泣かず飛ばず
楚の王として即位して間もなく、荘王(熊旅)はさらわれた。
そのいきさつは、令尹(宰相)の子孔が、軍を率いて国を空けたのがきっかけであった。
国に残った公子燮が、子儀と謀って城に立て籠ったのである。
そして、遠征先の子孔を亡き者にしようと画策したが、子孔は無事に軍を率いて戻って来た。
こうなっては勝目はないと、慌てて逃げることにしたが、そのついでといった感じで荘王をさらったのだ。
逃走を謀ったふたりだったが、やがて盧の町で殺され、連れまわされた荘王はようやく解放された。
信じられぬことに荘王の王としての歴史は、誘拐されたことから始まったのである。
楚は王族によって殆どの要職が占められていた。
つまり、王家の血族である重臣たちの力が強く、なかでも若劫氏などは王室と変わらない力を持ち、王であっても機嫌を損ねるのは危険であった。
荘王は聡明であったが、我が身がさらわれたことで、かろうじて玉座にある自らの危うさを痛感した。
無事に首都の郢へ戻った荘王は、驚くべき布令を発した。
「一切の諫言を禁ず。反する者は死罪とする」
意見すれば殺すという、荘王の無茶な宣言は本気であった。
左右に抜き身の剣を持った執行人を侍らせたのだ。
群臣は一様に戸惑ったが、死罪とあっては意見は出来ない。
荘王は誰からも異論が出ないのを確認すると、なんと遊興を始めたのだった。
宴会は連日続いた。
楽人たちに演奏させ、多数の侍女をはべらせた荘王は浴びるが如く酒を呑む。
さらに宴席に群臣らも招き、美女をつけて、歌舞音玉を共に楽しんだ。
荘王は政務をとることなく、宴会は、来る日も来る日も終わることなく続いた。
宮殿は酒席の場となり、賎臣たちの楽園となった。
心ある者は呆れたが、苦言を呈すれば殺されるとあっては眺めているしかなかった。
当然の如く楚国の腐敗は進み、国力は凄まじい勢いで衰える。
この先の見えぬ淫蕩三昧は、数ヵ月どころか、信じられないことに三年も続いた。
賢臣、良臣たちは、このような荘王のもとでも政務を続けていたが、もはや離反寸前であった。




