一人になると少し弱気で慎重になって心配性になるお兄ちゃんも悪くないよ!」

「なんでそんなことまで知ってんだ!探り入れたな!?くだらないことで家の力発揮すんじゃねぇ!」

「いいこと聞いた!緑莉ちゃんって言ったか?俺とビジネス関係結ばない?」

「あなたに興味はないけど、お兄ちゃんのこと教えてくれるんなら良いよ?」

「てめぇら!要らんことするな!!」

 かくして三人目のヒロインは実らず失敗に終わってしまった。

 人は失敗を糧に成長し、成功する。

 しかし、もう失敗は許されない。

 次こそは必ず…俺が傷付こうとも嫌われようとも、絶対!成功させてやる!

 そう胸に固く決心した海斗であった。



第三話【本日はお休みなので】



 6月も終わり、夏本番の準備に差し掛かった7月の上旬。

 自分史上最大の失敗を経験した俺は暑さ防止で前髪をピンで留めて服部から借りたギャルゲーに集中していた。

「①の『赤い方が似合うよ!』にするか②の『俺は青が好きかな』にするか……②は友情度は上がるが好感度が上がらなそうだな。無難に①にするか」

「ねぇお兄ちゃん。ちょっと寒いからエアコンの温度上げていい?」

 そう質問しておいて勝手に温度を上げる緑莉。

 先日大々的に俺に告白をした陸斗のヒロイン候補の一人だ。

「暑いならリビングに行けよ。鉄錆とお前の姉ちゃんがいるぞ」

「んもー。そうやって陸斗さんに近付けさせるんだから」

「その目的で俺はお前に近付いたんだ。何度も言わせるな」

 あの後、緑莉はどうしてか俺の態度に不信感を覚え独自のルートとパイプ(主に服部)を駆使し俺の計画を暴いた。

 彼氏にならないと言いふらすと脅迫してきたが、姉を騙して向こうに送り返すぞと無慈悲な反撃を言い渡した。

 その結果、告白の返事は保留と名前呼び、そして計画に参加するということになった。

 正直頭の切れる緑莉の参戦はかなりの戦力となるので嬉しかったのだが、こうして作戦会議と言って俺の部屋に転がり込んで来ることが多くなったのは解せない。

「てか受験勉強の方は良いのかよ。約束してたんだろ?」

「そーちゃんには全教科対策ノートをあげたから大丈夫。あれさえ毎日やってれば落ちることはないよ」

 さすがハイスペックお嬢様。こんな友達ができて妹は幸せ者だな。

 ちなみにそーちゃんとは天のあだ名だ。

「そーれーよーりー!どっかお出掛けしようよー」

 背中にもたれかかってくる緑莉。

 夏場だからというのもあり服装は薄着で露出度が増している。

 そして背中に伝わる豊満な二つの感触。

 一般な健全男子なら前屈み案件だが、俺には通用しない。

「出掛けたいならみんなで行ってこいよ。俺は留守番しておく」

「ちーがーうーのー!お兄ちゃんとお出掛けたいのー!」

「俺は暑いのが苦手なんだ。だから離れろ!暑苦しい!」

「ぶぅー」

 可愛らしく頬を膨らませる緑莉。

 そして今度はそっと腕を絡ませる。

「恥ずかしがってるの?女の子の体がこんなに密着しててもしかしてお兄ちゃんのお兄ちゃんが──」

「マセガキが。くだらない下ネタは向こう譲りか?中学生に手を出すほど頭のネジは外れてない」

「むむむー!良いもん!そーちゃんと遊んでくる!」

「そうしてくれ。あいつの息抜きの相手になってやれ」

「ふんっ!お兄ちゃんのシスコン!」

 そう言って緑莉は部屋から出ていった。

 シスコンとは心外な。妹思いの優しいお兄ちゃんだ。

「さて、一旦セーブして……ん?」

 携帯が鳴り、確認すると服部から電話がかかってきた。

『もしもし?ロリシスコンさん今日お暇?』

「お前を潰しに行く用事がたったいま出来たところだ」

『ぴぇー怖い怖い。家の鍵閉めておこ』

 こいつはあれ以来俺に変なあだ名を付けてはおちょくってるようになった。

 そろそろ本気でシメに行きたい。

「それで?なんの用だ?」

『あーそだったそだった。今からうちに来れるか?』

「お前の家?炎天下の中を歩きたくはない」

『キンキンに冷えたアイスが君を待っている』

「心ウキウキワクワクだ。いまから向かう」

『りょーかい。待ってるぞー』

 通話を切り、着替えをしようと上着を脱ぐ。

 緑莉が抱き着くなり寄りかかるなりして地味に汗をかいていた。

「たっく……過度なボディタッチはあいつにやれよな」

「お兄ちゃんって意外と筋肉質なんだね」

 クローゼットを開けると、体育座りをしている緑莉がまじまじと俺の上裸姿を見つめていた。

「ぅおわ!?びっくりした!?いつからそこに!?」

「お兄ちゃんが電話してる時に忍び込みましたっ」

 可愛らしくピースサインをする緑莉。

 お前は忍者の心得でもあるのか?

「それよりお兄ちゃん出掛けるの?」

「あぁ。服部のところだ」

「なら私も行くー」

「あいつもそれを想定してるだろ。準備しろ」

「やったー!お兄ちゃんとお出掛けー!」

 嬉しそうに飛び跳ねて荷物がある天の部屋に向かう緑莉。

 俺は上着だけを変えて先にリビングへと向かう。

 リビングには談笑している陸斗と鷹木と紅音がいた。

 「あ、海斗。これから三人でデパートに行くんだけど、良かったら──」

「口を慎め呼吸を止めろ埃風情が。俺は出掛ける」

「あちゃー。タイミングが悪かったね」

「どうせなら息抜きがてら天を連れて行ってくれ」

「そうですわね。誘ってみますわ」

 しばらくリビングで待っているが、緑莉の準備が終わっていないのか一向に2階から降りてこない。

「おーい緑莉。まだかー?」

「みーちゃんいま化粧してるから待っててだってー」

 なんでいま?どうして化粧してんの?服部の家に行くだけだぞ?

 仕方ない、あまり使いたくないが……

「……俺は化粧映えする女は嫌い──」

「お待たせお兄ちゃん」

「そういうところ嫌いじゃないぞ」

 俺の言葉に反応して秒で準備を終わらせた緑莉。

 嘘も方便。これはいい嘘である。

 ちなみにみーちゃんとは緑莉のあだ名である。

「好きって言われた……キャッ!」

「嫌いじゃないと言ったんだ。行くぞ」

「はーい!」

「抱き着くな!暑苦しい!」

 緑莉を振り払いながら玄関に向かう俺。

 その姿を見て寛いでいる三人は再び会話に戻る。

「緑莉ちゃんって意外と積極的なんだね」

「私もあんな緑莉を見るのは初めてですわ」

「良いなー海斗。あんな可愛い子にモテて」

 陸斗の何気ない一言が二人に鬼神のオーラを纏わせたのは言うまでもない。



 ◆ ◆ ◆



 服部宅へ向かうため街を歩く俺と緑莉。

 夏の暑さに体力を削ぎ取られ続けて機嫌は良くない。

 しかし、隣では涼しい顔で鼻歌をまじりながら歩く緑莉。

「なんでそんな楽しそうなんだ?」

「だってお兄ちゃんとお出掛けしてるんだもん。楽しいに決まってるよ!」

「あぁそう」

 傍から見れば可愛い系の彼女を連れてるカップルに見えるだろう。

 しかし、俺がこいつと釣り合っているかと言われれば嘘になる。

 だからこそさっさと類人猿とくっ付けさせねば…!

