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メッセージ  作者: けせらせら
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中川響子 4-9

 炎が唸りをあげ、黒い煙が渦を巻く。

 地下室に置かれていた灯油に引火し、部屋は一気に炎に包まれていた。

 鉄のドアは熱で変形し歪んでいるのが離れていてもわかる。この状態では助けを期待することなど出来ないだろう。

(このままここで死んでいくんだ)

 香織は半ば死を覚悟していた。ほんのあと数分で煙は香織たちを包み、意識を奪い去っていくだろう。

(あとわずかの命)

 香織は静かにその炎をじっと眺めた。

 中川響子は意識を失いぐったりとしている。その身体を抱きしめながら香織はその炎を見つめていた。

(この人だけでも助けてあげたかった)

 不思議と気持ちは落ち着いていた。

(あの時と同じ……)

 15年前のあの夜もこうやって炎のなかで蹲っていた。

 燃え盛る炎に行く手を塞がれ、あとは自らの命もこのなかに燃えていくのかと、ただぼんやりと『死』を感じ取っていた。

(死……)

 そのことに恐怖は感じない。

 人はいずれ、遅かれ早かれ死を迎える。そのことはあの時からずっと理解してきた。

――でも、君はまだ死んじゃいけないよ。

 そう……そう言ってあの人が私を引き上げてくれた。

(引き上げる……どこから?)

 黒い闇の中。落ちていく意識。

 あれは……

 隠されていた記憶、忘れなければいけなかった記憶についに光が当たる。

(ああ……そうだ)

「思い出したのね」

 目の前にあの少女が立っている。

「ええ……私はずっと不思議だった。あなたがどうしてそんな幼い姿なのか。あなたはあの時の私なのね」

「そうよ。私はあなた自身。でも、あなたと私とは違ってる」

「そうね……私はあなたじゃない。ずっと見守っていてくれたのね。ありがとう」

 その言葉に少女は小さく微笑んだ。

「それじゃ私はもう必要ないわね」

「いってしまうの?」

 少女は小さく首を振った。

「私はあなたの中にいるわ」

 少女の身体が透き通っていく。「またね」

(またね……)

 でも、自分の命は間もなく尽きようとしている。

 ドンという音がドアの向こうから聞こえ、香織ははっとしてそれを見つめた。

 地下室のドアがバリっという音を立て大きな凹みを作った。そして、次の瞬間、ガンという金属音が響き渡り鉄のドアが吹き飛んだ。

「香織さん!」

 浅川だった。とても開くことなど不可能と思えた鉄のドアが蝶番の部分ごとねじり取られ床に倒れている。

「浅川さん!」

 思わず香織は叫んだ。

「良かった……無事だったんだね」

 浅川が香織を見つけてほっとした表情を見せて駆け寄ってきた。そして、香織が抱きしめている中川響子に気づいた。「その人は?」

「中川響子さんです。ここに誘拐されていました」

「まだ――」

「生きてます!」

 その温もりはまだはっきりと感じられる。

「よし、彼女をこっちへ」

 浅川が中川響子を抱き上げる。

「浅川さん――」

「どうした?」

「私……思い出したんです」

「え?」

「あの時、私……一度死んでいました」

 その告白に浅川は息を飲んだ。

「どうして……」

「あの時、煙に撒かれて私は一度死んだんです。そこをあの男の人に助けられた。今の浅川さんみたいに飛び込んできてくれた……あの時、家に火をつけたのはその男です。私は今日、その男に復讐するために『死』を感じ取る力を神様から与えられたんです」

「香織さん……」

「そして、全て終わりました……もう……私は……」

 香織はそう言うとうっすらと微笑んだ。そして、そのままバタリと床の上に倒れた。

「香織さん――」

 急いで中川響子の身体をその場に下ろし、香織の身体を抱き起こすとその首筋に指を当てると脈を確認した。

(大丈夫だ。まだ間に合う)

 このまま連れ出せは決して二人とも死ぬことはないだろう。

(神様か……)

 浅川はその香織の顔を見てため息をついた。

(あれは神様なんかじゃないよ……僕の兄なんだ)

 そのことは香織の母の千賀子から話を聞いた時から予想していた。

 その時だった。

「おまえ……誰だ……」

 振り返ると、いつの間にか大柄な身体の男がドアを塞ぐように立っている。顔は焼け爛れ、裂けた服から血が滲み出ている。ギョロリと視線が浅川に向けられている。

「橋口義男か」

「誰なんだ? ……僕の宝物を奪うつもりなのか?」

「橋口……もう終わりにするんだ」

 浅川はそっと呟くように言った。だが、その言葉が橋口に伝わっていないのは明確だった。

「誰だ……僕の家に……勝手に」

 橋口は興奮した様子で、その黒く焼かれた右手をぬっと浅川に向かって伸ばす。

「君を自由にしてあげよう」

 炎は激しさを増している。このままムダに時間を過ごすわけにはいかなかった。浅川の左手がそっと右手の包帯にかかる。

「誰も逃がさない……誰も……」

 ブツブツと呟くようにさらに浅川のほうへ手を伸ばす。

 そんな橋口を、浅川は冷静に見つめながら――

「この炎に消えるがいい」

 右手の包帯がするりと解け、右手手首が露になる。タトゥーのような濃い痣。梵字のようにも見えるその痣が妖しく光り、その手のなかで蠢く。浅川はその右手をまっすぐに橋口に向けた。その右手から無数の半透明の物体が渦を巻くように広がり、青白い光が橋口を取り囲む。

「な……なんだ……」

 橋口が喉元を押え、がくりと膝をつく。「苦しい……苦しい……お嬢様……助けて……」

 青白い光が橋口の周りを飛び回る。

 少しずつ、橋口の身体から血の気が消えていく。

「おおおおぉぉぉぉぉ」

 その声とともに橋口の身体は力を失い、前のめりにその場に倒れた。

 男を取り囲む青白い光が浅川の右腕に戻ってくると、浅川は再び包帯を右腕にしっかりと巻きつけた。

(この男も一人の被害者なのかもしれない)

 燃える炎のなか、浅川はそっとその男の死に顔を見つめた。


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