中編
不思議なチョコレートの力で、2度に渡って2月14日に戻り続けた男性社員のW。しかし何回戻っても、彼の思い通りのチョコを女性社員から貰うことはできませんでした。1度目はとても不味い義理チョコ、2度目は本命のチョコの味見係、と言う散々な結末になってしまったのです。
それにもめげず、彼はもう一度不思議な力を持つチョコ『バレンタインデーチョコ』を食べ、計4度目の2月14日を迎えました。しかし、『ニ度ある事は三度ある』という言葉通り、今回も彼の顔は――
「はぁ……」
――またもや不満そうな表情に包まれていました。
今回貰ったチョコは、今までに食べたことが無かったほどの美味しさを誇るチョコレートでした。口の中で溶け出す甘さは文字通り絶品で、3個だけしか入っていないのが惜しいほどでした。それに、彼に対する想いが詰まっていたかのように、チョコが入った箱には丁寧な包装もなされていたのです。
にも関わらず、彼が不満を覚えてしまったのは、そのチョコを渡した女性社員にありました。Wが憧れていた女性社員の『U』は、今回もまた彼に振り向いてはくれませんでした。その代わり、彼の元を訪れたのは、少々失礼な言い方かもしれないですが、(失礼ながら)ぽっちゃり系で可愛くなく、しかも押しの強いと言う、Wが一番苦手な女性社員だったのです。よりによって彼女から真心がこもったプレゼントを貰うことになるとは、一切予想していませんでした。
「美味しかったけどな……いや、駄目だ!」
3度目も失敗に終わってしまい、Wはやけくそな気持ちになっていました。憧れのUさんからの心のこもった絶品の本命チョコレートを貰いたい、と言う思いで、彼は乱暴に『バレンタインデーチョコ』の箱を手に取りました。その時、箱に書かれていた注意事項が目に留まりました。
食べるときはなるべく一度に1個づつ、たくさん食べ過ぎると――
「……そんなの知ったことか!」
そして、彼は箱の中にあった残りのチョコを全て手に取り、口に頬張りました。
途端に周りの景色が歪み、彼の周りで渦巻き始め――。
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「おはようございまーす」
2月14日、恋人たちの祭典であるバレンタインデーがやってきました。いつも通り同僚や先輩、後輩に挨拶をするWでしたが、その心は楽しみからくる緊張に満ちていました。
彼にとって、2月14日を迎えるのはこれで5回目でした。チョコレートの力で何度もやり直しを続け、周りで繰り広げられる光景にもそろそろ飽きてきた頃でしたが、それでも今回の『2月14日』はいつもと違う、そういう気分を感じていました。例のチョコレートを一気に何個も丸呑みしたからには、間違いなく自分の思い通りの良い事が起きるだろう、そう確信していたのです。
そして、彼の期待は見事に的中しました。パソコンの電源を立ち上げて仕事に入ろうとした彼の肩を、誰かが叩いてきたのです。振り返ると、そこにあったのは少し頬を赤らめた、天使のような笑顔でした。
「あの……W君?」
そう、彼の憧れの女性社員の『U』が、彼の後ろに立っていたのです。
少しパーマをかけている茶色がかった長髪に瑞々しい紅色の唇、そしてピンクを基調にした会社の『OL衣装』によってより際立つたわわな胸に整った背中やお尻のライン、ミニスカートからはむっちりとした太ももが覗いています。今まで憧れつつも遠巻きにしか見ることが出来なかったWですが、今まさにその存在が近くに現れていました。心拍数が増しながらも、彼はどうしたのか、とUに尋ねました。すると彼女は、休憩フロアまで来て欲しい、と告げたのです。
まさしくこれは予想通りの展開だ、とWは心の中でガッツポーズをしました。
そして、誰もいない休憩フロアに辿りついた彼の前に、Uはあるものを見せました。
「ねえ、これ食べてくれる?」
その可愛い笑顔を見せられてしまえば、Wに断る理由などありませんでした。綺麗に梱包された箱を貰った彼は、その外装を褒めつつ丁寧にリボンを解き、二重の箱の中にあったチョコを取り出し、そして彼女の真心ごと、茶色の生チョコを口の中に入れました。
「ど、どうかな……?」
「……うん、凄い美味しい!絶品だよ!」
「うふふ、ありがとう♪」
可愛いUの顔は、明るい笑顔でより可愛くなりました。それと同時に、Wの心も、勝利と幸福の気持ちで晴れやかなものに変わったのです。
とうとう彼の願いは叶えられました。憧れの女性社員から、絶品の本命チョコレートを貰う、彼にとってまさに最高のバレンタインデーに――。
「ねえ、これ食べてくれる?」
一瞬、Wは耳に入った言葉を理解することが出来ませんでした。目の前にるUは、彼に本命のチョコレートを渡してくれたはずです。それにも関わらず、何故か後ろのほうからUの声が聞こえてきたのです。一体どういう事なのだろうか、とつい振り向いた彼は、びっくり仰天してしまいました。
Wの背後に、Uがもう1人現れていたのです!
