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「秦は強国、趙は弱国です。その秦が十五城を与えたならば、趙は和氏の璧を手元に留め、大王の咎を待つことはありません」
怒りの沸き上がる百官に、藺相如は声を励ます。
「しかし、大王を欺いた私の罪は万死に価します。大王への礼なきを償いたく、熱湯にて誅されることも厭いません。大王よ、お心のままになさいませ」
昭襄王も居並ぶ百官も、話の途中から激怒している。
語り終えた藺相如は、当然の如く、既に死を覚悟していた。
昭襄王の側近が、口々に藺相如を罵りながら、剣を手に近づいてゆく。
だが、昭襄王は凡庸な王ではなかった。
怒りの中でも、この先が見通せたのである。
まだ怒りは収まっていなかったが、家臣を制して藺相如に声を掛けた。
「卿を煮殺そうとも、和氏の璧は手に入らぬ。そればかりか、秦と趙の親しみを損ない、恨みを募らせるばかりであろう」
怒りに震える家臣を見据えて、諭すように声をあげた。
「それならば、厚く持て成して趙へと帰らせよう。趙王も、璧ひとつで欺くような真似はするまい」
そう言葉を締めると、昭襄王は形式に添って藺相如を引見し、滞りなく儀礼を終えた。
そして、使者の役目を果たした藺相如を、宮殿で厚く歓待してのである。
かくして藺相如は虎口を脱し、無事に趙へと帰国することを赦されたのであった。
藺相如の帰国前に、趙では和氏の璧を持った従者が戻り、秦国でのことを語った。
それを聞いて、恵文王も群臣も激しく感動した。
趙の名誉を守り、秦に独り残って、もはや生きてはいまい。
そう声をあげ、命懸けの忠勇に涙した。
その藺相如が帰国して、恵文王に復命したのだ。
皆が驚きの歓声をあげて、藺相如の知勇を称賛した。
恵文王に至っては、忠勇に感じいって趙国をあげての国葬まで計画中であったのだ。
そんな恵文王であったから、藺相如を見ると抱きつかんばかりに感動した。
さっそく功績を賞して、宦官の舎人という低い身分である藺相如を引き上げた。
いきなり、上大夫にしたのである。
官職としては卿が最上位で、その下に上大夫、中大夫、下大夫、更にその下に士大夫と続く。
恵文王の感激ぶりが伝わるようである。
藺相如は自らの命を落とすことなく、この難しい外交を智力と胆力で見事に完したのである。