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しかし、予想していた藺相如は慌てず、僅かな手勢ではあったが、恵文王を逃がせるように布陣した。
暫く秦軍を注意深く観察したが、変わった動きをみせることもなかった。
そして、会見は何事もなく終わり、危惧していたようなことは何もなかった。
安心したのか恵文王は、緊張が少し解けた様子で藺相如に微笑みかける。
だが、藺相如は厳しい表情を変えず、祝宴の準備が進んでいくのを鋭く見ていた。
そのまま会見は祝宴となって、酒食を楽しみながら昭襄王は上機嫌であった。
恵文王に酒をすすめながら声を掛けた。
「趙王は音楽が好きだと聞いているが、両国の友好を祝って、瑟(楽器)を演奏していただきたい」
(無礼な。一国の王に楽人の真似をさせるのか)
恵文王は内心で憤ったが、友好の為とあって表情を殺して演奏した。
すると秦の御史(記録官)が進み出た。
「趙王、会飲の場にて秦王に瑟を奏する」
高らかに告げて、筆記したのだ。
趙王はさすがに顔を顰めた。
このことが秦の国史に記録されたということは、永遠に歴史に残るのである。
史書を読めば、まるで属国の王が、秦王の機嫌をとったとしか思えないだろう。
この様子をみた藺相如は、酒瓶を持ち、昭襄王の前に進んだ。
「秦では、瓶を叩いて唱和すると聞いております。是非とも両国の友好を祝って、大王に叩いて頂きたい」
昭襄王はこれを聞き、不機嫌な顔を隠さずに藺相如を睨んだ。
(それは秦でも王侯のするようなことではない、ましてや他国の家臣が命ずるとは)
口にはしなかったが、昭襄王は怒りで目が眩みそうであった。
だが、藺相如は更に近寄る。
「大王との距離はわずかに五歩しかありません。我が頸血を注ぎましょうや」
自ら首を撥ね、血潮を浴びせることで、昭襄王の無礼を批難するという意味か。
それとも、昭襄王と共に死ぬということか。
どちらにせよ命懸けの脅迫である。
昭襄王の側近が色めきだって騒ぐが、藺相如に大喝され、その迫力にたじろいだ。
仕方なく昭襄王は苦々しげな顔をしたまま、瓶を一度だけ叩いた。
すかさず、藺相如は趙の御史を振り返る。
「秦王、友好を祝い趙王のために瓶を叩く」
藺相如は強く声をあげ、御史に記録させた。