シンゴリラ −CinGorilla−
『むかしむかし、シンゴリラという美しいゴリラの娘がいました。
シンゴリラは継母と一人の姉と一緒に、お屋敷で暮らしていました。
でも、みんなシンゴリラに意地悪ばかりします。皿洗い、買い出し、掃除、洗濯、あらゆる家事雑用をシンゴリラに押し付けていました。
そんなある日、お屋敷に王室の舞踏会への招待状が届きました。
「まあ、ステキ! 早速準備しなきゃ!」
「あ、あの……私も……」
「だめよ、シンゴリラ! あなたは家で留守番よ!」
シンゴリラは何も言い返せませんでした。彼女はドレスも持っていなかったからです。それでも、心の奥では舞踏会に行きたいと切望しました。
舞踏会当日、継母たちはいつも通りシンゴリラに雑用を押し付けました。
「じゃ、私たちは舞踏会に行ってくるから、ちゃんとやっておくのよ!」
そう言って継母たちは出かけて行きました。
一人残されたシンゴリラは、涙を飲んで働きました。
「……私も舞踏会に行ってみたいのに……」
洗濯が終わり、庭の掃き掃除を始めようとしたその時でした。
突然、目の前に黒いローブを着た、老婆のゴリラが現れたのです。
「やあ、お嬢さん」
「だ……誰ですか…!」
「お嬢さん、君は舞踏会に行きたいんだろう?」
「え……? な、なぜそれを……」
「あたしゃ、あんたの頑張りを知っている。お前の願いを叶えてやろう」
「ほ、ほんとに……?」
「あぁ、畑のバナナと、それからネズミを持って来な」
シンゴリラは少し戸惑いましたが、言われた通り、畑のバナナと、ネズミ捕りに捕まっていた黒いネズミを持ってきました。
老婆はネズミに杖を一振りすると、ネズミは立派な馬に変わりました。毛並みの黒い、勇ましい馬です。
再び、今度はバナナに杖を振ると、バナナは素敵な馬車に変わりました。快適なリクライニング機能付きです。
そして、老婆は杖をもう一振りして、シンゴリラの服を美しいドレスに変え、一瞬のうちにメイクも施しました。
「ほら、見てみな。これがあんたのあるべき姿だよ」
そう言って、老婆は庭にいたカエルを大きな姿鏡に変えました。
シンゴリラはその姿鏡の前に立ちました。
「これが……私……?」
鏡に映っていたのは、泥も、汗も、埃もついていない、綺麗な自分でした。シンゴリラは自分が自分でないように見えました。
「あぁ、美しいよ、シンゴリラ。その格好で舞踏会へ行っておいで。ただし、魔法の効果は12時までだよ。あと、これを履いていきな」
おばあさんは最後に、シンゴリラにガラスの靴を与えました。
「わかったわ、ありがとう! おばあさん!」
シンゴリラはバナナの馬車に乗り込みました。馬車は颯爽と、パーティ会場へと駆けていきました。
**
王室のパーティ会場に着いたシンゴリラは、その眩しいほどの輝きに目を見開きました。
ドレスを美しく着こなす婦人たち、豪勢な食事、きらびやかな天井。弦楽器と大きなグランドピアノが奏でるワルツ、ドスの効いたドラミング。
彼女の胸は高鳴りっぱなしでした。
その時、誰かがシンゴリラに声をかけました。
「そこの美しいお嬢さん、一緒に踊りませんか?」
彼は、この国の王子でした。彼はシンゴリラに手を差し出します。
「こ、こんな私でいいんですか……?」
「あなたでないといけないのです。さあ、踊りましょう」
シンゴリラは恐る恐るその手を取り、音楽に乗せて踊りました。
王子様はシンゴリラを優しくリードしました。
あっという間に楽しい時間は過ぎていきます。
ゴーーン
12時を知らせる鐘が鳴りました。
「いけない! 私、そろそろ帰らないと……!」
シンゴリラは急いで会場を出て行こうとしました。
「あぁ、待ってせめて、お名前を…!」
その言葉は、シンデレラには届きませんでした。
しかし、慌てたシンデレラは靴が片方脱げてしまいました。履き直している余裕はありません。
そのまま馬車に乗り込みました。
……』
◆◆
パチパチパチ……
会場からは、まばらな拍手が起こった。
『以上を持ちまして、山吹動物園名物、ゴリラによる演劇【シンゴリラ】、閉幕になります。ご来場ありがとうございました。この後も、園内をどうぞお楽しみください』
場内アナウンスとともに、10組ほどのお客さんたちが、飼育員の私と出演者たちを残して去っていく。
