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 新しく承認された薬を投薬しはじめたのが新緑の季節で、それからは景子の体調が徐々によくなっていった。

 手術の必要もなく、秋の初めには退院できる、と担当医に言われた。完治はしないが、入院し続けなくてもよいそうだ。

「これが最後の外出許可になるのかな」

 不吉な意味にとられかねない言葉だ、と耀は思った。幸い、他の人に聞かれてはいないようだ。

「来週退院だしね。私は学校があるから来られないけど」

「わざわざ休むようなことでもないしね。お父さんが迎えに来てくれるし。颯爽と」

「さっそうと……?」

 娘は、父の颯爽とした姿を想像できなかった。

「それはそうと、どこに行くの?」

 病室を訪れて、すぐに外に連れだされた娘が尋ねた。

「少し歩くだけだよ。上から見て、目立ってたし。近くで見てみたいって思ったの」

「何を?」

「行ってみてのお楽しみ、ということで」

「はーい」

 病院を出て、緑の稲穂が並んでいる田圃の横を歩いた。

「ほら、あれ」

 母は田圃と道の境目、あぜ道のあたりを指さした。雑草の中に赤色が目立っている。

 その花に、耀はあまりいい印象を抱いていなかった。病室から見える場所に毎年咲くその花を、なるべく母に見せたくなかった。

「彼岸花?」

 わかっていたが、尋ねるように言った。

「うん。またの名を曼珠沙華。学名は、確かリコリスだったかな」

「よく知ってるね」

「好きな花だからね」

「そうなんだ」

 意外なことだった。今まで、そんな素振りもなかったし、そんな話もしなかった。

「病人が彼岸花をじっと見てたら、心配するでしょ」

「するね」

「だから、なるべく見ないようにしてたんだ」

 知らない間に、気を遣わせていた。

 耀は、母に見せる写真に写るものに気を付けていた。見せたくないものは、写さない。余計なものはファインダーの白枠の外に出した。写らなければ、母が見ることもない。

 そう思って写真を撮っていたのと、同じことかもしれない。

「もう少し歩くよ」

 と、母が言った。

「疲れたらちゃんと言ってね」

「わかってるよ」

 国道を渡り、スーパーの横を通って農道に出た。細い道を山脈の方に向かって歩く。高架線を過ぎると、町の東を流れる川が見えた。向こう岸に、彼岸花が敷き詰められたように群生している場所があった。

「こんなにたくさん咲いていたんだ」

 対岸を見て、耀が言った。近所なのに知らなかった。

「何年ぶりかに来たけど、前より増えてる気がする」

 対岸ほどではないが、こちら側の岸にも彼岸花が咲いている。良くない印象が先にあり、じっくり見る機会がなかったが、一本だけ見てみると綺麗な形だった。

「彼岸の時期に咲くから彼岸花であって、あの世に咲いているわけじゃないからね。ほら、此岸にも生えてるし」

「それはそれとして、近くで見るときれいな花だ」

「そうでしょ。毒あるけど」

「え?」

「害獣対策で田圃のそばに植えられたんだって。もぐらとか。毒を抜けば食べられるらしいよ」

「なんだかなあ」

 綺麗だと思った途端に毒があると言われるとは。

 母は、ぽつんと一輪だけ咲いた彼岸花のそばにしゃがんだ。

「それでも、この花が好きなんだ。濃い赤色と形がいい」

 耀も母の隣にしゃがんで、花にカメラを向けた。母は娘の様子を眺めながら話した。

「彼岸花は三倍体だから、こうやって一輪だけ咲いているのはめずらしい」

「三倍体って?」

 耀はファインダーを覗きながら聞いた。

「染色体の数が三倍ってことなんだけど、種子ができなかったり、できにくかったりする」

「なら、どうやってふえるの?」

「球根。だから近くに生えてくるんだよ」

「なるほど」

 家の庭の手入れをしているからといって、知らないことはまだまだある。これからは、母と一緒に植物のことを知っていこうと思った。

 耀は花の反対側に回りこんで、再びカメラを構えた。

「一輪だけって、なんか、たくましいね」

「でも、一輪だけだと寂しいよ」

 そう言って、耀はシャッターを切った。

「どんな写真を撮ったの?」

「現像してからのお楽しみということで」

 娘は笑って、そう答えた。

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