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だが、すぐに昭襄王の側近が問いかける。
「趙王におかれては、我が王の長寿を祝って、十五城を贈られてはいかが」
「では、我が王の長寿を祝って、大王は咸陽を贈られてはいかがでしょうか」
藺相如は素早く切り返した。
昭襄王の側近たちは、顔を歪め黙るしかなかった。
咸陽は一城とはいえ、秦国の首都である。
当然、割城など出来るものではない。
そして、命懸けの藺相如が控えている為、楚王のように虜囚とすることも出来ず、舌戦にて圧力をかけるしかない。
このあとも、趙国と恵文王を辱しめようと様々な手段で無理難題の嫌がらせを試した。
だが、その全てを藺相如の機智で切り返し、難局を乗り切るのである。
結局、昭襄王は酒宴の終わりまで、趙を押し切ることが出来なかった。
そして、帰路においても藺相如は油断することなく軍を指揮し、秦軍の襲撃に備えながら退いていった。
再び、藺相如によって趙の名誉は守られ、恵文王も無事に帰国できたのであった。
恵文王は前回とは違い、間近で藺相如の智略と胆力を知った。
帰国するや、すぐに藺相如を上卿の筆頭にした。
その功績を考えれば、いくら称賛しても足りぬ思いだった。
二度も恐るべき国難を退け、趙を守ったのだ。
秦の昭襄王を相手に大喝できる者など、天下を探しても他にいる筈もなく、更には智略まで備えているのである。
そして、藺相如は上卿となっても、恵文王の期待以上の大器であった。
その地位に驕ることもなく、高潔な精神のまま国政に心血を注いだのである。