カーテンコールが起こるわけでもなければ、出待ちがいるわけでもない。
『ナレーションは今村加代、主演シンゴリラ役エラ、王子役アキ……』
私、今村加代の勤めるこの山吹動物園は、昭和45年に開業してから約50年間、お客さんたちを楽しませてきた。そんなに大きな動物園とは言えないが、地元の人に愛されてきたおかげで、なんとかここまでやってこれた。
名物はゴリラの演劇。私はその担当になってもう10年になる。ナレーションも完璧に覚えて、台本なしでも大丈夫になった。最初は全然言うことを聞かなかったこの子達も、いまではとっても懐いてくれている。
初めは、動物が好きだから、という軽い理由でここで働き始めた。でも、日を追うごとに動物たちの魅力に惹かれていった。今では、この仕事に就いて良かったと心から思えている。
「お疲れ様、はい、ご褒美だよ〜」
シンゴリラ役、メスのエラ(17才)にバナナをあげた。エラはそれを器用に食べた。
その匂いを嗅ぎつけて、他の出演者4頭も集まってきた。私は一人一人にバナナを手渡した。
でも、こうやって彼らのお世話ができるのも、今日で最後になる。
かつて賑わっていたこの動物園は、隣の県にもっと大きな動物園ができたことによって、少しずつ廃れていった。交通の利便性も、話題性も、何もかもが負けている。客足はどんどんまばらになっていくばかりであった。
そして新しい元号を迎える今、閉園を迎えようとしていた。
最終日の昼の部の公演は、地元の人たちでいっぱいだった。その分夕方の部は、ぽつぽつとしかお客さんは来なかった。これはこれでこの園らしい。
「お疲れ様ー、今日の演技も良かったよ〜」
王子役のアキ(24才)、継母役のベル(25才)、姉役のアカネ(16才)、魔女役のユキ(15才)を順番に撫でた。その一人一人から温かさが伝わってくる。あぁ、この子たちもちゃんと生きてるんだな、なんて当たり前のことを思ってしまう。
この子たちは閉園とともに、別の動物園へ送られる。もちろん、今の環境よりもずっといいところだし、彼らにとってその方がいいに決まってる。でも、私の中で何かが心に引っかかってしまっていた。
「主役さん、お疲れ様。今日も失敗なしだったね〜」
最後にエラの頭を撫でた。
彼女との付き合いは長い。私がここの担当になってから、1日も彼女と合わなかった日はないくらいだ。雨の日も、風の日も、雪の日も、ずっと一緒だった。
その日々が思い出されて、彼女を撫でる手が乱暴になってしまう。
「……ほんとに…ほんとにお疲れ様……」
私はそう語りかけた。人間の言葉が正確に通じているのかどうかはわからない。彼女と"会話"することはできないかもしれない。それでも私の言葉は彼女に伝わっていると信じている。
すると、ポンッと頭に温かい手が乗るのを感じた。
それはエラの手だった。私の真似をしているのだろうか。
彼女はゆっくりと私の頭を撫でた。まるで、「お疲れ様」と私に言ってくれているかのように。
「あはは、ありがとね、エラ……」
目の前が霞む。今日は泣かないって決めてたのに。
私も負けじと撫で返した。
「今までありがとう……元気でね……!」
私は魔法使いじゃないから、彼女たちを綺麗に送り出すことはできない。今は、舞踏会に向かう彼女たちを応援するしかないのだ。
◆◆
パチパチパチ……
彼女の紗綾香ちゃんも、僕の横で拍手をして目を輝かせている。僕も拍手でその演技を称えた。
いや、正直に言うとあまり劇の内容に集中できなかった。彼女の顔色を伺うのに必死だった。
今日は彼女との4回目のデート。そろそろ彼女との接し方に慣れる……わけがなかった。生まれて初めてできた彼女なのだ。大事にしたいという気持ちあまり、男らしく行動できていない、ダメダメ彼氏だった。
今日だって、僕の地元を紹介しようと思ってデート場所を決めたが、こんなに空いてるとは思わなかった。これじゃ特別感があまりない。昔はもっと賑わってたのになぁ。まあ、閉園前に来られて良かったかな。
って、僕だけ楽しんでどうする。彼女は楽しんでくれただろうか……。そう思って、劇の間彼女の反応を気にしていた。
「面白かったねー! 聡くん!」
「そ、そーだね、名演技だったよね!」
「そーそー! 可愛かったぁ!」
た、楽しんでくれたようで何よりだ……。
僕たちはイベント会場を後にして、出口へと向かう。
