桃の葉、紗羅紗良紗羅蘭(さらさらさららん)
風が渡る。
船の切っ先は北を向いていた。
波はこの海峡を、荒く割いている。
港が見えると、小さな漁船が、入ったり出たりしている。
嘘か誠か、この地の漁師は泳げないという、都市伝説を聞いた。
冬場、船から落ちれば、泳ぐ間も無く、海に引きずり込まれてしまうからだと言うのだ。
ゆったりした、船旅は、この地への感傷と怖れを呼ぶ。
具合が悪くなる前に、船から降りたい。
此処は面白い土地だと、教えられてきた。
湾に入ると、ガラッと変わる。
船は落ち着き、塩の臭いがきつい。
荒い海峡の波が清々しかったのに気づく。
ワラワラと降り仕度の人の群れに混ざり、とうとうこの地に降り立った。
船旅の感傷が、吹っ飛んだ後は、現実。
コンクリートの堤防が、長々と続き、おろした足もコンクリートから、アスファルトへ。
パタパタとのぼりがはためき、港は賑やかだ。
車できていた人達は、そのまま何処かに、走って行ってしまう。
迎えの人が来るまでに時間があった。
それまで、ブラブラする事にした。
荷物は、送ってしまったから、ボディバック、ひとつだったし。
路面電車の走っている場所に出た。
レトロブームに乗って、明治の頃の様な車両が人気だ。
どこに行くのか、思わず乗ってみた。
港を右手に時々望みながら、終点についた。
藤枝和馬は、そのまま港に向かって歩いた。
商業地帯からはずれているので、閑散としている。
さっきまでのあの人数の人間はどこに飲み込まれて行ったのか。
変わった船が泊まっていた。
全体的に地味なグレーだ。
ジッと見ていると、船の甲板に人影がでてきた。
そこで、やっと気づいた。
自衛艦だったのだ。
良くみれば、ヘンテコなアンテナが付いている。
納得した和馬は、来た道を引き返した。
もう一度路面電車に乗ると、さっきの停留場で降りた。
そろそろ約束の時間だ。
車で迎えに来てくれたのは、店のオーナーの小林だ。
ちょうど、ランチにかかっていたので、遅れたのだ。
お互い、挨拶をすませた。
「ところでご飯は、食べましたか。」
「いえ、土地勘も無いし、どこで何を食べたら良いか、わからないので、聞いてからにしようかと。」
「オムライス食べましょう。」
「はい。」
やたら派手なオムライス屋に入った。
和馬に唐揚げ付きオムライスを勧めて、小林は、何やら唐揚げの乗ったカレーライスを注文している。
その上、店員の年齢が高い。
平均40過ぎだと、みた。
和馬の唐揚げオムライスとウーロン茶、小林の唐揚げカレーとアイスティーが、来た。
「これって、同じ唐揚げですよね。」
「そう、旨いんだよ、これ。」
カレーライスは、匂いも色も至って普通に、見えるし、オムライスも同じだ。
とにかく、唐揚げを食べよう。
余りに有名で、あちこちから食べに来る客で事欠かないと、小林が自慢してる。
ここにしか、チェーン展開してないのだという。
まあ、年中ハローウィンって、感じの店だ。
そこここに、ガチャガチャが置いてある。
オムライスの乗ってるトレーに、ここのマークのコインが1枚サービスされてる。
それで、テーブルの上のガチャガチャ、一回できる。
人気は、唐揚げマン。
2人で引いてみた。
「アッ、当たった。」
小林は、唐揚げマンがここのサッカーチームのユニフォームを着てるのをゲットした。
和馬がカプセルを開けると、前は唐揚げマン、後ろ半分は熊が、出た。
「凄い、それってかなりのレア物ですよ。」
良くわからないので、差し出した。
「あげます。
俺、価値がわからないんです、これの。」
「あらら、それもそうか。
でもさ、持ってなよ。
お守り、お守り。」
なんだか嬉しそうな小林が、カレーの残りを食べ始めた。
和馬もオムライスの残りを片付けることにした。
