3
和睦を許された襄公は、人質を荘王に差しだし、あらたに盟約を結んだ。
楚の勝利を祝って宴を開いたのち、荘王は軍馬を黄河の畔で休息させるため、北に向かって進軍した。
三ヶ月もの激戦が続いたために兵士たちも傷つき、疲労の色が濃い。
だが、北進する荘王に驚くべき報せが入る。
晋軍がいまさら鄭の救援に来たというのだ。
楚軍は、とても晋軍と戦える状態ではなかった。
荘王は国に引き上げる前に、せめて軍馬に水を飲ませようと急ぎ軍を進める。
しかし、再び急報が入り、すでに晋軍は黄河を渡り、こちらに向かっているという。
荘王は退却を命じようとしたが、側近の伍参が進み出た。
「晋の六卿は対立し、政治は乱れています。命令は実行されず、兵士も誰に従えばよいか迷うほどです。戦えば必ずや晋軍を撃ち破れるでしょう」
伍参は強く出撃を主張した。
しかし、荘王が答える前に反対の声を上げた者がいる。
子越に殺された爲賈の子で、令尹の孫叔敖であった。
孫叔敖は民に慕われる名宰相であり、その言葉は重い。
「昨年は陳を討ち、そして今年は鄭を討って、休む暇がありません。これ以上の戦いは不要。軍を南へ向けるべきです」
荘王は迷った。
以前に晋将の士会に敗北を味わったこともあり、疲労の見える兵士たちを率いて戦えば、とり返しのつかぬ惨敗もありえる。
しかし、目前に迫る晋軍を避けて退却すれば、晋の名を高め、楚の武威は地に落ちるだろう。
悩んだ荘王だったが、孫叔敖に命じた。
「軍を北に向けよ」
そして、鄭の領内にある菅という地に陣を構えると、やがて到来する晋軍を待った。
晋軍が迫ると荘王は、楚軍の疲弊と孫叔敖の諫めもあり、小競り合いののち、和睦を求めることにした。
晋軍の帥将である荀林父と上軍の将である士会は和睦の申し出を了承する。
しかし、ここからは晋の六卿の対立もあってか、混乱が続く。
晋の中軍の佐である先穀が和睦を認めず、再び戦うと宣告してきた。
だが、荘王はまたしても和睦を求める。
これも了承され、盟を結ぶ日まで決まるが、楚の楽伯が晋兵を殺したために、晋の厨武子がまたも楚に戦いを告げる。
厨武子は楚兵に追われて晋の陣に逃げ帰ると、決戦を唱えた。
だが、荀林父は許さない。
厨武子をなだめながら、趙旃が声をあげた。
「我ら功名を立てる機に恵まれず、せめて和睦の使者として頂きたい」
「では晋が和平を欲することを伝えて、荘王の疑惑を晴らしてまいれ」
荀林父はこれを認めて、趙旃と厨武子のふたりを和睦の使者にした。
しかし、楚と晋の盟主を賭けた戦いは、このふたりから始まるのである。




