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循吏列伝によれば、無位無官の身で市井にあった孫叔敖は、虞丘子の推挙により、一躍、令尹に任じられている。
だが虞丘子の推挙がなくとも、すでに孫叔敖は徳者として国中に知られており、新たに令尹となるや民が歓喜したのである。
この孫叔敖には幼い頃の逸話がある。
ある日、孫叔敖が遊びに出たところ、頭をふたつ持った双頭の蛇にあったのである。
この当時、双頭の蛇をみた者は死んでしまうという民間伝承があった。
孫叔敖は家に帰ると、落ち着かないようすで食事にも手をつけない。
心配した母親がわけを訊ねると、泣きじゃくりながら話はじめた。
「双頭の蛇をみてしまったのです。言い伝えのとおりならば、もうすぐ私は死ぬでしょう」
「その蛇はどこにいますか」
「他の人が蛇をみるといけないので、殺して埋めました」
それを聞くと母親は、孫叔敖の頭を優しくなでた。
「隠徳ある者には、陽報があります。天は高きにあっても、これを知っています。大丈夫、あなたが死ぬことはありません」
母親のいったとおり、孫叔敖は天寿を全うするのである。
孫叔敖が令尹に任じられたことを祝って人々が集まったが、そのなかで、狐丘の老人は戒めの言葉を贈った。
「世に三怨があることを知っているか」
「存じません」
「されば、教えてしんぜよう。爵高き者は人これを憎み、官大なる者は主これを悪み、さらに、禄厚き者はこれに逮ぶという」
老人は背の高い孫叔敖を、試すように仰ぎみる。
「それでは、爵高ければ辞を低くし、官大となれば身を小さく、禄厚ければ人々に施しましょう。これで三怨から免れることが出来ましょう」
孫叔敖の答えをきいて、老人は満足そうに微笑んだ。
この言葉は、孫叔敖の政治姿勢そのものであるが、その凄みは生涯この姿勢を貫くのである。
荘王に重用された孫叔敖は期待にそむかず、人格者でありながら有能でもあった。
孫叔敖は令尹となると民を教え導いたので、楚の臣民は上下和合し、その風俗は美しく盛んであった。
政治はやわらかでありながら、禁じたことは守られ、官吏に姦邪なる者は一人としてなく、盗賊は領内から姿をけした。
秋冬には、民を山野に入れて竹木を伐採させ、春夏には、河川の増水を利用して運搬した。
楚の民は、孫叔敖によって得られた利便に感謝し、みな生活を楽しむことができた。
孫叔敖が令尹となってしばらくして、荘王は貨幣が小さく軽すぎるとして、大型で重みのある貨幣に改めた。
だが、この大型の新貨幣は不評であった。
大きすぎる貨幣の不便さから、領民のなかには生業より去っていく者まで現れたのである。
市場の混乱は収集がつかず、ついに市令(長)は、孫叔敖に泣きついた。
「市場は乱れ、商民は安んじて住むことができず、店の順も、行く所も定まりません」
「そのようになったのは、いつ頃からか」
「三月ほど前からになります」
「退がっていてよろしい。いま戻してみせよう」
足早に孫叔敖が向かったのは、王宮ではなく市場であった。
新貨幣が導入されてから、混乱にある市場を入念に調査して、五日のちに出仕したのである。
荘王に朝見した孫叔敖は、市令の言葉と併せて、自らの目で市場のようすを確認したことを伝えた。
「前日、貨幣が軽すぎるとのことで改められましたが、どうか元のごとく戻されますよう」
誤りに気付いた荘王は、調査した内容を詳しく訊ねることなく許すと、ただちに以前の貨幣に戻すよう告げた。
荘王の命令から三日のちには、市場は落ち着きを取り戻したのである。
またしばらくして、このようなこともあった。
楚の民俗では車高の低い馬車が好まれたが、これは馬をつけるには不便であり、煩わしさを感じた荘王は、命令を下して馬車を高くさせようとした。
だが、進みでた孫叔敖はこれに反対した。
「王令がしばしば下れば、はたして民はどれに従っていいのか知らず惑うばかりです。
車を高くと欲するのであれば、臣が閭里(村落)に教えて、入口の門の梱(しきみ:両扉の支え木)を高くいたしましょう。
車を用いるのは富貴の者であり、しきりに乗り降りすることを嫌うでしょう」
荘王が進言をいれて半年もすると、貴族は里門での頻繁な乗り降りにうんざりして、自発的に馬車を高くした。
こうした逸話から想像できるように、孫叔敖は直諫の士でありながら、機智に富んで柔軟であった。
そして、孫叔敖が奏上したことには楚の法制があり、荘王に強く不備を指摘して整えている。
さらに軍旅を発することの多い楚軍においても、軍令、兵制を改革して非凡な才をみせた。
晋の士会は楚の政治を称賛し、令尹である孫叔敖の内政を高く評価している。
この士会は卓越した軍略の才をもっていたが、楚との会戦時、孫叔敖の軍令に従って楚軍が整然と進むのをみるや、厳しく警戒し、軍事においても孫叔敖の手腕を高く評価したのである。




