4
やがて、秦軍から放たれた間者が、土城を守るのみで動かぬ趙軍にまぎれ込んだ。
趙奢は、これを知ると、間者を捕らえることもなく、食事を与えてもてなし、送り返したのである。
間者は、この趙軍のようすを秦の陣営に復命した。
秦の将軍たちは報告を聞くと笑みを浮かべる。
「そもそも邯鄲を去ること三十里で軍は動かず、ただ防塁を増すのみとは。もはや、閼与は趙の地にあらず」
秦軍が趙の領内深くまで侵攻して、首都の邯鄲を衝かれることをのみを恐れ、その備えをしていると想像したのだ。
軍議を開くまでもなく、秦将たちの意見は同じであった。
復命をうけた秦将たちが喜んでいた頃、趙奢は走っていた。
間者を送り出すと、すぐに軍令を発した。
「甲を巻き、ひたすらに駆けよ」
趙軍の全兵士は、甲冑をまきおさめ、身軽になると黙り走る。
秦の陣を避け、走り通しであった。
やがて、閼与から五十里の地に布陣したが、そこまで、わずか二日と一夜で辿り着いた。
凄まじい速さである。
そして堅く陣地を築くと、弓術にすぐれた兵を集めて防塁にこめた。
秦軍は、これを知ると全軍で襲来する。
趙の軍士である許歴が、軍事について諫めたいと願い出ると、趙奢は呼び入れた。
「秦軍は、まさか趙の全軍がこの地にあるとは思っていません。ですから攻める意気は盛んでありましょう」
許歴は反応のない趙奢にたじろいだが、一気に言いきる。
「将軍は、軍陣を厚く、兵士を結集してお待ち下さい。さもなくば敗れるでしょう」
許歴の献言を、黙って聞いていた趙奢は、冷たく答える。
「軍事について諫める者は、死罪にすると申しつけた。そなたは軍令に従うべきなのだぞ」
「どうか、死罪としてください」
「のちの命令を待つがよい」
趙奢は表情なく声をあげ、決死の覚悟で青ざめている許歴を退出させた。