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抵抗することのない晋兵を追いたて殺していく。
荘王の下知はやまず、楚軍の突撃は残酷な追撃戦に変わっていた。
だが晋の兵士達も、ついに恐怖から解放される。
次々に黄河に浮かぶ舟に乗り込んだのだ。
しかし楚軍の追撃は続き、舟に飛び移る者、黄河に突き落される者、自ら飛び込み逃げる者、混乱は収まらない。
どの舟も、次々に乗り込んだ者達により溢れんばかりで、傾きはじめた。
そして、さらに惨劇は続く。
覆ることを恐れ、舟に乗り込もうとする味方の晋兵を斬りつけたのだ。
舟にすがる手を斬り、指を切られた兵士が黄河に沈んでいく。
このため舟中の指が掬えるほどであったという。
撤退し、渡河する晋兵らのうめきは、一晩中続いた。
晋にとって悪夢のような大敗戦であった。
楚軍の完勝であった。
春秋五覇の一人である文公が亡くなったあとも、依然として強大であった晋を完膚なきまでに破ったのだ。
この勝利により、楚国の武威は天下に鳴った。
ついに荘王は、中華の覇者となったのである。
潘党は、戦勝の興奮が収まらぬ口ぶりで、荘王に献言した。
「晋兵の屍を集め、京観を作って見せしめにしょうぞ」
京観とは、大会戦の勝利を記念して、敵兵の死体を用いて作られる塚などのことである。
これを聞くと、荘王は怒りをみせた。
「お前に何がわかろうか。戈を止めることから作られたのが武の文字だ。周の武王は商に勝利するや戈を収めたという」
うなだれる潘党に口調を和らげる。
「武には七徳があるというが、寡人には、一徳もないのだ。晋国に罪があるわけではない。ましてや、地に倒れ、命なき者たちは晋公に忠を尽くしたのだ。思い上がって、京観を作るなど不要なことだ」
そう言って、荘王は黄河の畔に道祖神を祭った。
そして祖廟を作り、歴代の楚王に戦勝を報告すると、国元へと引き上げていった。