「お兄ちゃん?また変なこと考えてたでしょ?」

「なにを言っているんだ緑莉。今後の計画を考えていたんだよ」

「うわ……その爽やかな笑顔、なんか気持ち悪い」

「ませた口はこいつか?」

「ひあひひあひひあい!(痛い痛い痛い!)」

 緑莉の頬を抓っていると、街中で何やら叫び声が聞こえる。

「そ、その人止めて!」

 どうやらひったくり犯がこちらに向かって来ているようだ。

 人通りが少ない時間帯を狙った犯行なのだろう、道端には倒れ込んでいる女性しかいない。

 なにを持っているか分からない為、緑莉を道の脇の方へ避難させる。

「邪魔だオラァ!」

「あい、すみません」

 犯人とぶつかりそうになった瞬間、横に逸れて相手の手首を掴む。

 そのまま手首を背中に回して体重を全てかける。

 漫画やアニメでお馴染みの犯人確保ーのシーンである。

「んぁ!?なんだてめぇは!?」

「暑いんだから無駄な体力消費させんなよ。寝とけ」

 犯人の顎めがけ拳を振り落とす。

 顎を揺さぶることで脳に振動が伝わり、脳震盪を起こさせ気絶させた。

「ふう。一件落着」

「お兄ちゃん……カッコイイ!」

「……へ?」

 ……いかん、やってしまった。

 どうして俺がこんな行動をとってしまったのかというと、我が家の家訓『困ってる人は助けろ、悪いやつは懲らしめろ』となんとも熱量が半端ない教えが原因である。

 このご時世、犯罪現場なんて滅多に遭遇しないので油断していた。

 しかも見られたのが緑莉だ。余計問題だ。

「あ、あの……」

 後ろから声をかけられる。ひったくりに遭った女性だろう。

 そう思い俺は一瞬で切り替える。

「どうしました?」

「た、助けてくれてありがとうございます!」

「いえいえ、とんでもないですよ。“僕は双葉陸斗”って言います。じゃあ僕達急いでるんで、後のことはお願いします!」

「え?」

「ちょ、ちょっと!?」

 緑莉の手を握り走ってその場を去る。

 しばらく走って完全に距離が離れたところで止まり、息を整える。

「はぁ…はぁ……お兄ちゃん?さっきのなに?」

「ん?布教活動だ」

 簡単に説明すると、腐っても俺は双子なので一瞬で陸斗の顔を作ることができる。あまりやらないが。

 そしてたまに陸斗に扮し街に出てはフラグを建てているのだ。

「お兄ちゃんって変にマメなところあるよね?」

「これも計画の一つ、チリツモってやつだよ」

「積みすぎて埋もれないでよ?意外とお兄ちゃんって無理するところあるから」

 無理などしていない。

 あのドブネズミを不幸にさせる計画の為ならこの身が犠牲になろうとも構わない、そう決めているからな。

「はいはい。ちょっと遠回りになったがさっさと行くぞ」

「……ところでお兄ちゃん?」

「なんだよ?」

 緑莉の声に反応し後ろを振り向くと、携帯の画面が目の前に現れる。

 何事かと思って画面を見ると、表示されてるのはLIMEだった。

 このアプリは誰でも使っている為なんの違和感もなかったが、気になるのは連絡をとっている相手だ。

「……なんで服部と連絡とってる?」

「情報こう…んんっ、友達になったから」

 おい、いま言い直したけどほとんど分かるからな?なんの情報を交換してんだ?

「そんなことより、服部さんから許可貰ってこれからお兄ちゃんとデートをすることになりました!」

「なんでそうなる」

 よく服部は許したな。

 何気なく画面をスクロールしてやり取りを確認する。

「……おい。なんで発売前のゲームのデータをお前が持ってんだ?」

「早く行こ?私行きたいところがあるんだ!」

「お前やりやがったな?」

「レッツゴー!!」

「人の話を聞け!」

 ハイスペックなのは知っていたが、ここまでとは予想はしていなかった。

 一応服部に連絡してみたら『用事ができた。緑莉ちゃんとデートでもしてろ』と言われ、ドタキャンされた。

 なんでこうなるんだ……

「息抜きも必要でしょ?」

「……はぁ。分かったよ」

 緑莉は日本に戻ってきてまだ日が浅い。

 海外では堪能出来なかった事をさせることは別に悪いことではないだろう。

 それに、

「……あんな楽しそうな顔されたら、断りずらいしな」

 緑莉と出会って初めて見る笑顔に、拒否する気持ちは無くなっていた。



 ◆ ◆ ◆



 緑莉とデートをすることになり、向かった先は最寄り駅の近くにある商店街だった。

 着いた早々緑莉は大はしゃぎする。

「ここが商店街ってところかー!」

「そんな珍しくもないだろ?」

 きっとお嬢様だからこういう庶民的なところに来たことがないのだろう。目をキラキラさせている。

「ねぇねぇお兄ちゃん!あそこ行ってみたい!」

「ん?駄菓子屋か」

 緑莉が指さした場所は商店街の入り口近くにある小さくて古びた店舗。

 古びた外観はデザインなのだろう、近くで見ると壁など朽ちた風には見えない。

 ここの店は俺が小さい頃からあるなかなか潰れない駄菓子屋として地元で有名な店である。

「なにこのお菓子!?粉かかってる!」

「きなこ棒だな」

「小銭がチョコになってる!?なんで!?」

「5円チョコな」

「この透明なのなに!?これもお菓子!?」

「水飴だ」

 ポピュラーな駄菓子に興味津々な緑莉を見ていると、昔の天を思い出す。

 分からないものを見せに来て聞いてくる辺りが凄く可愛らしかったー。やっぱりうちの妹は可愛い。

 はしゃぐ緑莉を放置し懐かしい店内を見ていると、会計所の奥から老婆が現れる。

「おや、久しぶりだねぇ」

「よう、元気そうだなバァさん」

 このバァさんは俺が小さい頃からずっとここの店を切り盛りしている店長。

 優しいみんなのおばあちゃん的ポジションである。

「大きくなったねぇ。何人殺めたんだい?」

「ディスることをどこで覚えたババァ」

 訂正しよう。ただの口の悪いクソババァだ。

「今日はお兄さんはいないのかいぃ?」

「いつも一緒みたいな言い方やめてくれ。虫唾が走る」

「ふぇっふぇっふぇっ。まぁゆっくりしていきなさいぃ。お茶でも飲むかいぃ?」

「そうだな。ちょうど喉が乾いてたし」

「待っとれぇ。持ってくるからのぉ」

 そう言ってバァさんは奥へお茶を取りに行った。

 あのババァさんがいなくなったらここは潰れるのだろうか?と思っていると、緑莉がカゴいっぱいに駄菓子を持って来た。

「そんなに買って食いきれるのか?」

「食べれなかったら飾るから良いの!」

「いや飾んなよ。普通に保管しとけよ」

 頭は良いが発想が馬鹿である。

 しばらくするとお茶を持ったバァさんが戻ってくる。

「おや、べっぴんさんだねぇ」

「え?私?やだーもー!」

「誘拐でもされたんかいぃ?」

「そこまでして俺を犯人に仕立てあげたいかババァ」

「おばあちゃん、これください!」

「はいよぉ。全部で550万円ねぇ」

 出ました駄菓子屋ジョーク。

 俺も小さい頃はこれに騙されたなー。

「意外と安いんだね。はい、カードで」

 待て待て待て。駄菓子屋でクレジット出す奴なんて初めて見たぞ?

 まさかこいつ本気で捉えてんの?てか金額聞いて安いって言ったか?普段どんな買い物してんだよ。

「たかがお菓子で万単位行くわけないだろ。冗談だよ冗談」

「え?そうなの?」

「はいぃ、カードお預かりでぇ」

「対応してんのかよ。てか万単位で切ろうとすんなよバァさん!?」

 などとバァさんのキツめの冗談にツッコミを入れつつも無事に会計を終え、少し三人で話すことに。

 主にバァさんの昔話だったが、緑莉は楽しそうにバァさんの話を聞いていたので問題はなかった。

「じゃあね!おばあちゃん!」

「気をつけてなぁー」

 駄菓子屋から出て、次の店に向かう俺達。

 向かう道中で緑莉がフエラムネで某有名作曲家の曲を吹き出した時は素直に驚いたのは内緒だ。

「次はここ!」

「惣菜屋?」

「そう!ここのハムカツが美味しいってクラスの子に言われて気になってたの!」

 ……なんか、こいつって本当に変わってるな。

 普通のこいつくらいの女子ならSNS映えするスイーツとか可愛いアクセサリーとかそういうものが好きなはず。

「ごめんね、いまハムカツ品切れなんだよ」

「そ、そんな!?」

 なのに、駄菓子屋ではしゃいだり惣菜一つでこんなに落ち込んだり、普通の中三女子から見たらありえないだろう。

 いや、こいつの普通ってのはこうなのかもしれない。

 向かうでの生活はプレッシャーを与えられ気が休めない日々を送っていたんだ。

 年相応のことが出来なかった分、いま発散しているのだろう。

「……よし、着いてこい」

「え?」

「お前はまだまだ商店街の楽しみ方を知らないようだし、俺が教えてやるよ」

「え!?良いの!?」

 なら、いまは存分に楽しませてやろう。

 それに付き合うくらいなら、まぁ良いだろう。



 ◆ ◆ ◆



 その後はなんのこともなかった。

 精肉店自慢のコロッケを食べたり、喫茶店で休憩がてらパフェを食べたり、八百屋の店番にナンパされたり、ゲームセンターでまたナンパされたりとまぁ色々。

 食べてナンパされるだけだったな。

しかし商店街を堪能できたのか緑莉は満足そうであった。

「楽しかったー!」

「そりゃどうも」

 俺の雑なエスコートで満足してるんだ、芋虫野郎とデートさせたらもしかしたら惚れるんじゃないか?

「ねぇお兄ちゃん?」

「ん?」

「もしかして、陸斗さんだったらとか考えてるでしょ?」

 なにこの子?読心術でも使えるの?怖っ。

「あのね?私はお兄ちゃんと一緒だったから楽しかったんだよ?これが陸斗さんとかお兄ちゃん以外の男の人だったら楽しめてなかったと思う」

 手を後ろに組み直し俺の前に移動する。

 夕日が緑莉を照らし、頬が赤くなっていた。

「だから、もうそういうこと考えるのやめてね?私はお兄ちゃん以外を好きになることはないから」

 真剣な目で告げられ、冗談は言っていないようだ。

「……はぁぁ」

 なんでこうなるんだ…俺がこいつに一体何をした?

 惚れられるようなことはしてないつもりだが、俺が気付いていないだけか?

