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籠城すること十七日、襄公は攻め寄せる楚軍に耐えられなくなった。
「すぐに和睦を占え」
この命令に群臣たちも反対しなかった。
天下に嘲りをうけ、晋から怒りを買うことになろうと、鄭の存亡がかかっている。
だが、占の結果は凶であった。
さらに襄公の願いも虚しく抗戦は吉であった。
祖廟に国の滅亡を哭泣して、楚軍に玉砕せんとすれば吉であるという。
この占いが国民に伝わると、鄭人は、みな哭泣した。
和睦の使者が来ることを予想していた荘王は、いつもと違う鄭に異質なものを感じていた。
やがて城外に布陣した荘王からも、城壁の上で泣き崩れる鄭兵の姿が見えた。
これを哀れに思った荘王は、考えがまとまらずに軍を退がらせた。
だが、鄭人が城壁の修繕のはじめたと聞くと、
「覚悟を決めたらしい。晋を後ろ楯に抗戦するようだ」
そう言って、軍旗を上げさせると再び進軍して、鄭の都を囲んで攻め立てた。
鄭の防戦は続いた。
晋に幾度も急使を出して援軍を求めるが、いまだに晋軍は現れない。
晋は、六卿と呼ばれた豪族たちの勢力が大きく、彼らは互いに反目して、政治はまとまらなかった。
鄭からの援軍要請も、意見が対立し、紛糾の末にだした結論は非情にも見殺しであった。
繰り返される背反により、鄭を信用しておらず、今回もすぐに楚に降ると考えたのだ。
しかし、鄭は滅亡を賭けて戦っていた。
楚の軍兵に都が囲まれたまま、激しく抵抗する。
そして、決死の防戦は驚くことに三ヶ月も続いた。
だが、どれほど懸命に戦っても晋からの援軍はなく、死力を尽くした抵抗もここまでだった。
城門から、もろ肌を脱いだ襄公が降伏の古式に従い、羊を引いて荘王を迎えた。
「王よ、もはや鄭は違背なく楚に従うでしょう。大徳をもって過ちを赦して頂きたい」
荘王は、眼前にひれ伏す襄公を見下ろす。
群臣らは、これまでの鄭の裏切りをあげて、口々に滅ぼすよう進言した。
荘王は、ゆっくりと襄公に近付くと手をとった。
「鄭君は、よく人にへりくだることが出来る。必ずや疑いなき心で鄭の民を治めるであろう。どうして、その祭祀を絶やすことができようか」
そう言うと、荘王は自ら旗をかかげた。
これ以上、襄公に恥辱を与えぬように、軍を指揮すると三十里退がらせたのだった。




