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酔っ払いの礼儀  作者: 岸上ゲソ
1/6

忘れ物にはご注意を。

 弁解をさせてもらえるなら、その日私は浮かれていた。

 今年14歳になる可愛い甥っ子のリールベイが、難関と言われる帝国軍の近衛隊に合格し、つい浮かれて祝杯を一人で上げていた。そう、私は浮かれ、舞い上がっていた。つまり普通じゃなかった。大事なことだからもう一度言います、普通ではありませんでした。

実はお酒自体も久々で、飲んでいるうちにテンションが上がっちゃった私は二件目へハシゴした。この時点でかなりミラクルな足運びだったのでグデングデンだった自覚はある。だから三件目でやけ酒していた男に絡んだのはあれだ、不可抗力というか酔っ払いとしての礼儀だった。うん礼儀よね?だって酔っ払いって人に絡んでこそその本領を発揮する訳だよね、だから有る意味これは義務だったと思うんだ。私は悪くないと思うんだ。んで多分その男と口論だかになって飲み比べしたんだかなんだか、…、ちょっと経過は曖昧なんだけど、結果だけいうと意気投合して一緒に四件目行った。気がする。そこでその男と肩組んで号泣しながら軍歌を歌って、そしたら男がリバースして、


そして、そして…えーと…。


「……解らない」

 明らかな二日酔いの頭痛と吐き気に呻きながら、私はベッドの中で頭を抱えた。

 肌触りのいいシーツが素肌を滑り、するすると優しく太ももを撫でる。そのまま突っ伏してしまいそうになるのをこらえ、私は頭を押さえながら悪趣味なシャンデリアが下がる天井を見上げた。ここがどこなのかは解っている。無駄に豪奢なくせに全体的に品がないこのいかがわしい内装の感じ、年頃の男女があはんうふんするピンクなお宿以外の何物でもない。人生28年も女やってれば彼氏とこういう宿へしけこもうというもんで、私も利用するのが初めてとかそんな事はもちろん無かった。でもね、彼氏でもない人と入ったのは流石にこれが初めてなんですよ。いえ本当こんなこと何回もしてるわけありませんから、本当にないからね、そこまで奔放ではないからね私は!

 とか、そんな不毛な現実逃避は何も現状を打開せず、私は諦めてちらりと横目で隣を見た。

 こちらに向けた羨ましいくらいに真っ白な、でもあちこち傷跡の有る背中は私の記憶には全く引っかからないものだ。しっかりと鍛えられたのが解る無駄のない体つきを見るに、多分だけど体力勝負の職業に就いている人間だと思う。淡い金髪の頭は枕に目一杯埋められているので顔は見えない。けど、どう頑張って斜め上の思考で見ても男にしか見えなかった。そして私は素っ裸で、だめ押しに腰がだるくて股関節が痛い。私の乳とか太ももの赤い斑点は情事をイタした副産物。はいOK 、状況は把握した。

 ―――ズラかろう。


 決断すると早かった。私は頭痛吐き気を根性で飲み込み、でも微妙に失敗してえずきながらベットから這いずり出た。汗とナニで気持ち悪い下半身は物凄く洗い流したかったが、今は風呂など入ってる場合じゃない。避妊した形跡がないのが怖いが見ないふりをして若干内股で床に脱ぎ散らかされた下着と服をかき集め身に付けた。いつもつけているお気に入りのピアスが見当たらなかったが、諦めてテーブルに放り投げられていた皮のポーチをひっつかむと男が爆睡しているのを確認して部屋から飛び出した。ちくしょう膝が笑う。男が起きたらまずい、早く出なければとそれだけを頭にフロントへ走った。ニヤニヤ意味深な笑みを浮かべるおばちゃんに部屋代金全額払うと、私は後を振り返りもせず鬼気迫る勢いで逃げ出した。


 容姿と同じく平々凡々とした人生を送っていたこの私、マデリーン・ レスハット。

 これが人生28年で初めて、酔った挙句に見知らぬ男をヤり捨てした日の事だった。



***



 甥っ子のリールベイが軍に入隊して一月程が過ぎた深夜、――つまりヤリ捨てしてから一月ってことだけど――そろそろ寝ようと灯りを消した所で来客を知らせるベルが鳴った。え、と目を瞬き眉をひそめる。

 28歳と嫁き遅れているが、腐っても独り暮らしの女の家。こんな非常識な時間に訪問するなんて碌な相手ではない。

 壁の時計は深夜0時をさしている。酔っ払いの類いと決め付けた私は無視して寝室に向かった。が、今度はドンドンと扉を叩かれた。そしてマディねーちゃーん、と柔らかい、しかし甘えた声が聞こえ、私は慌てて玄関へ走った。玄関扉を開けて現れたのは、暗くて見にくいが可愛い甥っ子に他ならなかった。