 今後は行動を見直して改める必要があるな。

「てなわけで、今日はお兄ちゃんの家にお泊まりしたいと思いまーす!」

「そんなの許可すると思うか?」

「お姉ちゃんとそーちゃんからOKは貰ってるよ?」

「生憎と俺からの許可が降りてませーん」

「絶対降りないじゃん!?」

 緑莉はああ言っていたが、その発言を聞いて俺はさらにやる気を出した。

 悪いな、俺はそんなこと言われると燃えるタイプなんだ。

 絶対お前もあいつのヒロインにしてやる!

 こうして緑莉とのデートは幕を閉じた。

 俺にとっては当たり前ではなかったが、緑莉にとってはなんの変哲もない当たり前のデートだっただろう。

 明日からまた学校が始まる。そして近付く夏休み。

 長期の休みに入るとヒロインを探すのが困難になる為最低でももう一人はヒロインを見つけたいところ。

 再度気合いを入れ直し、来たる夏休みに向けて準備を始めよう。

 イベントは目白押しだ。

「俺の部屋に絶対入ってこないって約束するなら良いぞ?」

「それだと意味ないー!お兄ちゃんと一緒に寝るのー!」

「暑苦しいから却下」

「んもー!お兄ちゃんのわからず屋!」

 二つの影が楽しそうに路上に伸びている。

 その影は一つになることはあるのか、ないのか。

 それの答えは誰も知らない。



第四話【静かなること芸能の如し】



 緑莉とのデートを終えたその日の夜、服部と今後の作戦のことを真夜中から早朝まで話をしていた。

 その為ギリギリ寝坊……いや遅刻確定だった。

 特に皆勤賞を狙ってるわけでもないので大きな欠伸をかきながら呑気に登校する。

「ふあぁぁ……昼休みまでどっかで寝よう」

 陸斗と緑莉から引くほど着信があったが鬱陶しいので携帯の電源をオフにした。

「屋上…は暑いから駄目だ」

この時期の昼間の屋上は熱帯地獄と化すため好んで訪れる者はいない。。

 どこか最適なサボりスポットはないか考えていると、ある部屋を思い出す。

「そうだ。いつものところがあるじゃん」

 この学校の教室は生徒達の勉学を有意義にさせるために各教室にエアコンが完備されている。

 しかも今は授業中なので使用している生徒はいない。

 つまり、最高のサボりスポットなのである。

 向かう途中教師に見つからないように裏から入り無事に辿り着く。

 アラームをかけたいが着信の嵐でやかましいと考えチャイムをアラーム代わりにすることに。

「ふわぁぁぁ……おやすみ…」

 そして足りなかった分の睡眠を補う為に眠りにつく。

 冷房で室内は快適な温度である為眠りにつくのに時間はかからなかった。

 規則的な寝息をたてながら寝ていると、入り口のドアが開く。

「……?」

 入ってきたのは一人の女子生徒。

 先客がいることになんの反応もしなかったが、俺の隣まで近付いてくる。

「……ねぇ」

 体を数回揺らされるが起きる気配はない。

 なにを思ったのか彼女は持っていた本を丸めて俺のスパンっ!といい音をたてて頭を叩く。

「ふがっ?」

 勢い良く叩かれると人は誰でも起きるものである。

 例外なく俺も頭を叩かれマヌケな声を出して起きる。

「んだよ、まだ一時限目じゃねぇかよ…てかお前誰?」

 前髪で左目が隠れている彼女は緑色のリボンをしていることから二年生だと分かる。

 なんかどっかで見たことあるような……気のせいか?

