カラスのガー助
川の流れのごとく、実りの司様がワサワサと迫ってくる。
水風船のようなモヨン、ポヨンという音と、幼子の嬌声が恐ろしく近くから聞こえてきた。
バス停の柱の向こう側から、大きな頭部が出てきて、走り去る。
「だめだ」
俺が全速力で走ったところで、追いつかれる距離だ。
ならばこの近くで、少しでも高い位置へ移動しよう。
バス停のベンチを見ると、数柱の実りの司様が登って走り去って行ったので却下。絶対膝カックンされる。
バス停のトタン屋根は、サビが浮いて一部空が見えているので却下。たとえ俺が華奢だとしても、落ちる危険性がある。
消去法により、目の前にあったバス停の看板によじ登ることにした。
「グケーッケッケッケ! お前、バカだろ」
看板のてっぺんには先客がいた。森の周囲を縄張りとするカラス、ガー助だ。
「ガー助お前! 飛べるんだからどっかいけ!」
「やだね。ぼくちんが見つけた安全地帯だもんね」
「なっ! 俺の方が先に登り始めてたろ!」
叫ぶと笑いながら、ガー助が言う。
「ぼくちんのくるみが、先にここにあったのだ! よってこの場所は、ぼくちんの場所なのだ!」
中が空洞になっているバス停の看板を嘴でつつき、ガー助は木の実を引っ張り出してくわえているではないか。
「んなもん関係ねぇ! とっとと場所寄越せ!」
カラスの癖に生意気なガー助に対し、俺は腹が立った。もう我慢できない。
「……どかねぇなら追い払うまでだ」
腰に巻いた鎖状の飾り紐に引っ掛けた魔法の杖に右手を伸ばす。若干ふらつくが、必要なことだ。
冷静に、落ち着いて、ちょっと短い消しゴム付きの鉛筆のような木の棒を、くるりと手の中で回せば、長さと太さがロッドになる。消しゴムのような姿をしていた水晶宮と呼ばれる部分には、カラフルな魔法石がいくつか浮かび、太陽の光でキラキラと光っている。
俺の右手に握られた木製のロッドは、所謂魔女の杖である。
「アラパス・アクア!」
魔法石の中でも青い石が、杖と水晶宮を通して俺の魔力を吸い込み、青く輝き、魔力をそのまま水へと変換する。
簡単な水の魔法だが、殺さずに相手を追い払ったり、床をきれいにしたりと様々な使い道があるので、とても便利な魔法だ。
「バーカ!」
笑いながらあいつはふわりと飛び上がり、俺がぶつけようと準備し、投擲した水球をひらりと避けたのである。斜め上から投げ落とすような軌道で落下する水球は、狙い通りバス停の円形の看板にぶち当たり……俺へと降り注いだ。
「バーカバーカ! お前も魔女なら飛べばいいじゃないか!」
「おまっ!」
降り注いだ水は服と手を濡らし、じわじわと体温を奪っていく。
さらに言うと、俺がしがみついているのは金属にペンキを塗っただけのポールの為、摩擦が減ってゆっくりと落ちてゆく。
足元はまだ、実りの司様がわさわさと流れている。
「そのまま落ちちまえ!」
ガー助が叫んで、古びて根本の若干腐ったバス停につかまって、羽ばたく。
するとバス停はガー助の動きに合わせて、ゆさゆさと揺れる。
「お、落ちる! ホントに落ちるからやめろ!」
右手には杖があるので、よじ登ることもまともにできない。
『あはははは!』
『あそぼ!』
『きゃはははは!』
実りの司様の嬌声が、近づいてくる。
「落ちてしまえば楽になるぜ!」
ガー助がくちばしで、俺の左手をつついた。ものすごく痛かった。背中で大きな風船を押しつぶすような感覚ののち、ずしりと地面にたたきつけられ、あたりをピンク色の液体が舞う。
「かけけけけけけ! くっせーぞ!」
「うるさい。お前のせいだろ」
「ぼくちん見てただけだもーん!」
わさわさと人を無視して駆け抜けて行く実りの司様に踏まれたり、スカートの中へもぐりこまれたりする。
「うあ! ちょ! や!」
「ざまぁ! ぼくちんに水をぶっかけようとしたからだ!」
どさどさという足音が遠ざかり、ようやく落ち着いた。
「このくそカラス! いつか絶対焼き鳥にしてやる!」
「飛べなきゃぼくちんを捕まえられない! かかかかかかか!」
笑いながらどこかへ飛んで行ったガー助は、いつか絶対焼き鳥にする。
たとえウイルス汚染だとか味だとか問題があっても、丸焼きにしてやる。
ぐんにゃりとしたさわり心地と、服や髪にしみこんでくる肥溜のようなにおいにうんざりしつつ、腰のポーチから携帯を取り出して、会社へ遅刻の連絡を入れた。