和氏の璧
戦国七雄と呼ばれた国々のなかでも、その未来に始皇帝の登場する秦は、既に最も力ある大国となっていた。
秦の昭襄王は、精力的に他国に侵攻していた。
名将白起の率いる秦軍は常勝を誇り、領土を蹂躙された国々が悲鳴をあげていたのである。
六国のなかでも、魏、韓、楚の三国は特に被害が大きく、昭襄王の野心のままに侵され続けていた。
だが、楚には和平の手が差し伸べられる。
秦では政策変換し、中原の攻略こそ最優先として、南方の楚とは誼を結ぶことにしたのだ。
秦と楚の和親を深めようと、昭襄王はたびたび楚王と会見していた。
昭襄王は溢れる野心を隠し、楚王に穏やかに微笑みかける。
楚王も笑みを返し、会見はいつも和やかな雰囲気であったが、その内心は違っていた。
楚王は秦国で人質だったこともあり、秦という国を嫌い、昭襄王に対しても強い不信を抱いていた。
だが、秦国や昭襄王をどれほど嫌悪しても、秦軍の暴威は凄まじく、楚が独力で敵するのは至難だった。
そこで、楚国は盟友として趙国を選んだ。
趙は中原の強国であった。
この当時、秦に対抗できる唯一の国といってよい。
先君の武霊王が、胡服騎射といわれる軍事改革を断行したことにより、その武威を轟かせていたのである。
この趙に同盟の礼物として、楚から宝玉が贈られた。
和氏の璧と呼ばれる天下の至宝である。
和氏が楚王に献上し、代々、楚王室の宝とされた円板形の宝玉であった。
水面下で進められた趙楚の同盟だったが、すぐに秦の知るところとなる。
楚が持ちかけた趙との秘密同盟は、昭襄王を激怒させた。
友好的な関係を築かんと、楚王に笑顔を向けて何度も会見したというのに裏切られたのだ。
しかも、当てつけがましく、趙には和氏の璧まで贈っているのである。
「裏切り者の楚を攻める!」
だが、怒りに震える昭襄王の命令は、多くの家臣の反対にあった。
「楚と趙の同盟は密約であり、秦が友好を捨て去り、我欲のままに攻めたと、世の者は非難するでしょう」
「では、如何するのだ」
「攻めるに足る大義が必要です。また参戦するであろう趙は侮れない相手です」
家臣に諌められ、怒りを抑えて思考を巡らす。
「ふうむ、趙か…。既に楚との同盟が成されたとあっては、中原攻略に目障りな趙を相手にするか」
「まずは使者を遣わし、外交にて趙の様子をみるのが宜しいでしょう」
家臣は薄笑いを浮かべ、昭襄王を促すように窺い見ている。
その目を受けて、昭襄王は暫く沈思したが、やがて狡猾な笑みを浮かべた。
「和氏の璧と、我が国の十五城とを交換せよ、こう趙に申し入れるのはどうだ?」
この嫌がらせともいうべき策を理解して、群臣は下卑た笑みを返して頷いた。
紛糾するであろう趙の評定を想像して、昭襄王と一緒に悪意の哄笑をあげた。