「……君、ここで…なにしてるの?」

「見て分かんねぇか?寝てたんだよ」

 そんでたった今お前に叩き起されたんだよ。

「……ダメ、なんだ」

「その言葉そっくりそのまま返球してやるよ」

 彼女はそのまま俺から少し離れた席に座り持っていた本を読みだす。

「さっきも聞いたけど、お前誰だよ」

「……蒼唯」

 言葉少ない彼女はこちらを見ずに本を読みながら名前を言う。

 なにを読んでいるのか少し気になるが、眠気には勝てなかった。

「……まぁいいや」

 大欠伸をかいて再び眠りにつく。

 そして時間は刻々と過ぎていき、気が付けば三時限目が終わる頃。

 蒼唯は静かに席から立ち再び俺を揺らす。

「……起きて」

 しかし深い眠いについていた俺は起きず、それを見た蒼唯はムッとした表情で再び本で頭を叩く。

「ほげっ?」

「……午前中、終わるよ」

「もうそんなに経った?ふわぁーよく寝た」

 固まった上半身を解し、鞄を持って教室から蒼唯と一緒に出る。

「じゃあな先輩」

「……じゃあね」

 そして蒼唯と別れ自分の教室に向かう。

 やっぱり誰かに似てるよなー……思い出せん。

「思い出せないってことはそんな肝心なことじゃないってことだよな。気にしないでおこう」

 眠気が解消され上機嫌で呑気に鼻歌を交えながら教室に辿り着く。

 すでに昼休みになっており教室に入るといつものメンツが総出でお出迎えしてくる。

「あっ!海斗やっと来た!」

「おそようございます」

「絶対どっかでサボってたでしょ?」

「サボりとは心外な。睡眠学習してたんだよ」

 悪びれることもなく席に座ると服部が目の前に座る。

「よお寝坊助さん」

「お前も同じだろ?」

「残念ながら俺は最初からいましたー」

「あら意外」

 なんでも幼い頃から深夜アニメを見ていたので一徹くらいなら平気な体になったらしい。慣れとは恐ろしいものだ。

「それより、昨日はお楽しみだったようだな?」

「誰かさんがモノに釣られてドタキャンしてくれたおかげでな」

「そう睨むなよ。おかげで距離が縮まったんじゃない?お兄ちゃん?」

「まったく。いい迷惑だ」

 はいはいと雑に返事をされ服部は持ってきていたアニメ雑誌を読みだす。

 特に気にせず予め買っておいたジュースを飲んでいると、表紙に目が行く。

「あれ?そいつらって確か…」

「ん?この子達か?最近有名になってきたバンドだな」

 表紙には『噂の美少女バンドWING’sの巻頭グラビア!』と書かれていた。

「この子がドジっ娘のモモちゃんでこの子がお姉さんポジのナツちゃん、そんで元気いっぱいキャラのトワちゃん」

「やけに詳しいな」

「この子達アニソンもちょくちょく出してんだよ。それで気に入った」

「ふーん……ん?」

 服部のくだらない理由を軽く流しながらふとなにかを思い出して表紙を至近距離でガン見する。

「えっ、なに?怖っ…」

「……いや、どっかで見たことあるようなないような…」

「はい?」

 まじまじと見つめた後手を組んで必死に思い出そうとする。

 あとちょっと…こめかみまで来てんだけど……

「こんな美少女三人組を見かけたらそりゃ覚えてるだろ」

「そうなんだけど…うーん……」

「頭引っぱたけば出てくるだろ」

「やれるもんならやってみろ。返り討ちにしてや……」

 雑誌を丸めて構える服部の姿を見て、眉毛辺りまで出かかっていたものが出てきた。

 急に話すのを止めた俺はふと思い出した。

 そして、不敵な笑みを浮かべる。

「ふっふっふっ……こりゃ面白いじゃねぇか…」

「なんだ?叩く前に壊れたか?」

「壊れてんのはお前だ。ちょっと付き合え」

 服部の襟を掴みそのまま教室を出る。

 訳が分からない服部は多少抵抗したが察したのか大人しくなる。

「それで?次のターゲットは有名人か?」

「あぁ。しかも意外と近くにいた」

 向かう先は二年棟。この学校は学年毎に棟が別れている。

「前回と比べてかなりハードル上げたな。出来るのか?」

「出来る出来ないじゃない。やるんだよ」



 ◆ ◆ ◆



 二年棟に着いた俺は通りすがる先輩達に声をかけ、とある女子生徒を探す。

 人伝で聞いて向かった先は二年棟にある音楽準備室。

 そこに彼女はいるらしい。

「失礼しまーす」

 ノックをせずにいきなり扉を開けると、こちらを驚いた様子で見る一人の女子生徒がいた。

「やぁ、蒼唯先輩?」

 そこにいたのは、午前中海斗と一緒にサボっていた蒼唯だった。

「……なに?」

「先輩さぁ、WING’sって知ってます?」

「っ……知らない…興味、無い」

 一瞬言葉が詰まる姿を俺は見逃さなかった。

「先輩嘘が下手ですね。それとも、こう呼んだ方がいいですか?トワちゃん?」

「っ!?」

「えっ?」

 服部と蒼唯が同時に驚く。

「ちょちょちょ、ちょっと待てよ!?こんな物静かな人があの元気いっぱいなトワちゃん!?」

服部の言う通り、テレビの向こうのトワちゃんは何をするにも笑顔で取り組み、悩みなど無縁な元気ハツラツなキャラだ。

 しかし、いま目の前にいる蒼唯は口数が少なく表情筋が機能していないと錯覚を起こすくらいに常に真顔。

 トワちゃんとは正反対な存在に見えるのが当たり前である。

「先輩さ、なんで左目の涙ボクロを化粧で隠してんだ?」

「え?隠してる?」

 よく見ると、蒼唯の左目の下が肌の色と少し違う。

 気にして見なければ分からないレベルの化粧だ。

「そしてその髪型。人ってのは顔の三分の一が隠れてれば本人だと意外と気付かれない。でも、隠すなら右目じゃなくて左目にするべきだったな」

「…………っ!」

「服部、逃がすな」

「あいよ」

 走ってくる蒼唯の目の前に移動し逃走を妨害させる。

「いやー驚きだった。まさか通ってる学校に有名人がいるとはな」

「……なにが、目的?」

 未だ警戒しているのか服部とも距離を取り鋭い目付きで俺達を見る。

 汗で化粧が取れかかり左目のホクロが薄らと現れる。

「バイトをさせてくれ」

「……バイト?」

「そうだ。先輩達近々ライブやるだろ?そのライブのバイトをやらせて欲しいんだ」

「……なんで?」

「もうすぐ夏休みだし、出来れば遊ぶ金が欲しいんよ。先輩だって稼いでる身なんだからその気持ちは分かるでしょ?」

 もちろんこれは嘘だ。

 ただ蒼唯と陸斗をくっ付けさせるための口実に過ぎない。

「……本当に、それだけ?」

「あぁ、それだけだ。もちろんあんたがトワちゃんだってことは誰にも言わない。言ったところでメリットがないし俺に降りかかるデメリットの方が多い」

 本当は人気急上昇中のバンドのメンバーがいればその情報を売って金にしたいが、そうなれば今の計画がおじゃんになる。

 そんな勿体ないことする訳がない。

「……分かった」

「話が早くて助かる。詳しい事が分かったらあの空き教室に来てほしいっす」

 連絡先は聞かない。

 緑莉の件の失敗を糧に密にヒロイン候補と距離を縮めない為の策だ。

 蒼唯を残し俺と服部は教室を後にする。

「いやーまさか本当にあの人がトワちゃんだったとはね。驚きも驚きよ」

「あんま大声で言うなよ。せっかくの候補がいなくなる」

 こんなのが公になったらそれこそ蒼唯が学校から転校せざるを得ない状況になってしまう。

 そうなると再び失敗してしまうのだ。

「それで?この後どうする?」

「とりあえず連絡待ちだ。それまでにあの“三”人の情報をまとめる」

「へいへ……ん?三人?」

 俺の言葉に反応し服部が聞き返してくる。

「当たり前だろ。これで一気にヒロインが三人も追加されんだぞ?こんな美味い話が早々あるか?」

「二頭追う者一頭も得ずってことわざ知ってるか?」

「なに言ってんだ。それを言うなら一石二鳥だ。いや三鳥か?」

 夏休みまでに一人は欲しいと思ってたが、とんだ番狂わせだ。

 前回と比べ難易度はかなり跳ね上がる。

 しかし、今度こそは成功させる。

「ササッと終わらせて、美味い飯でも食おうぜ?なぁ?」


THIRD TARGET

【八重樫 蒼唯:トワ】

【北野 百々:モモ】

【日向 藍:ナツ】



 ◆ ◆ ◆



 あれから三日が経過した。

 緑莉に頼み三人の個人情報を調べてもらい手元に一つのファイルが届く。

「鷹木家を敵に回したら怖いっていま確信した」

「鷹木家というより緑莉だろ」

「お兄ちゃんのために頑張りましたっ!」

 可愛らしいピースをする緑莉はさておき、まとめられたファイルに目を通す。

「既存のプロフィールに各自宅の住所、本名に実年齢…家族構成まで調べあげたか」

「緑莉ちゃんの裏ルート恐ろしい」

 ちなみにこれを調べる代わりに一日デートする約束をされたが上手く誤魔化す予定だ。

「私に頼めばバイトのこともすぐに出来たのに」

「それだと意味がない。本人に直接交渉することで意味があるんだよ」

「交渉というか脅迫に近かったぞ」

 なにを言うか。相手のマウントを取ることで状況を優位に展開させる。立派な交渉だ。

「俺の予想では多分今日辺りに先輩はここに来る」

「その根拠は?」

「今まで小さなハコでライブをしていたあいつらが今回はドームでライブをする。しかもチケットは即完売するほどだ。ある程度の人数を集めたところを無理くり入れるとなると時間はかかるだろ」