「リール!どうしたのこんな時間に!」

「わぁいねーちゃん!会いたかったようー!ぎゅー!」

「わ!ちょ、ちょっと一体何…ぎゃあっ!」

 14とは言え既に私とそう変わらない身長のリールに抱きつかれ、そのまま倒れそうになるのをどうにか踏ん張った。甘えて胸に顔をうずめて来る甥っ子の体からはアルコールの匂いがし、これは相当飲まされたなと苦笑する。大方歓迎会でもあったのだろう。

「マディねーちゃん、柔らかくて気持ち良い~、いいにおい~。今日俺ね、歓迎会あってのまされたのですー、はい!」

「うんそうだろうと思ったわ。それはいいけど、うちに来たのはどうして?宿舎には帰らなくて良いの?」

「門限に間に合わなかったのだー!隊長も一緒!俺達泊めてー!」

「―――隊長?」

 はっとして視線を向けた暗闇に、ひどく恐縮したような雰囲気の男が立っていた。様子からして酔ったリールに無理やりつれてこられたようだ。私は慌ててリールごと横に避け、隊長と呼ばれた彼に声をかけた。

「ごめんなさい!この子を介抱してくれたんでしょう?どうぞ、こんな所ですけどうちでよければ泊まっていってください」

「そうそう!狭いけど泊まっていってくださいたいちょー!」

「いえ、私は彼を送り届けただけですから、これで。―――リールベイ、身内とは言え女性にあまりご迷惑をかけるものではない」

 生真面目にそう言ってその場を辞そうとする男に、私は好感を持った。たぶん私が一人暮らしだと知り遠慮してくれたのだ。軍の隊長と言うと何となくもっと荒い感じの豪快な男と思っていたけど、なかなかどうして、礼儀正しく素晴らしい。

 私は微笑むと、抱きついたまま寝始めたリールをはがし手招いた。

「ご迷惑でなければ、どうぞ泊まっていって下さい。リールの言う通り広い家ではありませんが、路上よりはいい寝心地を提供できると思います。この時間ですと宿も閉じておりますし、何よりここで甥を介抱してくださった貴方を見送ってしまっては私が彼に怒られてしまいます。―――どうか私を助けると思って」

 いたずらっぽく私がそう言うと、男が小さく笑う気配がした。

「そのように言われてしまうと断れないな。・・・では、ありがたく一晩宜しくお願いします」

「ええ、ありがとうございます」

 男が部屋に入り、眠ってしまったリールを代わりに担いでくれた。本当はきちんと彼を一人部屋にしてあげたかったが、ゲストルームは一つしかないので寝具だけ二人分出してリールと共に入ってもらう。

「それでは、どうぞごゆっくり。何かありましたら私隣室にいますので」

「あぁ。ありがとう」

 おやすみなさいと微笑むと、男も微笑んだような気がした。私は自分の寝室へ戻ると、久しぶりにとても良い気分でベットに入った。今日は何だか、良い夢が見れそうだ。



 私は昔から、お客様が家に泊まると翌朝やたら早く目が冷める。今日も例外なく夜明け間もない時間に目を覚まし、二度寝できそうに無いことを知るやさっさとベットを出てしまった。こうなったらちょっと手の込んだ朝ごはんでも作るに限る。リールに会ったのも久しぶりだし、介抱してくれた隊長への感謝も込めて私は台所に立つと張り切って腕を振るった。料理自体は結構好きなのだけど、普段一人だとつい適当になりがちだ。このまま独りで暮らしてたら健康を害しそうだなぁ、ルームシェアしてくれる女性探そうかしら、とそこまで考えて私はちょっと落ち込んだ。どうしよう、今ナチュラルに一生独りが前提で未来を考えてしまった。まずい、干物まっしぐらだ。

「―――失礼」

「・・・あら、おはようございます」

 テーブルに料理を並べながら「最後に彼氏が居たのはいつだったっけ」と虚しい事を考えていたら、声をかけられ振り向いた。やはりというか、明るい部屋に入ってきたのは昨日は見えなかった、初めて見る男――隊長。リールは朝が弱いので、いっつもなかなか起きてこないのだ。もう少ししたらジュースもって起こしに行ってやろう。間違いなく二日酔いだろうし。

 ―――それにしても。

「おはようございます。昨夜はあのような時間であるにも関わらず、大変ありがとうございました」

 ぴんと姿勢良く立ち、生真面目に言うこの男。

 その顔の、精悍な事と言ったら!最近あまり見ないよこんな男前、と内心で私は騒ぎ立て、その衝動を殺すのに苦労した。うん、基本的にミーハーなのだ私は。地味顔に似合わず見栄っ張りなので顔には出さないけど。

 私はじろじろ観察しきゃーきゃー言いたい内心を隠し、隊長に微笑んだ。

「とんでもありません、こちらこそリールベイがご迷惑をおかけして。・・・あ、私リールベイの伯母のマデリーン・レスハットと申します。マディとお呼びください」

「ありがとう。私は帝国軍近衛隊で隊長の任を預かっているクレメンス・ラオ・クラウス。私の事はクレスと呼んでください、マディ」

「解りましたクレス様。・・・お口に合うか解りませんが、よろしければ召し上がってください」

 ありがとう、と頷き席につく隊長に微笑みながら、私は手前で握った両手をぷるぷるした。

 っっかー!もうたまんないこの紳士ぶり!かっこいい!内心でそんなことを喚き散らし、私は静かにその対面に腰掛けた。出しません、出しませんよボロは。そんなことしてドン引きされたら立ち直れないじゃない。

