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楚将の潘党は、遥か前方に舞う砂塵に気付くと、顔色を変えて急使を送った。
早馬により孫叔敖が受けた報せは、晋の援軍の到来であった。
荘王の孤軍が晋の三軍に攻めたてられる様を想像して、孫叔敖の恐怖は絶頂に達した。
「聞けい。大王は窮地にあるぞ。晋の援軍が現れた。駆けよ駆けよ、大王をお救いいたせ」
叫ぶ孫叔敖の恐怖が伝わったように楚の全軍が突撃した。
やがて荀林父が率いる晋軍にも、近づいてくる趙旃たちの兵士が見えた。
和睦の成立をねぎらいに出てきた荀林父は、呆然とする。
目を凝らすと、楚の兵馬に追われて退却しているのだ。
やがて人の形が見えるほどになると、とても退却などといえるものではなく、ただ死の恐怖から逃げているのが分かる。
予想を外れた事態に、ただ遠望していた荀林父は、さらに驚愕する。
先立つ楚軍の一団からわずかに遅れて、長大な砂煙があがる。
その砂煙を従えて、楚の三軍が狂ったように突撃してきたのだ。
この理解が及ばない光景に、もはや戦うことなど頭になかった荀林父は、退却の命令を出すのみで精一杯であった。
晋の軍兵も、戦意など置き捨て、我に返ったように退却する。
だが凄まじい勢いで楚軍が突撃してくると、晋軍は瞬く間に崩壊し、兵士らは我先にと敗走をはじめた。
もはや軍として機能することはなく、怒号をあげて迫る楚兵から、ひたすら逃げ惑う。
この恐るべき殺戮の場から一刻も早く去るため、隣の晋兵より駆けることしか出来ない。
続いて逃げる晋兵らの頭に浮かんだのは、黄河であった。
荀林父も逃げながら、同じことを考えた。
「最も早く渡河した者に褒美を出す」
だが、晋の全軍に告げられた、この命令は、さらに事態を悪化させた。
この布告により、踏み留まろうとしていた将兵も、臆面もなく逃げだし黄河に向かう。
もはや晋の三軍は、かろうじて士会の率いる上軍が戦っているのみで、中軍と下軍は総崩れであった。




