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酔っ払いの礼儀  作者: 岸上ゲソ
4/6

大事な話は酒抜きで

 私は今、デートをしている。

「やれぇえええ!そこだァアアアア!!」

「今だ!カイザーぶっ殺せぇえええ!」

 私の前後で怒号が飛び交い、観衆の熱い視線が集う先では涎を滴り落として牙を剥き出した黒と白の塊が視線をぶつけ合っている。

 ぐるるる、と一方が威嚇を飛ばした。それをもう一方が嘲笑うようにふん、と流し、ぎらついた目を細め身を低く構える。―――どん。跳んだ。

 ぎゃいん!

 悲鳴が響き、黒い方がどさりと倒れる。ざ、と華麗に着地したのは終始冷静にさを失わなかった白い方だった。

「勝者!リニィィィィィ!!」

 くわぁあああああん!

 アナウンスと共に試合終了を告げる鐘が鳴り、広大な闘技場は闘犬賭博に勝った者と敗けた者たちの野太い絶叫が轟いた。

 ―――もう一度言う。私は今、デートをしている。

 隣に泰然として座る近衛隊隊長殿、今は負けて紙屑となった券を見ながら難しそうな顔で首をかしげているが、私の記憶が正しければこの隊長殿に誘われ私はデートに来たはずだった。


 昨日、エレノアと話した後早退を促された私は、帰宅途中に思い立って隊長への返事を携え軍施設に寄った。こういう事は決断したその日にやっておかないと、時間が経てば経つほどタイミングが難しくなる。とは言えアポなしなのにいきなり当人に会う勇気までは無かったので「お友達からお願いします」というお付き合いのお返事としては常套句のメモを兵舎受付に渡しておいた。すると今朝方来客のベルが鳴り、寝起きでドスッピンのままドアを開けてみれば「デートに誘いに来た、私のマディ」と砂糖菓子よりも甘い顔で囁く隊長が玄関に立っていた。何このミステリー。「これを君に」と差し出された花束はとても可憐で可愛らしかったけど、それを花瓶よろしく入れているものが異様なまでにリアルな馬の頭だったのが解せない。いや多分っていうか間違いなくあの日私がかぶってたもので間違いないとは思うよ。忘れてたから持ってきてくれたんだよねうん。でもどうしてそれに花突っ込んで持ってくるのか解らない。何故それぞれ単体で持ってこない。と、色々突っ込みたかったけど笑顔の隊長になにも言えず、私は可憐な花束を首から生やした馬の頭を受け取った。こんなシュールなプレゼント貰ったのは生まれて初めてだった。

 それでとりあえず慌てて用意して、隊長に優しくエスコートされ連れていかれた先がこの闘犬賭博という現在の状況。デート、まさかの闘犬賭博。デートがこんなにもバイオレンスになっていたとは知らなんだ。8年の間に何があった世間。

「…あの、クレス様」

「何だろうかマディ」

 にこり、とまた甘い笑顔を向ける隊長に私は困惑の眼差しで口を開く。

「あの、恥ずかしながら私デートはずいぶんと久しぶりで、流行には疎くて…最近では闘犬賭博デートが流行っているのですか?」

「いや、そんな話は聞いたことが無い」

 ふ、と優しく微笑む隊長に反射でそうですよねと微笑み返し、良かった世間に取り残されたんじゃなかったと安堵した。これがもし世間の鉄板デートになっていたらついていけない。いや見渡す限りおっさんしかいないから薄々は気づいてはいたけども。

 でもそれなら何故連れて来たんだろう。

「……クレス様はよくこちらにいらっしゃるんですか?」

「―――何故かな」

 笑顔にどこか身構えるような鎧が見えて、やはりと思う。言わないほうが良いかなぁとも思ったが、隊長は返事を待っているので結局躊躇いがちに口を開く。

「その…私の知り合いに闘犬賭博好きが居まして。黒い方のカイザーは、あまり頭を使わない戦闘が得意で、対して白い方のリニーは小さくとも知力に特化した闘犬賭博の看板犬なんだそうです」

「…ふむ?―――あぁ、なるほど」

 私の言わんとすることを察した隊長が、これは一本取られたと苦笑交じりに額へ手をやる。闘犬賭博が初めてでなければ、私の今言った情報は知っているだろうし、隊長は白いリニーに賭けているはずなのだ。すみませんと小さく言うと、気にしないでくれと隊長が笑った。まぁなんだ、男前の照れ笑いは実に眼福だけども、今はそれより理由を聞きたい。

「どうして闘犬賭博に来たんですか?」

「…まぁ、少々助言を乞う相手を間違えたらしい」

「助言?」

 一瞬隊長がばつの悪そうな顔をし、溜め息を落とす。

「友人に、好きな女性ができた事を告げそのデートについて助言を頼んだ。どんな人物か聞かれた為、酒に強く陽気で気さくな軍歌好きの可愛らしい人だと答えた。―――そしたら闘犬賭博が好きなんじゃないかと言われた」

 軽く肩を落としている隊長に、まぁその情報からの助言としては間違ってないんじゃないかなと思った。酒に軍歌と来たらあとは賭博と連想してもおかしくない。ただ一言言いたいとすればそれは女性ではなくおっさんだという事か。

 え、という事は何、私今乙女とおっさんのかなりぎりぎりのラインにいる?