 なるほどと納得する服部。

 トコトコと小走りで俺の隣にしゃがみ込む緑莉が頭を撫でてと言わんばかりの目線を送ってくるがあえて無視する。

「ところで、バイトって誰が行くの?」

「蛆虫と俺と服部」

「はぁ?俺も?」

「生歌聞けるんだぞ?感謝しろよ」

 納得していない顔で俺を見る服部を無視し引っ付く緑莉を片手で押し返しながら携帯を見ていると、教室の扉が開く。

「やっと来たか」

「……」

 入り口には前髪で左目を隠している蒼唯が立っていた。

「緑莉。悪いけど席を外してほしい」

「はいはーい。校門で待ってるね、お兄ちゃん♪」

 先輩との約束を守ろうと緑莉を退室させ、3人になったところで先輩は話し出す。

「……あの子は?」

「ただの後輩だ。もちろん先輩のことは話していない」

「……お兄ちゃん、って?」

「そのことには触れないでほしい。頭が痛くなる」

 悪意のない質問なのは分かっているが、正直校内で『中学生にお兄ちゃんと呼ばせてる痛いヤツ』と思われたくないので無理矢理話題を変える。

「それで?バイトの件はどうなりました?」

「……それは、OK」

 静かに座りながら話す蒼唯の目の前で表には出さなかったが安堵する。

「ありがたいっす。あとこいつともう一人追加することって出来ます?」

「……それくらいは、大丈夫」

 ゴソゴソと鞄の中を探る蒼唯はパンフレットを出しては机の上に置いた。

「……それで、今日…バイトの…打ち合わせ、する」

「ん?打ち合わせ?」

「……そう。19時に、事務所…待ってる」

 そう言って蒼唯は教室から出ていった。

 残った俺と服部は蒼唯が所属するパンフレットを眺めながら蒼唯の発言に疑問を抱く。

「バイトの面接的なやつか?」

「完全に打ち合わせって言ってたぞ?単純な言い間違えじゃないか?」

「そんなの有り得ないだろ。まぁ第一関門クリアだ」

 パンフレットを手に取り鞄にしまう。

 次に携帯を取り出し陸斗に連絡をいれようとするが、手を止める。

「……服部、悪いんだけど毒キノコ野郎に連絡入れといてくれ」

「なんで俺が?」

「最近あいつに連絡するだけで悪寒がヤバい」

「身内をそこまで嫌うお前もヤバい」

 しょうがないと言いながら陸斗に連絡を入れる服部。

 単に面倒臭かったからと思ったのは内緒にしておこう。

「連絡したぞ。集合時間までどうする?」

「制服姿のままだと補導されかねん。一旦帰って私服で事務所に集合だ」

「りょーかい。天ちゃんにはなんて言うんだ?」

 天は母親並に俺達兄弟に接してくるので夜の外出となると説得させるのが困難なのだ。

「その為に緑莉を待たせてある。とりあえず帰ろう」

 そして俺達は帰宅する。

 道中緑莉が腕に抱き着こうと強引に近付いて来たが上手く躱しながら帰る。

「あ、海斗おかえり。服部君から連絡あった?」

「あぁ、聞いてる。俺は先に出るから時間と距離開けて来い」

「一緒に行こうよー」

「それ以上近付いたら性別のシンボルを蹴りあげるぞ?」

 確かな殺気を放ちながら自室に向かい着替えるためにクローゼットを開けると、天の部屋に向かったはずの緑莉が座っていた。

「……おい」

「私ハ置物。オ兄チャンノ部屋ノ置物。着替エガ見タイ訳ジャナイ」

 独りでに喋る置物を部屋の外に放り投げる。

「天と遊んでてやれ」

「むむむー!お兄ちゃんの鬼畜シスコン!」

 誰が鬼畜だ。

 妹を敬愛して止まない優しいお兄ちゃんだ。



 ◆ ◆ ◆



 夜のオフィス街は帰宅するサラリーマンが多く、週末なのもあるのか1週間の疲れが露骨に現れている。

 そんな事はさておき、事務所の前に集合し俺達三人はビルの中に入る。

「おい服部。そのTシャツはなんだ?」

「ん?ドスケベ天使ペペロンチロコちゃんの名言Tシャツだけど?」

「やめろやめろ恥ずかしい。お前の私服のセンスを疑う」

「好きなものを主張してなにが悪い?なぁ?お兄ちゃん?」

「う、うん。そうだね…」

「てめぇはてめぇでなにソワついてんだよキモっ」

 服部はともかくこいつがファンだと知ったのは後のこと。

 憧れのバンドのメンバーがヒロインになるのだ、光栄に思えそして死ね。

「トワちゃんが言ってたバイトの子ってあなた達ね?」

 受付で待っていると眼鏡をかけたスーツの女性に声をかけられる。

 蒼唯の芸名を口に出したところを見るとマネージャーだと伺える。

「はい、そうです」

「初めまして。マネージャーの小西です。こっちにいらっしゃい、案内するわ」

 そして案内されたのは会議室。

 無機質な部屋では無く小洒落た置物やグッズが飾られておりその中でもWING’sの小物が多かったの見ると事務所内でも推しているのが嫌でも分かった。

 しばらく待機していると、会議室のドアが開き先程のマネージャーの小西さんと蒼唯、そしてバンドのメンバーの二人が入ってくる。

「初めまして!ベース担当のモモです!」

「ギターボーカルのナツです。よろしくね」

「……ドラム、やってる」

 各々簡単な自己紹介を終え、話は本題へ。

「さて、今日はいきなり呼び出して申し訳ないと思ってるわ」

「そうですよね。バイトの面接って訳じゃないですよね?」

 なんせバンドメンバーにマネージャーまでが出てくるのだ。普通の面接とは訳が違う。

「なんで僕達はここに呼ばれたんですか?」

 丁寧に話す俺の姿を驚いた表情で見る服部の失礼な視線に気付き後で小突く事に決めた。

「そうね…あまり大きな声で言えないんだけど、あなた達にはこの子達のボディーガードをしてもらいたいのよ」

「ボディーガード!?」

 小西さんの発言に驚きを隠せない陸斗。

 その気持ちは癪に障るが同感だ。

 一介の高校生にこんなことを頼むこと自体有り得ないのだから。

「なんでそんな事を?」

「これを見てちょうだい」

 前に出されたのは一つのパソコン。

 パソコンには監視カメラの映像が流れていた。

「これは……」

「……うわぁ…」

 その映像は数日前の映像で、内容は出待ちしていると思われるファンの映像。

 しかし、何時間経っても一人のファンだけがその場に留まっている映像だった。

「この人物はイベントがある度に現れるて毎回こうやってずっと一人で待っているの。最初は有難かったけど、最近になって怖く思えてきたのよ」

 確かに、駆け出し時代から追ってくれているファンであるなら有難いことだ。

 しかし、ここまで来るとさすがにマナー的にどうかと思う。

「これも見てちょうだい」

「なんですこれ?手紙?」

 いわゆるファンレターを一つ渡され、中身を確認する。

 内容を見た服部と陸斗の表情が青ざめたのを見ると内容は見なくても大体予想は着いた。

「度の過ぎた応援は狂気を生んだってことですか?」

「そういうこと。事務所内で回そうと思ったんだけど何せ出来たての事務所だから人員不足で。バイトで賄おうと思ったんだけどそれだと逆に懐に入られてしまうと思ったのよ」

「じゃあ、なんで僕達にこの事を?」

「あなた達は一般応募とは違うからよ。それにトワちゃんからの紹介ってのもあるわ」

 なるほど。やり方は合理的だ。

 だけど、どんな内容で話したかは分からないが俺の頼み方は少々ゴリ押し感が強かったが良いのか?

「だとしたら紹介の方がまだ安心する、と?」

「その通り。まぁ決め手は陸斗君よ」

「え?僕?」

 急に話を振られ驚く陸斗。

 陸斗を指さしながら小西さんは優しく微笑む。

「こう見えて人を見る目はあるわ。だから陸斗君の周りの子も大丈夫だと思ったのよ。まぁ女の勘ってやつね」

 服部と陸斗は互いに顔を見合わせた後俺を見る。

 どんな入り方であれ作戦に支障をきたさないので悩む必要はない。

 二人を見ずに俺は小さく頷く。

「任せてください。絶対三人をお守りします」

「その代わりバイト代弾んでくださいよ?」

「よろしくお願いします」



 ◆ ◆ ◆



 その後ライブの前日のリハと当日の動き方と配置の打ち合わせをして解散することに。

 最後にバイト代を見せてもらった時にはさすがの俺でも目が$マークになった。

「じゃあ来週よろしくね?」

「分かりました。失礼します」

 会議室から出て俺達はエレベーターを待っていた。

「はー。来週末の予定キャンセルして正解だったわ」

「今更だけど、僕達で良かったのかな?」

「小西さんが良いって言うなら良いんじゃね?」

「そういうものかな?どう思う?海斗?」

「これが成功すれば作戦は成立するし臨時収入もゲット…旨味しかない…グヘヘ」

「駄目だ周りを遮断してやがる」

 ニヤケながら立っていると、後ろから声をかけられる。

「り、陸斗さん!」

「ん?モモさん?」

 声をかけてきたのはピンク色のカチューシャで髪を上げている百々だった。

「ずっと言おうと思ったんですけど……あの時は助けてくれてありがとうございました!」

「……へ?」

 深々と頭を下げる百々の姿を見て陸斗は困惑する。

 それもそのはず、陸斗にとってあの時とはどの時なのか皆目検討がつかないからだ。

「えっと……僕なにかしましたか?」

「覚えてないんですか?先日ひったくり犯を捕まえてくれたじゃないですか!」

「僕が!?いつ!?」

 ますます混乱する陸斗を面白がってただ見ていた服部はトリップしている俺の肩を叩く。

「おいおい弟くんよ。お前のチリツモが実ってるぜ?」

「は?なにを突然…なにしてんのこいつら?」

 お礼を言い続ける百々とアタフタしている陸斗を見て事情が分からなかったが、服部から事情を聞いて納得する。

「ひったくりって本当に最近じゃん。近所に有名人いすぎ」

「もしかしてナツちゃんも近くに住んでたりしてな」

「だとしたら早いんだけどなー」

「呼んだ?」

 エレベーターが着いて扉が開くと中に藍がいた。

「ビックリして心臓飛び出そうだった」

「なんでエレベーターから登場すんの」

「上の階に用事があったのよ。みんなまだ帰ってなかったのね?」

 エレベーターから降りて軽く話していると先程の打ち合わせのことを思い出し送ることを提案する。

「なんなら今日から送ります?」

「ごめんね。私はまだやることがあるから」

「あ、なるほど」

「せっかくならモモとトワを送っていってもらえる?」

「二人を?なら先輩を待たないとな」

「……呼んだ?」

 いつからいたのか藍と俺の間に音もなく現れる蒼唯。

 服部は声を出さずに驚くが状況が状況なので俺は驚かない。

「もう驚かないぞ」

「……?」

「じゃあ私は行くから。二人をよろしくね」

 仕事をしに戻った藍に手を振ったあと俺を見る蒼唯。

「……なんの、話?」

「先輩達を送ることになりました」

「……送迎、ある──」

 送りがあることを伝えようとしたが百々と陸斗が楽しげに話しているところを見て固まる。

「先輩?」

「……なんでも、ない…帰ろ?」

「車あるんじゃないんすか?」

「……大丈夫」

「なら送ります。オイいつまでくっちゃべってる帰んぞ水垢」

「へぶ!?」

「陸斗さん!?」

 二人の帰り支度を待ち五人で事務所をあとにする。

 時間も時間であり人気が少ない道を歩いているとやはり当分は送り迎えした方がいいと提案する。

 まぁ本当はカビとの距離を縮めさせる作戦だがな。

「私は大賛成です!」

「……どっちでも、いい」

「なら決まりだな。連絡はこいつらのどっちかにしてくれ」

「分かりました!」

「……海斗君は?」

「今日携帯忘れてきた」

「なら後で教え──」

「おっと腹に虫が付いてんぞっ!!」

 アホが余計なことを言う前に腹に重い一撃を入れる。

 そんなこんなで二人を無事に送り俺達も帰路にたつ。

 さすがに二人の家までは特定されていないのか怪しい人物は現れなかった。



 ◆ ◆ ◆



 翌日、マネージャーにライブまでの数日は放課後や休日も送り迎えをすることを伝えると快く承諾してくれた。

 快く思っていないのは陸斗のヒロインズだが、夏休みにサプライズをやる為にいまバイトしてるらしいぞと適当なことを言ったら二人とも黙認してくれた。チョロい。

「……お待た」

「全然待ってないですよ。行きましょうか」

 校門前で陸斗と蒼唯が合流し二人は事務所に向かう。

 その後ろでバレないように尾行をする。

「ライブまであと二日か。このまま行けば最低でも一人は確保できるが…残り二人をどうするか」

「一人?誰?」

「モモだ。あの感じはもうヒロインだ」

 この数日で分かったが百々は俺が演技した時に意識し始めていた。

 そして毎日連絡を取り合っているようで仕事のことから世間話、寝る前に電話もしたり好きなタイプの女子のことまで聞かれていた。

「このまま何事もなく終わってくれればなー。痛いファンもどっか行ってくれって感じ」

「それは俺も思うよ。よく考えると割に合わない」

「あ、今更言う?」

 くだらない話をしていると二人の姿を見失いそうになり急いで追うことに。

 二人を尾行して分かったことは、移動中はなにも話さない。

 小さなイベントを起こしても蒼唯は無反応を貫き挙句の果てに陸斗も投げやりでイベントを強制終了させる始末。

 なんなんだあいつら!結婚のタイミングが遅れたカップルか?家庭内別居中の夫婦か!?

