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悲壮な母親の声に、回想は断ち切られる。
「いま括は将軍となりましたが、謁兵式においても傲慢でありましたとか。そして金品を賜るや、土地家屋を買いあさっております。とても父には及ばず、なにとぞ御再考を願います」
「もはや決まったことだ」
「では括が任に耐えられぬ時は、我が一族には咎めなきことをお願いします」
孝成王は願いを聞き入れたが、息子を戦場に送りたくないのであろう、と考えるのみだった。
謁見を求める者が、またも現れた。孝成王はうるさく思ったが、その者の名を聞くと引見は断れなかった。
玉座の前に進み出たのは、功臣の藺相如であった。
この時、藺相如は篤い病であったが、病床から這い出てきたのである。
「王は名が知れていることで、趙括を将となさいましたが、それは、琴柱に膠して鼓するものです」
琴の演奏では、琴柱を動かして音を調節するが、膠で貼れば、一つの音しか出ない。
狭い了見で固執するのを非難したのだ。
病の藺相如は、顔色は悪く声もかすれて痛ましかった。
孝成王も、廉頗との刎頸の交わりは知っている。死病を顧みず諫言する藺相如を、哀れみながら声をあげた。
「これは独断ではなく、評議の結果でもあるのだ」
藺相如は俄かに表情を変えた。眼光は鋭く孝成王をとらえ、出ない声をふり絞る。
「趙括は父が遺した兵書を読むのみで、機に臨んで変に応じるを知りません。王よ、廉将軍の任を解いてはなりません」
藺相如の恐るべき気迫に、孝成王は言葉をなくし、目を合わせることなく退がらせた。
廉頗に代わり、長平に赴いた趙括は、人事や軍制を兵書に従って大きく変更した。
そして、全軍に出撃の意思を伝えると、急ぎ準備させた。
一方、趙括より前に長平に到着していた白起だが、陣を見回って苦りきっていた。
弛んだ兵士たちを不快に眺め、武官を集めると戦況を訊ねた。
「趙兵には戦う意思はなく、決して塁からは出て来ません」
「愚かなことだ。いま少しで貴様らは、廉頗により屍となっていたであろう」
白起は怒気を激しく怒気をみせる。
軍規を厳しくすると、たちまちに陣を整えて、秦軍から油断をとり去った。
しかし、白起であっても土城を守る趙の大軍は攻めあぐねた。
やがて多数の斥候が、趙括が土城に入り出撃するようすだと報せる。
「哀れな。老将は去ったか…。ならば小僧に軍略を教えてやろう」
王の信を失った廉頗に自分の姿を重ね、嘆息して同情をよせた。
そして、この不敗の将軍にとって、戦場を知らない趙括の考えなど手にとれるようであった。
趙軍の半数にも満たない秦軍から、さらに三つの別軍をつくり軍令を与える。
趙括を大いに嘲り、兵書に逆らうかのように、敵より劣る戦力を分散したのだ。
この白起の考えた策は、中国の戦史において、初となる大規模な包囲戦であった。




