2
趙奢は、後漢の馬援や蜀の馬超の祖先である。
魏書・武帝紀によると、曹操も趙奢を慕ったと記述がある。
趙奢は田の税をつかさどる役人であった。
だが、租税を納めることを拒む者があらわれた。
戦国四君の一人である平原君の家の者たちであった。
彼らは恵文王の弟である平原君の威光をたのみ、税を納めることを承知しないのだった。
趙奢はこれを法にてらして糾弾すると、峻烈にも、彼ら九人を処刑したのである。
平原君は激しく怒った。王族である彼の領内は恵文王でも自由に出来ない。
それを税吏の分際で、九人も殺したのである。
平原君は、怒りのままに趙奢を殺そうとした。
「あなたは趙において貴公子である。その、あなたが公の責を果たさぬのを見逃せば、国法は侵されましょう」
静かに趙奢は言った。
「それがどうした」
平原君は殺意をみなぎらせて剣を突きつける。
「国法が侵されたなら国は弱くなり、諸国の侵攻をうけるでしょう。趙国を滅ぼして、如何にして富貴を保つのですか」
平原君は、剣を突きつけたまま動けない。
「あなたの貴位をもって、国法を守り責を果たせば、上下は公平で国は強くなります。趙国が強ければ、王族のあなたが侮りをうけることはありません」
平原君は、聞き終わると剣を投げ捨てた。
そして、すぐに恵文王に謁見すると、趙奢を賢者であると推挙したのである。
恵文王は、思いきりよく趙奢に国税を任せるのである。
趙奢は有能であった。
税制は公平で、重い税に苦しむ者はなく国民はみな称賛した。しかも国庫は豊かになり、国力は増したのであった。
つまり恵文王が、閼与の救援を諮問した趙奢は、有能ではあるが税吏なのである。
だが、趙奢に戦場の経験がないわけではない。
以前に軍を率いて斉の麦丘を攻略したことがある。
ただ、これも十年前のことであった。