唐揚げは、確かにおいしかった。
お互い、ガチャガチャから出たマスコットをカバンに下げ、店を出た。
「幸先、良いな〜。
さて、乗って乗って。」
そこから、今夜の宿に向かった。
和馬の荷物は明日来る。
今夜はこじんまりしたホテルだ。
「では、明日。」
アッサリと小林は、帰って行った。
部屋は普通にシングル。
窓から、街並みが見える。
初夏の北国は、清々しく明るい。
今まで住んでいた場所は、キリキリと締め付けるような夏だった気がする。
さて、夕飯はどうしよう。
ベットに寝転び、ウトウトしていたら、目覚めたのは、朝方だった。
お腹が空いた。
お茶を入れて飲んでみたが、腹はおさまらない。
和馬は、フロントに降りて行った。
ここは、ビジネスホテルで、朝ごはんは無いのだが、深夜営業のラーメン屋でもないか、聞く事にした。
「それなら、朝市の食堂がもう、開きますから、そちらでお食事されては、いかがでしょう。」
和馬は、信じられなかった。
それでも、渡されたパンフレットを見ると、こんな早朝から開いている。
「歩いていけば、ちょうどですね。」
目と鼻の先に、朝市の食堂があるのだ。
和馬は、お礼を言って、朝日の登る港町に出た。
教えられた場所は、直ぐだった。
食堂の前には、並んでいる人がいて、和馬がついた頃には、みんな中に入っていた。
席が空いているのを見て、ホッとした。
よくわからないので、ここの一押しの5色丼を、頼んだ。
ご飯は大盛りにした。
和馬の前に、ドンブリから、はみ出した刺身の数々が、現れた。
マグロとカレイと甘海老とツブ貝とイクラ。
ツブ貝は、初めてだ。
「今朝はオマケだよ。」
と、おばさんが回って、大さじ一杯づつ、ウニを乗せていく。
オマケ付きなんて、うまい方法だ。
ドンブリなので、かっ込む。
カニ入りのおつゆも、おいしかった。
満足して、店から出ても、まだ朝だ。
直ぐにホテルに帰らず、少し散歩する事にした。
海は昨日から散々見たので、山の方に歩いてみた。
泊まってるホテルの裏側に階段が続いている。
こんもりした森の中なんて、素敵だ。
知らない野鳥が鳴いている。
さえずりに誘われて、階段から、ゆるい上り坂を歩いて行くと、ぽっかり開けた場所についた。
暖かい谷間がそこにはあった。
あれはわかる。
桃だ。
こんな北に桃の果樹園があったのだ。
選定された枝や葉が片隅に盛られている。
小さな桃の実が、白く青く薄っすら桃色で、朝日に、産毛を光らせている。
「お早うございます。」
後ろから、声をかけられた。
「あ、お早うございます。」
振り向いて、挨拶を返した。
いつの間にか、1人の女性が立っていた。
「うちの果樹園に、何か。」
「いえいえ、散歩してて、来てしまっただけです。
藤枝和馬と言います。
あのホテルに泊まってます。
桃でしょう、こんな北で甘くなるのですか。」
「まだまだです。
硬くて、甘みもばらつきが多いんです。」
和馬は、あの枝や葉を指差した。
「あれは、どうするのですか。」
「あれは、焚き付けにします。
優しい匂いがするのですが、使い道が無いんです。」
朝日が、悲しそうな横顔を染めていた。
「なら、ください。
お風呂に入れたいんです。」
「え〜っ、お風呂に。」
「はい、このまま葉を入れて桃の葉風呂にします。
鍋で煮出して、エキスを出したのを、入れても良いんですよ。
こちらでは、しませんか。」
笑いながら、長谷真奈美と名乗った彼女は、小枝とついている桃の葉を欲しいだけくれた。
「私も、葉を入れてお風呂に入ってみますね。」
真奈美は、持っていたお弁当を入れていた、ポリ袋を和馬にくれた。
「ありがとうございます。」
思わぬ土産をぶら下げて、和馬はホテルに帰って行った。