 食前の挨拶を二人して口にし、隊長と食事を始めた。あああ、美しい。白い朝日に煌く金髪、透けそうな白い肌。澄んだ湖畔のような蒼い瞳に凛々しい眉。意志の強そうな顎と口元が奏でる声は、ぞくぞくきそうなバリトンだ。朝っぱらから何という眼福。リールの所へはもう少しあとに行こう、伯母さんを束の間の幸せに浸らせて頂戴。

「マディは料理が上手いですね、どれもとても美味しい」

 軍の鍛錬って上半身裸になったりするのかしら、うわ腹筋とか割れてたりするんだわ鼻血出そう、とか煩悩まみれの事を考えていたら、少し打ち解けたような顔で話しかけられた。内心の動揺をパンと一緒に飲み込み、私は微笑を装備する。

「ありがとうございます。ご覧の通りの食事ですので、今だけでもそう言って頂けて安心致しました。ごめんなさい、その、あまりいい食材ではなくて」

「いや。・・・兵舎の食事より余程豪華で美味しいですよ。マディ、私は世辞が得意でないので、思ったことしか言わない」

 少し困ったような顔でそんな事を言われ、私は我慢できず慌てて俯いた。やばい、顔が火を噴くかもしれない。無理無理、この顔で不器用ってあんた!私に萌え死ねとおっしゃるの!

 無理、今外面かぶれない、と真っ赤に俯いたままパンを咀嚼していたら、くすりと笑う気配があった。え、今何で笑われた私。

「おはよーございます隊長……。マディねーちゃん…頭痛い……」

「リール!」

「あぁ、おはようリールベイ」

 消え入りそうな甥の声に振り向くと、酷い顔色のリールがよろよろと入ってきていた。隊長に断って慌てて立ち上がり、しゃがみこんでしまったリールの背をさする。

「完全に二日酔いね。するのは頭痛だけ?吐き気はない?」

「ある…。何かすっごいぐらぐらしてる…気持ち悪い」

「うーん、見事に私と同じ体質ね」

 頭を抑えるリールに苦笑し、とりあえず私が二日酔いのときに一番効く薬を飲ませることにした。隊長独り占めの時間は終わりだ、そろそろ可愛いリールを回復させてやるとしよう。

「ほら、これ飲んで。あとお風呂入りなさい」

「お風呂?」

「うん。お風呂で汗流して水分取るの。そしたらアルコールが早く出て行くから」

「そうなんだ…あ、それでマディ姉ちゃんこないだずっとお風呂入ってたのか」

 もごもごと、それでもしっかしした声でリールが言い、私はぐ、と一瞬固まった。こないだというのはあれだ、一月前の私の失敗の時の事だ。ぼろぼろで帰宅してきたら、間の悪い事に遊びに来た甥っ子と鉢合わせしてしまったのだ。記憶に無いとは言え、情事の後に身内と顔を合わせるのは非常に気まずい。何をしたかは気付いては居ないようだけど、内心気が気じゃないので早く忘れて欲しい。

 というか、隊長の前でその話をするな。居た堪れない、色々と。

「そ、うだった、かしらねぇ?」

「そうだよ。俺が入隊したお祝いをしてたんでしょ。あちこち虫さされみたいなの作ってさ、ピアスなくしたよ頭痛いよーってお風呂で」

「リリリリ、リールベイ!」

 うわあああ、と心で絶叫しながら言葉を遮り、私はもうとっととコイツを風呂場へ放り込もうと立ち上がった。その時後ろでがちゃん、と音がした。

「……甥の入隊祝い、ピアス……一月前?」

 振り向いたテーブルで、隊長が立ち上がって私を凝視していた。え、何だろうこれ。何で私こんな凝視されてるんだろう。穴空きそうなんだけど。

「た、隊長?」

「リールベイ、それは間違いなく一月前の……いや、」

 一旦リールに向いていた目が、ヘビを前にした蛙みたいに固まっている私に向いた。湖畔のような蒼い瞳。煌く金髪。―――ん、金髪?

 は、と一つの可能性が頭に浮かんだ。私を凝視していた隊長の顔が、だんだんと確信に満ちたものになり、そして何ともいえない、それはもう蕩けそうなほどの喜びに満ちた甘い甘い笑みを浮かべた。


「―――無くしたピアスはこれか、マディ?ベットの中に忘れていたぞ」


 ポケットから出された二つのピアスに、マジかよ、と呟いたのは私でなくリールベイだったけど、どちらにしろ同じ事を思ってたからどっちが言ったかなんてどうでもいいよね。うん。



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