「ビックリするぐらいなにもないな」

「ライブまで残りわずかだってのに…どうする…」

「まぁ焦ったって始まらんでしょ?根詰まったらちょっくら息抜きでもしないと」

「でもよ……ん?」

 信号で待っている二人の右後ろにいた姿に違和感を感じた俺はその人物を見つめる。

「……なぁ服部」

「どうした?」

「少し息抜きしてくるわ」

「おう?本当にどうしたの急に?」

 二人にバレないように近付き、信号が青に変わった瞬間怪しい人物の肩を掴む。

「よぉ、ちょっとお茶でもしない?」

「……いつからバレてた?」

 帽子を深く被りサングラスをかけていたその人物は静かにサングラスを取る。

「気付いたのはさっきだ。髪型は隠せても普段の癖は隠せないようだな。ナツさん?」

「……ちょっとだけよ?」

 尾行していたのは俺達だけではなく、バンドメンバーの藍もだった。

「服部は二人の尾行を続けてくれ。俺はお茶してくる」

「オッケー。なんかあったら連絡する」

 不穏な空気の中服部は別れて俺と藍は一緒に反対方向へ歩いていった。

 藍の紹介で連れてこられたのは駅から少し離れた喫茶店。

 店内は落ち着いた音楽が流れており時間帯も相まってか客は俺達だけだ。

「それで?どうしてナツさんはあそこにいたんですか?」

「……言わなきゃダメ?」

「別に言わなくても良いですけど、なにぶん現状が現状です。近しい人間が不審な行動を取ってると気になるので」

「……んー…んんんー」

「悩むってことはそうなんですね?」

 本当に言いたくないのか藍は視線を下に向け頼んだコーヒーをスプーンでグルグルと掻き回す。

「バンドメンバー及び関係者に危害を加えないのであれば言わなくてもいいですよ」

「危害?なんのこと?」

「……はい?」

 俺の言葉に反応して目線を上げたが想像していた返しと違うことに違和感を覚える。

「え?ストーカー関連じゃないんですか?」

「全然違うよ?確かにトワちゃんもモモちゃんも可愛いし妹みたいな感じの好きだけど……」

 あれれ?展開がおかしくないか?

 なんか頬赤くなり始めたし、急に乙女の顔つきになってきてるぞ?

「それに私は……誰にも言わない?」

「え、えぇ…」

 これはもしかして……

「私…陸斗君のことを見てたのよ……」

 はいキましたー!三人中二人がヒロイン確定でございます!これは嬉しい展開です!フィーバータイム突入です!

 荒れ狂う喜びを胸にしまい冷静な表情を作り藍の話を聞く。

「最初会った時からちょっと気になってたの。それで会う内に彼の優しさとたまに見せる男らしいところに惹かれちゃって…」

 素晴らしいじゃないか。俺が見ていないところで無意識にアプローチをしていたなんて。

 帰りにジュースでも買ってやろうか。

「他にも子供っぽい笑顔とか腕捲りした時に見える筋肉とか見ちゃうと…もう堪らなくて。この前なんて車の中で寝てた姿見たらいてもいられなくて…」

 ……ん?ちょっとエスカレートしてきたか?気のせいか?

「この後ろ姿とか最高すぎない?モモちゃんと場所交換したかったくらいだし昨日のこの時だって本当は隣になりたかったけど服部君がいたから邪魔できないし、彼にあげたジュースも半分残ってて勿体ないから飲んだんだけどその後の仕事が凄い捗ったの!だから陸斗君が利用した物は全部集めて保管してるし陸斗君のスケジュールも平日休日しっかりリサーチして暇な時に連絡とって陸斗君の邪魔にならないようにしてるし陸斗君の表情フォルダも新しく作って保存してるしもう全部が好き!大好きなの!あぁ…陸斗君陸斗君陸斗君陸斗君陸斗君陸斗君陸──」

「ストップストップストップ!」

 完全にトリップする前になんとか止めることに成功する。

 周りに他の客がいなくて良かったと心から思ったのは初めてだ。

「あっ、ごめんね?つい興奮しちゃって」

「い、いえ…誰にでもあること…だと思いますんで……」

 これは…やばい。

 てっきりお姉さん系のヒロインかと思ってたが、どうやら俺の勘違いだったようだ。

 藍は俺が苦手とする病み系ヒロインまたの名をヤンデレヒロインだった。

「海斗君この後時間ある?あるんだったら陸斗君のことで聞きたいことがあるの」

「一応暇ですけど…時間になったら事務所に行かないといけないんですけど…」

「事務所に行くなら大丈夫よ。小西さんに私と一緒にいるって言えば」

「……はい」

 ここで断ったら多分俺は殺されるだろうと思い喫茶店が閉店するまで陸斗の細かいプライベートなことをじっくり搾り取られ、解散するかと思ったら個室居酒屋に拉致され解放されたのは日が変わってからであった。



 ◆ ◆ ◆



 完全な寝不足で翌日を迎え、今日を休みにしておいて良かったと心から思った。

 本当なら学校に行かなくてはならないのだが、今日はライブのリハーサルなので学校には嘘の公欠届けを提出していた。

「……バチクソ眠い」

「昨日は夜までなにしてたんだい?ナニされたんだい?」

「そんな桃色な展開にはならんかったよ。まぁヒロインがもう一人確定したってのが分かったくらいだ」

「となると、残るは先輩だけか」

 服部と二人で目線を上げると力強くドラムを叩く蒼唯の姿が。

 普段の様子から一変しどこにそんな余力があるんだと言わんばかりのドラム捌きに思わず圧倒される。

「モモ!またコードミスってるよ!」

「ふえぇ!ごめんなさい!」

「……ファイトー」

 リハーサルと言っても当日披露する曲を何回かずつ練習し音響機器の確認とやることは限られている。

 その間に俺達は交代で見回りをするだけだった。

「次服部君だよー」

「あいよー。兄弟仲良くしてろよ?」

「死んでも無理」

 見回りの番にな服部はり会場から出ていった。

 そして休憩の時間になったのか三人は楽器を置いてステージから移動する。

「お疲れ様です」

「お疲れっスー。アイス買ってきたんで良かったらどうぞ」

「ありがとうございます!」

「陸斗君も食べる?」

「僕はいただきますよ」

「お前の分はねぇよ」

「嘘ぉ!?」

 休憩中は陸斗に視線を集めさせるべくいつも通り弄り倒す。

 途中藍から鋭い視線を感じて震えたがこれも作戦の為だと覚悟して続けていると、飲みすぎたのか急な尿意に襲われる。

 陸斗が三人と話しているので特になにも言わずその場から離れトイレに向かう。

 途中服部と会い次いでだからと見回りを交代する。

「ふぃー。水分の摂りすぎは注意だな」

「……だな」

「ぅおっ!?」

 男子トイレから出ると目の前に音もなく蒼唯が現れる。

「……やほ」

「あんた本当に人間か?どうして急に現れるんだよ」

「………」

「……なに?俺の顔になんか付いてる?」

 黙り込んでは俺の顔を凝視する蒼唯の目線に戸惑いながら一歩下がる。

「……似てない、ね」

「はぁ?あぁ。あいつとか」

「……本当に、双子?」

「俺もそう思うし同じ母親から産まれたことが一生の不覚」

「……フフフ、面白い」

 なにを思ったのか蒼唯は口を隠しながら静かに笑った。

 蒼唯の笑う姿を初めて見た俺は単純な興味本位で蒼唯の顔を見つめる。

「なんだ。あんた笑えるのな」

「……笑う、よ?」

「いつも無表情だろ?」

「……そんなこと、ない」

「あっそ。俺は外見てくるから先輩は戻って戻って」

「……場所、分からない」

「はぁぁ?」

 なんでも蒼唯は方向音痴だったらしくさっきトイレの前にいたのも単純に迷って俺がトイレに入ってたのを見てたからあそこにいたんだとか。

 本当は楽屋に行く予定が反対方向のトイレまで来るとは…重症じゃん。

「……とりあえず楽屋に行くぞ」

「……ごー」

 呑気な蒼唯の掛け声にツッコミを入れたくなったがそっと胸に抑え込み楽屋へと向かう。

 蒼唯は普段から喋らないイメージがついていたので特に話題もなにも考えていなかったのだが、

「……この前、モモちゃんが…収録中に…」

 なんか、今日めっちゃ喋るやんこの人。

 本日の蒼唯はいつもの倍喋るのだ。

 普段話さないからなのか話題が尽きることがなく楽屋に着くまで蒼唯の口が閉まることはなかった。

「ほら、楽屋に着いたぞ」

「……待ってて」

「どうせまだ迷子になるだろ。早くしろよ」

 トテトテと楽屋に入っていった蒼唯。

 楽屋の扉を開けたままにしておき、蒼唯が戻ってこないことを心配しているんじゃないかと思い服部に一応連絡する。

「……ねぇ」

「はい?」

「……これ、取って」

 見ると棚の上に置いてある荷物を取りたかったのか背伸びしてお願いする蒼唯の姿が。

「椅子使えばいいだろ」

「……その手が、あった」

 ハッとして椅子を準備する蒼唯にこいつ意外とアホだなと思ったのは内緒のこと。

 ガタガタと椅子の上に立ちお目当ての荷物を取り降りようとした時、不安定だったのか足を滑らせる。

「……あっ」

「ばっ!?危ねぇ!?」

 咄嗟に駆け出し転落する前になんとか蒼唯をキャッチする。

 ドサドサと他の荷物も落ちて危うく大怪我するところだった。

「おぉ、セーフ…」

「……ありがと」

「全く。不安定な椅子なんて使うか…ら……」

 現状を確認しよう。

 落ちそうになった蒼唯を寸前でキャッチしたのはまだいい。

 しかし、傍から見れば片膝を付いてこれからお姫様抱っこをすると言わんばかりの自分の姿にサッと血の気が引いた。

「……大丈夫?」

「大丈夫大丈夫!どこも怪我してないな?なら行くぞ!」

 ゆっくり蒼唯を降ろしそそくさと楽屋を出る。

 危ない危ない。あれだとまるでヒロインを助けた主人公みたいじゃないか。

 蒼唯は陸斗のヒロイン候補だし変な行動を取ると緑莉みたいになってしまう。それだけはなんとしてでも阻止せねば!

