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趙の恵文王は、秦からの使者を引見した。
秦国の十五の城邑(村)と、和氏の璧との交換を求めるということだった。
悪い条件ではない。
だが、恵文王の予測は暗い。
浮かぬ顔を繕うことも出来ず、群臣を廟堂に集めた。
「秦王からの申し出について意見せよ」
皆が顔を見合わせるなか、一人の家臣が進み出て声をあげた。
「秦は貪欲な国であり、和氏の璧を渡しても、秦国の十五城が譲られることはなく、ただ、和氏の璧が奪われるだけでしょう」
恵文王の考えも、正にそうであった。
更に家臣の言葉は続く。
「そして、和氏の璧を渡せば、秦の力を恐れたと天下が噂するでしょう」
しかし、この意見には反対派の方が多く、彼等は昂然として口を開く。
「和氏の璧を渡さなければ、秦に攻める口実を与えてしまいます。常勝将軍と呼ばれる白起が、秦軍を率いて侵攻して来るでしょう」
どちらも悲観的なふたつの意見に別れ、結論が出ることなく議論だけが続いてゆく。
結論など出よう筈もない。
璧を与えても、城は手に入らず騙されて終わる。
そして、交換に応じなければ、それを口実に秦軍が襲来して来るのである。
だが、昭襄王の性格と秦の軍事力を思えば、他の考えは浮かばず、どちらかを結論にせねばならないのであった。
恵文王が苦悩の末に選んだのは、和氏の璧を渡すことであった。
しかし、この決断には、新たなる問題が生まれた。
秦国への使者になろうという者が現れないのだ。
これには理由がある。
秦の昭襄王の評判は非常に悪く、かつて招いた楚王を幽閉して死なせたことさえある。
趙の使者程度であれば、言い掛かりをつけて殺すなど造作もなくやってのけるだろう。
更には、十五城との交換など真っ赤な嘘であるし、和氏の璧を奪われるために出向くのだと、誰もが知っているのである。
趙国と自らの評判を落とすのみの、屈辱的な使者であり、多分に命の危険もある。
誰も使者になりたがらないのは当然であった。
しかし、群臣の誰もが拒むなか、進み出た者がいる。
宦官の礼(長官)である繆賢であった。
本来ならば、宦官は王の身の回りの世話係という職務であって、廟議で政治的な意見を口にすることなど許されない。
だが、使者となる者はなく、誰もが口を閉ざしていたこともあり、恵文王は耳を傾けた。
繆賢は自信に満ちた様子で声をあげた。
「臣の舎人(客)に藺相如と申す者がおります。この者、知勇兼備の傑物であり、秦国への使者をすることも出来ましょう」