「あの劇って、聡くんが子供の時からあったの?」
「うん、昔からね。その時から演目はシンデレラだったよ」
「へー、よく来てたの?」
「まあ、小さい頃はね。今日久々に来たよ」
「じゃあ、結構思い入れもあるんだー」
「うん、閉園しちゃうなんて、ちょっと悲しいな」
「だねー、私もここ気に入ったのになー」
これがお世辞でないことを願うばかりだ。
僕は僕に自信が持てない。会話も下手で、いつも彼女から話を振ってくれる。今日のデートプランもこれでよかったのかわからない。
もちろん紗綾香ちゃんのことを考えているつもりだが、振り返ると、自分のことばかり考えているような気がする。
このあとの、自分にとって一世一代の勝負にも自信が持てずにいた。
「見尽くしたし、名残惜しいけどそろそろ帰ろっか」
「うん」
そして、紗綾香ちゃんは「はいっ」と言って手を差し出した。僕はそれを握り返す。
彼女と目が合った。ニコッと笑った。
改めて、僕は彼女を好きだと言うことを確認した。こんな僕と一緒にいてくれる、優しい彼女を心の底から好きなんだ。
そうだ、成功するかどうかの自信よりも、今はこの気持ちが大事なんだ。
「予約したレストランってどの辺にあるのー?」
「えっとね、ここから車で15分くらいかな。時間は大丈夫そう」
「へー、楽しみ! お腹すいてきちゃった!」
「あはは、美味しいお店だから、期待しといて」
「うん!」
シンデレラの王子のような、ドラマチックなプロポーズなんて僕にはできないかもしれない。それでも、君は僕のシンデレラだ。君にぴったり合う指輪は用意した。きっと君に似合うはずだ。
僕は僕の気持ちを伝える。それだけだ。あとは…彼女次第だ。
「あ、そうだ! せっかく最後にこの動物園に来たんだし、写真撮ってもらおうよー」
「うん、そうだね」
「じゃ、入り口のとこで。すいませーん!」
彼女は入り口にいた飼育員のお姉さんを呼び止めた。
「写真お願いしてもいいですか?」
「はい、お任せください」
飼育員さんは快く引き受けてくれた。僕たちは看板の前に並ぶ。
「はい、笑ってー、いきますよー」
今度は僕から、そっと彼女の手を握った。
「はい、チーズ!」
パシャっとシャッター音がした。
「ありがとうございます!」
「いえ、こちらこそ、ご来園ありがとうございました」
「すっごく、面白かったです! ね、聡くん!」
「はい、子供の頃から楽しませてもらいました。あと、演劇も最高でした!」
「そう言っていただけて、動物たちも、従業員一同も喜んでいると思います。本当に、本当にありがとうございました」
飼育員さんは頭を深く下げた。
僕らも一礼して、動物園を後にした。
*
「楽しかったね、動物園!」
助手席の彼女は、いつも以上に嬉しそうだ。
「うん、楽しんでもらえてよかったよ」
「聡くんの思い出の場所を知れて、私も嬉しいよ! 二人の思い出の場所になったね!」
「そうだね、例えなくなっても、僕たちの思い出の場所だよ」
「うん! 今日はとっても素敵な一日だった!」
いや、まだ、終わっていない。今日という日をとびっきり特別な日にするんだ。魔法なんてなくたって、僕ならできる。
そして、僕は覚悟を決めた。
◆
私は熱々のカップルを見送り、薄暗くなり始めた空を見上げた。
これで、お客様は全員お帰りになっただろうか。
ーーあ、まだお一人様残っていらっしゃいましたね。
私は最後のお客様に駆け寄った。
「お客様、この度はご拝読、誠にありがとうございました。
おめでとうございます。お客様が記念すべき最後の来園者となりました。これにて閉園となりますが、お客様に楽しんでいただけたのなら、動物たちも、スタッフ一同も嬉しい限りです。本当にありがとうございました」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
最後にこの場を借りて二点ほどお詫びをば。
まず、タイトルを見て、巨大なゴリラが上陸する怪獣バトルを想像なさった方、申し訳ありません。最初はその予定だったのですが、それ以上広がりませんでした。
また、作中でお客様のことを"お一人様"と決めつけたことをお詫び申し上げます。お連れ様がいらっしゃることにするか迷ったのですが、それはそれで嫌味になりかねないので……。
以上です。ご来園、誠にありがとうございました。