長平の戦い
閼与の戦いから四年後、慧眼を持って名臣を見出した恵文王は亡くなり、新たに趙王として孝成王が即位する。
さらに七年後、戦国最大の役として有名な長平の戦いがはじまるのであった。
趙、韓、燕、魏は、いずれの国も、秦と領土を接している。
強国である秦の侵攻を防ぐため、この四つの国は多少なりとも連盟して抵抗していた。
しかし秦は、最も国力の劣る魏を攻めたてて服従させる。
そして、次に秦に狙われたのは、韓であった。
昭襄王は、将軍白起に討伐を命じて、韓に軍旅を向けた。
白起が指揮する秦軍は、韓に侵攻すると、たちまち五つの城を陥とし、韓兵を斬首すること五万であった。
更に南陽を攻めて、韓の国土を分断すると、一転、野王の地を占領する。
白起の用兵は冴えわたり、秦軍は勢いに乗って上党郡にまで迫る。
これに怯えた韓王は、秦に上党郡を割譲して和睦を願った。
ところが上党郡の民は、秦に統治されるのを拒否したのである。
領民と思いを同じくする上党郡の太守までも、韓王の命令に従わない。
王命に背いて趙に使者を送り、上党郡十七県を献上いたします、と申し出たのである。
趙の孝成王は、平原君と平陽君を召して意見を求めた。
「聖人は理由なき利益を受けるのは、非常な禍といたします」
孝成王は、この平陽君の言葉に機嫌を損じた。
「民が、我が徳を慕ったのだ。理由がないと言えようか」
平陽君は、孝成王が上党郡を受けるつもりであると知り、心を暗くした。
「韓は、禍を趙に転嫁しようとしているのです。上党の地を巡り、秦と争うことになります。決して受けてはなりません」
平陽君は、秦と争う愚を説いて強く諫める。
だが孝成王は、露骨に不満をあらわして平原君の言葉を待つ。
「百万の軍兵で数年にわたり攻めても、なお城邑を得るのは難しい。ところが、いま労なく十七の城邑が、趙のものとなります。断ってはなりません」
進み出た平原君の意見に、孝成王は喜色を隠さない。
すぐに形ばかりの軍を上党郡に発すると、趙に併合したのだ。
当然、秦の昭襄王は激しく怒った。韓王の詐言をなじる。
韓王は、秦に献上する為に軍を退いたのち、趙軍に奪われたと言い訳をした。
だが、昭襄王には韓王の説明など、既にどうでもよかった。
上党郡を手に入れる目前であったのに、韓王の言葉を信じて、趙に横から奪われたのだ。
「ただちに軍を上党に進めよ」
(この怒りを鎮めるために、上党を討ち、趙兵の屍を築いてやろう)
昭襄王は、その目に激しい憎悪を宿す。