シャワーを浴びると、下着だけは、取り替えた。
8時半に、下に行くと、小林が待っている。
フロントに挨拶し、和馬はアパートに連れて行ってもらうのだ。
朝ごはんと散歩の話をする。
「唐揚げマンのご利益、凄いですね。
その店、中々入られないんですよ、人気で。」
小林、オススメのお店だったのだ。
「ホラ、あれだもの。」
前を通ると、列が出来ている。
「ウニのオマケがありましたよ。」
ウンウンと、小林が頷く。
着くと、もうトラックが来ている。
部屋の鍵は、小林が持っているので、あわてて、走って行った。
和馬は、トラックの引越し業者に、あいさつした。
荷物は最低限なので、早い。
それでも、ベッドだけは、組み立てもらった。
前の部屋のカーテンが少し長かったが、まあまあ、収まった。
六畳と八畳の二間だから、独り者には十分だ。
トイレと風呂が別なのは、嬉しい。
後は出来ますね、と、小林が帰って行った。
鍵をかけると、まず寝た。
起きると、昼すぎだ。
ここは、温水タンクなので、明日にならなければ、風呂には入られない。
荷物の中から、カップメンを探し出し、食ってから、片付けた。
明日から、忙しくなりそうだ。
翌日、小林の店に向かった。
小林の店は、道の駅に入ってるのだ。
活気がある。
飛び交うあいさつの中、レストランについた。
和馬は、ここで働く。
道の駅のレストランは、ランチが命だ。
観光客から地元の人まで、引っ切り無しに訪れ、なんと3時には閉店してしまう。
3時以降も開けているのは、直接外から入られる入り口がある、ラーメン屋と土産物屋だけだった。
道の駅のトイレはデカい。
ここのは、男女が分かれる入り口のホールに、ステンドグラスが飾られていて、中々なのだ。
隣接しているJRの駅舎や地元の有名な食材や動物が、桜や水芭蕉やカタクリの花などと、盛り沢山、ステンドグラスに、描かれていた。
仕事とアパートに、慣れた頃、和馬は桃の葉を思い出した。
新聞紙の上に、広げっぱなしにしていた。
葉をちぎると、乾燥して、パラパラしてる。
それをホウロウの鍋で煮出して、珈琲のフィルターで、こしてから空いてる瓶に入れた。
これは、冷めたら、冷蔵庫に。
残りは、溜めたお風呂に。
ようやく、桃の葉風呂につかった。
残った枝はどうしょうかな、と和馬は、考えていた。
道の駅に休みは無いから、交代制で休みを取っていた。
来たばかりの和馬の休みは、中々来ない。
世の中が夏休みなので、尚更だ。
それに、最初の2回は、雑用で消えてしまっていた。
和馬が店とアパートの往復から、解放された時には、北国の短い夏は終わっていた。
空き瓶に刺してある桃の小枝は、虫もつかずすっかり乾いていた。
なんとなく捨てられない。
次の日、早起きして、あの桃の果樹園に向かった。
早朝のバスにも、結構乗る人がいる。
爽やかな風が、秋を謳っている。
あのホテルを、目指し、階段を探す。
登ると、果樹園が、見えた。
前より遅く上がった朝日でまだ寒い。
桃の葉が、大きくなっている。
その下に、実がなってるが、数が少ない。
和馬の故郷は桃で有名な場所だった。
秋に沢山の桃がなるのを見て過ごした。
ここのは小ぶりで、硬そうだ。
「そうか、日照時間と気温が足りないのか。」
独り言が、出ていた。
「そうですね、お早うございます。
早いですね、藤枝さんて。」
後ろから、長谷真奈美に声をかけられた。
「あ、すいません。
お早うございます。」
タイミングが悪い。
「いえいえ、この子達、ここの気象に、中々慣れてくれなくて。
あれを見て下さい。」
真奈美が指差した方角に、ヒョロヒョロ伸びた木が一本立っている。
「剪定したらヒネちゃって、仕方なく、伸びたままにしてるんですけど、花が咲いても実がならないんですよ、これ。」