「うふふ♪」
少しパーマがかかっている茶色がかった長髪に瑞々しい紅色の唇、たわわな胸に整った背中やお尻のライン、新たに現れた2人目のUは、何もかもが1人目のUと全く同じでした。勿論声も表情も、そして彼に渡そうとしているチョコレートの箱の包装も、何一つ先程と違いはありませんでした。一体何がどうなっているのだろうか、と訳が分からないまま、彼はそのまま2個目のバレンタインデーのプレゼントを貰いました。
「ど、どうかな……?」
「……う、うん、こっちも凄い美味しい……」
「うふふ、ありがとう♪」「うふふ、ありがとう♪」
前後から同時に聞こえるUの声に気が遠くなりかけた時、彼はあることを思い出しました。2月14日をやり直すことが出来る不思議な力を持つ『バレンタインデーチョコ』の箱には、ある注意文が書かれていました。食べるときは一度に1個、一気に何個も食べてしまうと、大変な事態になってしまう、と。
確かにこれはある意味大変な事態だ、と彼は嬉しさを隠しきれませんでした。憧れの美人社員であるUから本命チョコを貰い、しかもどういう訳か2人に増えると言う状況は、Wにとってまさに天国だったのです。
しかも、Uの数は2人だけに留まりませんでした。
「ねえ、これ食べてくれる?」
「ねえ、これ食べてくれる?」
「ねえ、これ食べてくれる?」
「ねえ、これ食べてくれる?」
「ねえ、これ食べてくれる?」
……
3人、4人、5人、6人――彼の周りに集まるUの数は次々に増えていきました。ピンク色のOL衣装からたわわな胸の輪郭を見せつけながら、Wへ絶品の本命チョコが入った箱を次々にプレゼントしていったのです。それを手に取り、チョコを口に入れると彼は周りと囲むUを褒め、その度に彼女は一斉に微笑を見せ、そして10人、11人、12人、13人と再び数を増やしていきました。
まさにWは、天に昇ったような心地でした。
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――ところが。
「食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」食べてくれる?」……
いくら優しい笑顔で囲まれても、もうWにチョコを食べる余裕はありませんでした。
確かにUの持ってきた生チョコは絶品で、まさに彼好みの味わいでした。ですが、何十個も全く同じチョコを口にしたり、しわの形まで一切の違いの無い包装を解き続ければ、さすがに飽きてしまいます。しかし、そんな彼の前には容赦なく新しいUはひっきりなしに現れ続けていました。今やその数は数十人にも達しています。全員とも髪型も顔つきも唇も、大きな胸もむっちりとした太ももも、何もかも全く同じ存在、それが大量に現れて彼にチョコを勧め続けているのです。
「ちょ、ちょっとタンマ!」
そう言って彼は、Uの体を押しのけながら、彼女によって埋め尽くされた休憩フロアを脱出しました。トイレに行ってくると言うのは言い訳で、本当は急いで自分が仕事をする部屋に戻り、チョコのことを忘れて没頭しようとしていたのです。確かに大量のチョコを貰うと言うのは嬉しいことですが、幾らなんでも限度があります。勘弁してくれ、と言う気分で部屋のドアを開けた彼は、そこに広がっていた光景を見て愕然としました。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「うふふ、これを食べて♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
部屋の中に、Wの同僚や先輩、後輩は『1人』を除いて姿を消していました。代わりに部屋の中を覆っていたのは、何十人にも増えた、美人社員のUだったのです。しかも全員とも掌に例の生チョコ入りの箱を用意し、彼にプレゼントしようとしていました。
ドアの前で立ち尽くす彼に近寄ろうと動き出す同じ姿形の女性たちを見て、Wの体に悪寒が走りました。明らかに『大変な事態』になってしまっていると嫌でも分かっていた彼でしたが、その背後はもっと大変な事態が起きていました。
「食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」食べて♪」……
休憩フロアから溢れかえった何十人、いや何百人ものUが、廊下を埋め尽くし始めていたのです!