「しかしどうも、助言は違ったな。マディは戸惑っているようにしか見えない」

 申し訳ない、と謝られて、己のおっさん疑惑にショックを受けていた私は我に返り慌てて首を振った。別にそれは隊長の責任ではないし、それより馬の頭をかぶっていたことを陽気で気さくだと表現してもらえた事実が大切だ。私は微笑み、礼を口にした。

「ありがとうございます。でも私相手にそこまでお気になさらずともいいんです、責任など感じず、軽いお付き合いで大丈夫ですから」

「…責任?軽いお付き合い?」

「アレは双方合意の上。身は弁えています」

 大丈夫、と笑って見せると隊長が一瞬目を見開き、そして酷く複雑な顔をした。でも開きかけた口は思い直したように何もつむがれる事は無く、代わりに私をじっと見つめて優しい手つきで手を握る。―――そこに唇を落とされ、仰天した。

「―――ッ!?」

「マディ。私のメシア。私は世辞も嘘も苦手だ。思ったことしか言わない」

「え…え?」

「食事に行こう。素朴だが味は良い私の行きつけに案内する」

「あ、はい…」

 何事も無かったように微笑み、私の腰に手を回して誘導する隊長に慌てて足を動かした。救世主だの嘘は言わないだの隊長の言いたいことが全く解らなかったが、それ以上何か訊ける雰囲気でもなかったので優しく抱く腕に身を任せた。

 力を抜いた時、その腕に力がこもったように思ったけれど、それもきっと私の気のせいだろう。私と隊長の間柄は、酔った勢いで関係しただけの薄いものだ。勘違いする気なんて毛頭ない。


 でも、その後のデートは正直かなり楽しかった。勘違いなんてしないけれど、隊長が私を扱う手はこれ以上ないほど優しくて、まるで私が隊長の唯一であるような錯覚をしそうになった。一日の終わりに送ってくれた家の前、私を見る隊長の目が溢れ出しそうな熱に染まっていたのが印象的だった。静かな澄んだ湖畔のような色なのに、何かを堪えるそれが炎のようで、そっと押し当てられた隊長の唇の行き先が私の手だった事が残念に感じた。

「おやすみ、マディ」

「…お休みなさい、クレス様」

 微笑んで、去っていく背中を見て思う。

 大丈夫、勘違いはしない。

 けれど胸にざわめく予感を無視できず、安易に交際など了承するんじゃなかったと後悔した。



 そして三度目のデートでそれは起きた。



「……思い出せない」

  明らかな二日酔いの頭痛と吐き気に既視感を覚えながら、私はベッドの中で呆然と呟いた。

 肌触りのいいシーツが素肌を滑り、するすると優しく太ももを撫でる。そのまま突っ伏してしまいそうになるのをこらえ、私は頭を押さえながら―――品は良いがシンプルなシャンデリアが下がる全く見覚えのない天井を見上げた。ここは一体どこですか。何故私は裸で寝ている。

 現状が把握できず、私は蒼白なまま記憶を探った。確か昨日は隊長と三度目のデートで、夕食に出たお酒が少しきつめで飲んでいるうちに段々気分が良くなった。

『大丈夫かマディ、あまり飲みすぎては』

『だーいじょーうぶでごっぜぇまさぁあああ閣下!』

 唐突に蘇った会話にはっとして隣を見た。こちらに向けた羨ましいくらいに真っ白な、でもあちこち傷跡の有る背中。見たことがあるそれと、淡い綺麗な金髪。閣下、ではなくクレメンス・ラオ・クラウス。酔った己の行動が思い出せないが何で閣下呼びになっていたんだろう。まぁそれはおいといて今度は誰だか解る。解るけれど、私はまた同じ過ちを犯してしまったのか。多分だけど、十中八九ここは隊長の家だろう。

「…あぁ、でも一応彼氏だからいいのかしら…」

 見知らぬ男じゃないしと呻きながら、二日酔いより自己嫌悪で吐きそうになった。もう嫌だ死にたい、と悪態をつきながらベットから出ようとして、突然がしりと腕をつかまれ飛び上がる。