 半ばナルシスト発言をしているがそのことにすら気付かない程動揺していた。

「……行こ?」

「ぅえ?お、おう」

 助けられた本人はどう思っているのか分からないが、先程のことを深く聞いてこないということはただのハプニング程度と捉えているのだろう。

 その方がこちらとしても助かるのだが。

「……今日は少し距離を取るか」

「……なに?」

「なんでもない。ほら早く行くぞ」

「……うん」

 とんだハプニングがありながらもリハーサルは無事に終え、その日は解散となった。

 三人は事務所の人の送迎がある為俺達も帰っていいとのこと。

 当日である明日の打ち合わせを小西さんと軽く詰めて俺達も解散した。

「いよいよ明日かー。緊張するね」

「そうか?俺は生歌が聞けるから楽しみだけどな。な?海斗?」

「俺に振るな。特になんとも思ってない」

 本当にストーカーが現れて騒がれたとしても対処はできるようにしてある。

 被害は最小限に、作戦は最大限に活用させるために。



 ◆ ◆ ◆



 そして迎えたライブ当日。

 開演は夕方からなのだが時間前にも関わらず会場前には大勢の人で長蛇の列ができていた。

「うわぁ…凄い人の数…」

「さすが人気急上昇のバンドだな」

 人の数に圧倒されている二人を余所に俺は緑莉にストーカーに関する連絡をとっていた。

『この数日ストーカーさんは目立った動きはしてなかったよ』

「あくまで動くのは当日ってことか」

『多分ね。物騒なことにならないといいね?』

「そう願うよ。なにか分かったら連絡してくれ」

『分かった!お礼はお兄ちゃんと一緒に寝──』

 緑莉の要求を聞く前に電話を切り楽屋へと向かう。

 向かうと行っても俺達は楽屋には入らず楽屋の前で待機する。

 中ではライブ衣装のチェックやらメイクやらで俺達が入ったとしてもやれることがないのだ。

「もう一度確認するぞ。ステージ袖に二手に別れて監視。俺はこっちでお前らはこっちだ。怪しい人物を見かけたら逐一報告しろ」

「分かった」

「りょーかいっ」

 簡単な最終チェックを終えると中でも準備が終わったのか楽屋の扉が開き小西さんが出てきた。

「お待たせ。準備終わったから中にいても良いわよ」

「分かりました」

 小西さんは音響機器の最終チェックをしに行くといい早歩きで去っていった。

 俺達は楽屋をそっと覗くと真剣な表情で楽譜を見るWING’sの姿。

 化粧とヘアメイクも終わり雑誌やテレビの向こうでしか見たことのない三人の姿に服部と陸斗は見蕩れていた。

「あら?陸斗君達じゃない」

「陸斗さん!?お疲れ様です!」

「……よっ」

「うっす」

「皆さん綺麗になっちゃって。生歌楽しみにしてます!」

「ライブ頑張ってください!応援してます!」

 服部と陸斗が緊張を解すために話しているので俺は特に話そうとはしなかった。

 楽屋が楽しげな良い雰囲気になってきた時、スタッフであろう男性が入ってきた。

「WING’sさん。機器のチェックをしますので裏までお願いします」

「分かりました。モモちゃんとトワちゃん先に行っててもらえる?」

「……分かった」

「ふえぇ……緊張してきました…」

 男性と二人は楽屋から出ていき藍は集中したいと言いトイレへと向かった。

 残った俺達も配置につこうと移動する。

 その時、陸斗が尋ねてくる。

「ねぇ海斗。さっきの人…」

「なんだよ」

「白いシャツの人ってスタッフにいたっけ?」

「白シャツ?バンドTシャツは黒と白があるだ……」

 陸斗の言葉を聞いてスタッフの服装を思い出す。

 今回のスタッフ全員に新しいバンドTシャツが配布されており、そのTシャツは右腕側面にWING’sのオリジナルロゴと正面にカジュアルなデザインが印刷されているものだ。

