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趙奢に軍略があるかは分からないが、有能さは知っている。
恵文王は一縷の望みに喜んだ。
「まこと、閼与を救うことが出来るか」
「道が遠く、そして狭く険阻と言いましても、例えてみれば二匹の鼠が穴の中でけんかするようなものです」
「それで、閼与を囲んでいる秦軍に勝てようか」
「将の勇が優れた方が勝利します」
(疑念は趙奢に兵の指揮が出来るのか)
恵文王は、賎しき出の藺相如を使者に抜擢して、今では上卿の筆頭まで引き上げた。
趙奢は田地の税吏から、一躍、趙国の賦税を任せられた。
そして今回、恵文王による再びの大抜擢は、文官である趙奢を救援軍の大将に任命したのであった。
王命をうけた趙奢は、趙の都である邯鄲から軍を発した。
だが、邯鄲から僅か三十里ほど進むと、そこで滞陣して動かなくなった。
訝しむ兵士らを無視するように軍令を布告する。
「軍事について諫める者があれば死罪とする」
そして、進軍を止めたまま塁壁を築かせはじめた。
兵士達は命令に従いながらも、趙奢の意図が分からない。
また趙奢が税吏であることを知っているため、その指揮能力も不安であった。
趙が援軍を出したことを知ると、秦軍は迎え討たんとして、閼与の囲みを解き、武安まで軍を進めた。
そして、武安の西に布陣すると、太鼓を打ちならし、喊声をあげ、その勢いに武安の町の屋根瓦が震えるほどであった。
この、武安の町があげる悲鳴を斥候が報せた。
「武安までならば、わずかな距離、急ぎ救援しましょう」
武官の一人が献言する。
趙奢の答えは、資治通鑑が簡潔に表現している。
趙奢立ちて之を斬る。
たちまちに処刑したのである。
これ以降、将兵らは口を閉ざし、また塁壁を築く。
趙奢は、軍を進めることなく、築かれた土城を堅く守るだけで、二十八日が過ぎた。
そして、更に塁壁を築かせるのであった。