確かに、ヒネてる。
止められた脇から、横枝を出してるが、細くて、ヒョロヒョロだ。
葉だけは、モリモリついてるが、虚弱な感じは隠せない。
「桃の木、知ってるんですか。」
和馬が頷く。
「住んでたところが、桃の名産地でしたから。
あせもに効能があるから、子供の時は桃の葉のお風呂によく入れられてました。
庭にプールを出して、日向水にしてから、遊んでると、横の桃の木から、母が葉をちぎって揉んで、入れてくれてました。
不思議に、酷かったあせもが引いていくんです。」
思い出に庭の桃の木が重なる。
あの木もヒョロッと上に伸びていたっけ。
「あ、もちろん、あせもだけじゃなくて、本当に肌に良いそうですよ。
あの木も、うちの木に似てるから、きっと良い実をつけてくれますよ。」
「ありがとうございます。
多分、褒められて伸びる子なんです、あの子。」
夏の終わりの暖かな1日が始まり出していた。
「葉をお風呂に入れてから、スベスベしてます。
枝は、やっぱり焚き付けぐらいにしかならないでしょうね。」
真奈美の言葉に、和馬も頷く。
「性の良い枝なんですけどね。」
真奈美がため息をつく。
和馬にも、答えは出せない。
「桃って、何科でしたか。」
「何科って、植物の分類ですか。
大抵、バラ科ですが。
桜も梅も林檎も、結局はバラ科なんです。
確か、苺もそうだったような。
そんなこと、きかれたの初めてです。」
「桜も梅も、ですか。
それは凄い。
剪定した枝、ください。
漠然としか思いつかないけど、なんか、出来そうで。」
「構いませんよ。
燃やされるか、ここで朽ちるだけなんですから。」
和馬は、持てるだけの枝を、ビニール紐で結わえて、持って帰った。
日当たりの良い窓の外に、枝を吊るした。
一本一本、重ならないようにしたので、小さな梯子が連なってる様だった。
和馬の話を聞いた小林は、試作品を作ることを了承してくれた。
桃の枝の梯子は、ストーブをつけた室内に移動して乾燥されていた。
真奈美からは、枯れて落ちた葉も貰った。
試食が出来るぐらいまでに、やっとたどり着いたのは、その年の晩秋の頃だった。
早朝に強い真奈美だったので、道の駅の開店前に来てもらっていた。
「さあ、ここに来て、座ってください。」
厨房に椅子を持ってきて、真奈美を座らせた。
「試食会の貴賓席ですよ。」
「もう、食べても良いかな。」
小林がホークを皿に刺している。
「どうぞ。
散々、味見したじゃないですか、小林さんは。
真奈美さんも、どうぞ。」
真奈美の目の前に、切り分けられたベーコンとポテトサラダがある。
食べてみた。
「普通に美味しいです。」
キョトンとしてる真奈美だった。
「わかりませんか。
桃の枝の燻製なんです。
ポテトサラダの方が匂いがしますよ。」
ポテトサラダには、桃の果肉を、ドライフルーツにしてから燻製したのが、入っている。
甘みと香ばしさと燻製の独特な風味が、混ざり合う。
「不思議な味ですね。
大人なポテトサラダって、感じです。」
和馬が嬉しそうだ。
「まだまだ、調整はいるはずですが、これなら、少ない桃の実もいかせますし、何より葉も枝も無駄になりません。」
「ベーコンも、桃の枝の燻製ってなれば、プレミアムが、つくっしょ。」
小林が、ニコニコしている。
「桃のジャムも作りましょう。
ここの桃の実、グッと旨味が詰まってますものね。」
同僚の島村君や仲本君も、真奈美の桃のファンだ。
「私、桃の木、大事に育てますね。」
それから、三年。
北の桃豚ベーコンと桃の燻製ポテサラは、道の駅のレストランの名物になった。
あのヒョロヒョロ伸びていた桃の木には、まだ実はならないが、沢山の葉が、初夏の風に、サラサラ、サラサラとなびいているのだった。
今はここまで。