 しかし、先程入ってきた男性スタッフは黒のパーカーを着ており中のTシャツは無地だった。

「おい、まさか…」

「……二人が危ない!」

 慌てて楽屋から出るが三人の姿はない。

 最悪の状況の中で陸斗は追いかけようと一人で走り出す。

「え?どったの?」

「狂ったファンが中まで入ってたんだよ!服部はナツのところに行け!」

「マジかよ!?分かった!」

 俺も急いで楽屋から飛び出し陸斗を追いかける。

「おい!モモと連絡とれるか!?」

「電話かけたけど出ないんだ!きっと楽屋に携帯が!」

「クソっ!走り回っても仕方ねぇ!」

 走るのを止めて俺は近くにいたスタッフに声をかける。

「おい!モモとトワを案内してたスタッフ見なかったか!?」

「え?その人だったらさっき向こうに…」

「向こうだな!?行くぞ!」

「うん!」

 会場の裏通路は小部屋が多く一つの部屋を虱潰しに探すとなると時間がかかる。

 しかし三人が出ていってそんな時間が経っていなかったので探す範囲は狭い。

 無駄に走り回るより聞き込みをした方が早いのだ。

 聞き込みを続けた結果三人は機材置き室に入っていったことを知り俺達は他のスタッフの目を無視し走って向かう。

「どこだよ!機材置き室って!」

「確かそこの角曲がったところ!」

 角を左に曲がってすぐの部屋にモモとトワが部屋に入っていくところを目撃する。

「いた!」

「おい!入んじゃねぇ!」

 しかし俺達の声は惜しくも届かず二人は部屋の扉を閉める。

 内側から鍵を閉められたら開けるのに時間がかかる為急いで部屋まで走る。

「二人共!無事!?」

「うわっ!?陸斗さんどうしたんですか?」

「……何事?」

 勢いよく扉を開けると二人はまだなにもされておらず、代わりにストーカーは驚いていた。

「早く出て!その人はスタッフじゃない!例のストーカーだ!」

「え?この人が!?」

「……ちっ!」

 男は近くにいた百々を人質にとろうと手を伸ばすが、それに反応して陸斗が先に百々を抱き寄せる。

 それと同時に俺が部屋に入り男に向かってハイキックを叩き込む。

「ゴハッ!?」

「観念しやがれ」

 男はその場に倒れて他のスタッフが男を抑えつける。

「大丈夫でしたか!?」

「と、特になにもされなかったです…」

「……うん、大丈夫」

「そっかぁ……良かったぁ」

「良くねぇだろ。遅かったら取り返しのつかないことになってたんだぞ」

 あわや惨事になるところを一歩手前で防いだ安堵感と気付けなかった不甲斐ない己への怒りが混ざりあって感情の整理が追いつかない。

 騒ぎを聞き付けた小西さんが急いで向かってきてくれたのでひとまず二人を楽屋まで送ろうと男から目を離したその時だった。

「……うらぁ!!」

「っ!ヤバっ!?」

 スタッフを無理矢理退かし男は人が一番少ない方向、つまり俺達の方に走って向かってきた。

「どけぇ!」

「っ!トワさん!海斗!危ない!!」

 男は一番近くにいた俺に殴りかかろうと迫る。

 咄嗟のことに反応出来なかった蒼唯は体が固まってしまい恐怖心で目を閉じる。

 肉と肉がぶつかる生々しい音が響く。

「い……痛ってええぇぇ!!」

 そして次に響いたのは男の悲痛な叫び。

 男は叫びながら振りかざした右手を抑える。

 それもそのはず、俺は避けずに男の拳を頭突きの要領で額に当てたからだ。

 痛みに悶える男を陸斗と他のスタッフが取り押さえ今度こそ動きを封じる。

「海斗君!?大丈夫!?」

「まぁこんくらいなら大丈夫です」

「血出てるじゃない!?急いで手当てを──」

「そんなことより、こいつらをステージに向かわせないと」

 額から垂れる血を拭きながら後ろにいる蒼唯と百々を指さす。

 ライブが始まる時間が迫っていたのだ。

「……分かったわ。私は二人を会場に送るからあなたは病院に!」

「かすり傷なんで問題ないですよ」

 慌てる小西さんを冷静にさせようとなんとか誤魔化す。

 正直言うと立っているのもやっとな状態だがここで倒れたらそれこそ大事になるので必死に保っていた。

 やっと小西さんが離れると俺は壁にもたれかかりズルズルと滑り座る。

「海斗、大丈夫なの?」

「話しかけんな。さすがに脳が揺れてる気がするから少し休む」

「……分かった。無理しないでよ」

 察してくれたのか陸斗はそれ以上なにも言わず小西さんの元へ向かった。

 ようやく一人になれると思い目を閉じていると、次に蒼唯が声をかけてきた。

「……ねぇ」

「ん?なんすか?」

「……ありがと」

「礼ならあいつに。犯人を見つけたのはあいつっすから」

「……違う。さっき、助けて…くれた」

「咄嗟の行動っす。別に助けた訳じゃない」

 下を向いててよく見えないが蒼唯の頬が若干赤らんでいるように見えて昨日の件と緑莉の件がフラッシュバックする。

 これは…非常にマズい。

「は、早く行かないとライブ間に合わないっすよ?」

「……うん」

 どうにか距離を取ろうと急かすが、蒼唯はその場を動こうとしない。

 しかし、小西さんから声をかけられ蒼唯はやっと立ち上がる。

「ほら、早く行って行って」

「……教えて…」

「え?」

「……連絡先、教えて」

 なにを言うかと思いきや。

 これはますます最悪なルートへ進みそうな予感がしてならない。

「……ライブ、聞かせて…あげる」

 あぁ、そういう事ね。特定の感情は抱いてなかったのね。

 安心した俺は蒼唯に連絡先を教えた。

「……行ってくる」

「頑張って盛り上げてくださいよ」

「……任せて」

 グッと力強く俺の手を握り締め蒼唯は走っていった。

「はぁ…これで大丈夫だな」

 百々と藍はすでに陸斗にゾッコンだったし一番の問題の蒼唯との距離も縮めつつある。

 この後の打ち上げで更に親密になってくれれば問題はないな。

「服部からの報告を待つとするか」

 その後スタッフが救急車を呼んでくれたようで俺は額の傷の手当てをしてもらうことに。

 幸いにもただの擦り傷だったので消毒と軽く包帯を巻かれるだけで済み、念の為家まで送ってくれるとのこと。

「さて、家に帰るか…ん?」

 突然携帯が鳴り見知らぬ番号からの着信。

 時間はライブが始まる少し前なので蒼唯からだとすぐに分かった。

 ……出なくてもいいか。いや、出たら駄目な気がする。

 頭が痛くてそれどころではないと嘘適当なこと言っとけば問題ないだろと考え結局電話には出なかった。

 車が準備できたことを伝えられ俺は車に乗り込む。

 すると今度は服部から電話がかかってきた。

「おう、どうし──」

『……こっちは、出るんだ』

 なぜか電話の向こうから蒼唯の声が聞こえる。

 しかも怒っているのか少し不機嫌な声で。

「あの電話は先輩だったんだー頭痛くて出れなかったんですよー」

『……ふーん』

 すると画面が切り替わりテレビ電話になる。

 どうやらステージ袖で皆集まっているのか他の二人も画面の端に映っていた。

『海斗さん?大丈夫ですか!?』

『頭怪我したって聞いたよ?』

 俺の事情を察して蒼唯は二人を遠ざけて机の上に携帯を置いた。

『……ライブ、聞いてて』

「あ、はい」

 そう言って蒼唯も離れ三人が集まりライブ前の恒例なのか掛け声をする。

『みんなに元気を!』

『みんなに希望を!』

『みんなに幸せを!』

『『『私達の翼に乗せて!Go WING!』』』

 掛け声が終わると三人は勢いよくステージに向かって走っていった。

 ライブが始まりテレビ電話で中継する形で閲覧する。

 これほどの出来事があったのにも関わらずライブを中止しなかった彼女達のプロ意識を改めて関心していた。

 度々服部と小西さんが俺の状態を確認したりして気が付けば彼女達に夢中になりライブは終盤に差し掛かった。

『それではここで休憩がてら質問コーナー!』

『事前に募集したファンからの質問に私達が1つずつ答えて行くよ!』

『なににしようかなー?』

 百々と藍は普段からのように振る舞うが蒼唯の元気な姿は今でも違和感を感じる。

『それじゃあ最初はこれ!『好きな人、憧れてる人はいますか?』です!じゃあ最初はモモちゃん!』

『私から!?えぇっと…憧れの人はお母さんです!す、好きな人は……い、いますけど言えません!』

 最初から爆弾発言を聞いて観客は残念そうだが大いに歓声を送っている。

 小西さんは目を丸くさせて驚愕していた。

 あ、マネージャーには内緒だったのね。

『おぉ!いきなり大胆な発言だねぇ。じゃあ次はナツちゃん!』

『私の憧れてる人は海外のギタリストさんかな。好きな人は……内緒♪』

 藍の答えにも百々と動揺歓声が湧き上がる。お姉さん系のポーズを取り誤魔化してはいたようだが。

 小西さんは白目を向いてしまった。

『最後はトワちゃんの番!』

『あぁ!私も言うのか!私は…何回も言ってるけど憧れてる人は両親。好きな人は……』

 蒼唯は少し静かになりそれを見て百々と藍はリハーサルとは違うことを心配して蒼唯を見る。

『私のことを助けてくれて、いまこのライブを見てくれている人です!』

 元気よく言い切った蒼唯に二人とは比べ物にならない程の歓声が浴びる。

 この時の蒼唯の発言に俺は脂汗が滝のように流れたが、きっと耳垢野郎の事だと言い聞かせた。

 ちなみに小西さんは泡を吹いて倒れてしまった。

『それでは最後の曲!なんと新曲です!』

『まだ発表されてないから、ちゃんと聞いててよー?』

『それでは聞いてください!新曲『ありがとうの形』』

 激しめの曲調がメインである彼女達の新曲は珍しくバラードで静かめの曲。

 メロディより歌詞に重点を置いたその曲は会場にいた誰もが聞き入り夢中にさせていた。

「……いい曲じゃねぇか」

 もちろんその曲を携帯越しに聞いていた俺も静かに部屋で聞いておりいつの間にか彼女達のファンになっていたのであった。



 ◆ ◆ ◆



 怒涛のライブから数日が経ち、額の傷もかすり傷だったので完全に治った。

 今日は終業式で夏休みの前日ともあって学生達は浮き足立っていた。

「紅音って夏休み中も部活あるの?」

「あるよ!でも毎日って訳じゃないから陸くんと会えるよ?」

「それでしたら皆さんで海に行きませんか?」

「それ良いね!」

 例外なく三人も夏休みを楽しみにしているようで今朝から夏休み中のことで話題が絶えない。

「夏休み中そーちゃんの家にお泊まりしてもいい?」

「良いよ。みーちゃんのお家にも行っていい?」

「全然いいよ!もちろんお兄ちゃんも来るよね?」

「マッハで引きこもるわい」

「そんなこと言うなよーお兄ーちゃーん?」

 ムカつく顔で近寄る服部を押し返そうと頭を鷲掴みにする。

 すると、服部が前を見てなにかに気付いた。

「海斗。あれ…」

「ん?…先輩か」

 交差点付近に蒼唯と他二名が話していた。

「……やほ」

「陸斗さん、この方は?」

「彼女は蒼唯さんって言ってバイト先でお世話になってたんだよ」

「後ろの二人は?」

 見慣れない制服の二人をよく見ると、髪型を変えた百々と藍だった。

「初めまして!夏休み明けからここに転校します北野 百々です!」

「同じくお世話になります、日向 藍です」

「そうなんですね。お二人は学年は?」

「私は一年生!」

「私は二年生。よろしくね」

 陸斗ヒロインズに合流したニューヒロインズは楽しそうに話をし始める。

 急な出来事に理解が追いつかない俺は隣にいた蒼唯に尋ねる。

「…どゆこと?」

「……二人とも、一緒が…良いって」

 この人に聞いたのが間違いだった。

 あとで小西さんから聞けばいいやとこの話題を頭の隅に置いた。

 すると蒼唯に服をチョイチョイと引っ張られる。

「……おでこ、見せて」

「おでこ?傷ならもう治って──」

 蒼唯の意図が理解出来ないが前髪を上げながら額を見せようと身を屈める。

 すると視界が急に暗くなり、瞬間唇に柔らかい感触が広がる。

 そして何事もなかったかのように俺の前から百々の隣に移動する蒼唯。

 違うよな?さっきの感触はきっと俺の上唇が下唇に触れただけだよな?

 一瞬の出来事に思わず固まる俺に気付いた服部と緑莉が近寄ってくる。

「お兄ちゃん?」

「なにしてんだ?置いてくぞ?」

 意識が整理出来ていない俺の手を引っ張っる緑莉。

 さっきのは真夏の幻覚だ猛暑が見せた陽炎だと自分に言い聞かせていると携帯が震える。


『私のファーストキスは先日のお礼。海斗のこと好きになっちゃったから良いでしょ?ちなみに内緒だよ?』


 文面を見て顔を青ざめ声にならない悲鳴をあげる。

 治ったはずの額からジンジンと痛みが広がっていくような錯覚に陥り思わず抑える。

「トワちゃん?どうしたの?」

「……なんでも、ない」

 唇に指を添えて微笑む蒼唯はどことなく、満足気な表情をしていた。

 そんなことに気付かない俺は最後尾で頭を抱えていた。

「服部…俺はどうすればいい……」

「なに言ってんだ?暑さで頭がやられたか?」

 神様…あんたはどうして俺にこんな無慈悲なことをするんだ…勘弁してくれ……

 陸斗にドジっ娘とヤンデレヒロインが追加され計画は順調に進んでいる。

 アクシデントはあったが、俺は諦めなかった。

 緑莉もそうだが、蒼唯も絶対に藻屑に惚れ直させてやる。明日からの夏休みにそれを実行する!!

 青春を謳歌する学生にとって大きなイベントの一つである夏休み。

 このイベントで吉と出るか凶と出るか。

 鬼が来ても蛇が来ても、そこで軌道修正をするべく俺はフツフツとやる気を湧きあがらせるのであった。


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