「ッひぃ!」

「マディ、どこへ?」

 低い声に振り返ると、私の手を掴んだ隊長が身を起こしてじっと見つめていた。澄んだ両目は真剣で、何故だか焦っているようにも見える。

「ク、クレス様、お、おは」

「おはよう。どこへ行こうとしていた、マディ」

「あ、その。…ふ…服を!きっ着ようと」

 シーツを引き寄せて胸元を隠しながら言うと、隊長がはっとしたように私の格好を見て歯を食いしばった。次いで赤く染めた顔を背けると俊敏な動きで立ち上がり背を向ける。背中からよく締まった形の良いお尻が目に飛び込み、思わず釘付けられた。なんという尻。いえ肉体美。

「済まない、気が利かず」

「へ?―――え?」

「大丈夫、見ていない。あぁ、昨夜も勿論何もしていない。服を着たら隣の部屋に来ると良い」

 背を向けたままそう早口に言うと、隊長は部屋を出て行った。全裸で。見損ねたけど前はあれだ、きっとぶらぶらしていたんだろうな、くそうちょっと惜し、じゃなくて。

「……なにもしてないって?」

 呆然と呟いて、自分の体を見下ろした。さらりとしていて、何の跡も無い。だるくもない。どこも、なんとも無い。

 二日酔いだけ。

「―――どういう事」

 裸なのはもしかしなくとも自分で脱いだだけか?「あんたは酒飲んでテンション最高潮になると脱ぐ」とエレノアに言われた事があるからそうかもしれない。

 でも、だとしたら。

(一度ヤッた事ある裸の女を前にして、何もせずベットに寝かせただけ?)

 何で。

(今更何を遠慮する必要があるの)

 それじゃまるで。

(そんな訳ない)

『大丈夫、見ていない』

 まるで私が、隊長にとってとても大切な存在であるみたい。

(―――あり得ない)

 ベットから降りて服を着る。ダメだと思った。これ以上、何かを考えてはダメだと。

 首を振って身支度を終えると、私は頷いた。大丈夫、バカな真似はしない。そして隊長の待つ部屋へ行こうとし、私は隅に転がるやたらファンキーな笑みを浮かべる鹿の頭を見つけた。

 前回の馬とあわせて、かぶったものがちょうど馬鹿になることが解った。




 そっと部屋に入ると、既にこちらも服を着た隊長が渋面で椅子に座っていた。テーブルには用意してくれたらしい食事が乗っている。様子からして隊長が作ったものではないようだけど。

「マディ」

 私が声をかけるより早く、気付いた隊長が向かいの席を勧めた。礼を言って椅子に座ると、何か物言いた気な視線とかち合う。

「…どうかなさいましたか、クレス様」

「昨日は…」

「あ、はい。申し訳ありませんでした、お酒を飲みすぎてまた何か失礼してしまったんですよね」

 慌てて謝ると、困惑が隊長の顔をよぎった。マディ、と小さく呼ばれる。

「はい?」

「もしや、酔ったときの記憶は無いのか?」

「え、あ、はい…ありません」

 答えた途端、隊長が納得の顔で突っ伏した。なるほどな、と小さくうめき声が聞こえ、次いでとてもとても大きな溜め息が落ちた。何だろう、何かとても悪い事をした気がする。

「あ、あの、クレス様…?」

「昨夜」

 むくりと起き上がった隊長がじっと私を見つめた。思わずぴんと背筋を伸ばす。

「私があなたに言った事をもう一度言う。マデリーン」

「―――クレス様」

 何故だかよくない予感がして、咄嗟に口を挟もうとした。けれどそれは結局隊長の気迫に負けてそれ以上の言葉を出せなかった。

 駄目だ、と思う。

「マデリーン・レスハット。嘘偽り無く、私は君を愛している。私との未来を考えては貰えないか」

 駄目。

 バカな事を。私とあなたは、未来有る間柄ではないでしょうに。

 隊長の視線から逃げ、私は俯いて立ち上がった。がたり、と椅子が音を立てるがそれを無視して私は玄関へ走り出した。

「マディ!」

 腕をとられる。それを振り払おうとして失敗し、それでも暴れる。

「マディ!」

「できません!できるわけない!」

「ッマ…」

「私みたいな阿婆擦れ落として何が楽しいの?酔いに任せてやっただけの安い女よ。そんなのにどうしたら本気で恋なんてできるの。もういいじゃない、おしまい。いいでしょうそれで」


 するりと掴まれていた腕が開放された。私は隊長を振り返らず玄関を開けた。


「もう二度とお会いしません。―――ありがとうございました」


 扉が閉まる音を背後に、私は歩き出した。隊長は何も言わなかった。

 これでいい。そう心から思える。言った言葉は全て本心だし、間違った事は言ってないと思う。

 だから。芽生えていたこの恋心は、涙と一緒に流してしまおう。


「―――ぐっ」


 項垂れた私が流したのは、涙ではなく二日酔いによる吐瀉物だった。





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