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メッセージ  作者: けせらせら
36/39

中川響子 4-8

 大柄な男がドアのところに立っている。

 病的に見えるほどその肌は白く、その目は虚ろに香織たちを眺めている。汚れた白衣を纏い、まるでどこかの研究員のような印象を受ける。

(この男が……)

 香織は息を飲んでその男の姿を見つめた。

「君は誰?」

 香織をじっと見つめたまま男が口を開いた。その声は想像していた以上に柔らかだった。だが、むしろその柔らかな口調がなおさら恐怖を煽る。

「あなたは……?」

 男から得体のしれない怖さを感じる。それでも、自分でも不思議なほど焦りはなかった。男の動きを監察し、そして中川響子をどうやって助ければいいかを考えた。

 男の動きに注意しながら、裸電球に照らされた部屋を見回す。冷たく無機質なコンクリートの壁。部屋の隅に置かれたベッド。ベッドの白いシーツにはどす黒い染みがベットリとつけられている。

 この地下室でいったい何人殺されたのだろう。

(この人を助けなきゃ)

 震える中川響子を見つめそう思う。

 すぐ傍に血に濡れたメスが落ちていることに香織は気づいた。

「ねえ、ここで何してるの?……その子は僕のものだよ」

 そう言って男はゆっくりとした動きで近づいてくる。

「来ないで!」

 香織の声に男はピタリと足を止めた。

「どうしてそんな怒ったような声を出すの?」

「来ないで!」

 もう一度香織は叫んだ。そして、手を伸ばすと落ちていたメスを拾い上げ、すかさず男に向ける。

「何するんだ?」

 男の顔に怒りの表情が浮かぶ。

「この人を助けるのよ」

 香織はメスを中川の腕を結ぶ紐に押し当てた。

「やめろーーー!」

 男が声をあげ飛び掛ってくる。

 ブツリと紐が切れた瞬間、男の指が香織の喉元に絡みついた。そのまま壁に叩きつけられ、その衝撃でメスが手から転げ落ちる。

「やめ……て……」

「これは僕のものだ! 彼女が自分の代わりにって……僕のためにって……」

「いや……」

 香織は男の腕に手をかけ、必死に逃れようとした。だが、男の力は想像以上に強く、その指はグイグイと喉元を締め上げてくる。

「ちきしょう……ちきしょう……ちきしょう」

 男は狂ったように香織の喉に力を加えたまま揺さぶった。その声に香織はふと、15年前のことを思い出した。

――僕は悪くない……みんな消えてしまえばいいんだ。

(あの時の……)

 記憶が蘇ってくる。

 あの時、キッチンに蹲りマッチに火をつけていた少年。それはまさしくこの男だ。

「やめてぇーーー!」

 あらん限りの力を込めて香織は叫んだ。

 次の瞬間――

「ぐぁ……」

 男の身体が崩れ、香織の首から指が解かれる。はっとして見上げると、中川響子がパイプ椅子を持って震えているのが見えた。

「……響子さん」

 香織は急いで立ち上がろうとした。だが、それよりも早く男が動いた。

「きさま!」

 男は椅子を持った中川響子に襲い掛かった。

「いやぁ」

 響子が必死になって椅子を振り回す。その椅子が裸電球に当たり砕け散り、地下室は再び暗闇に包まれた。

「助けてぇ!」

 悲鳴のような響子の声が聞こえてくる。響子の上に男が馬乗りになっている黒い影が見える。

「その頭を叩き潰してあげるよ」

 男がゆらりと立ち上がり、足元に押していた角材を振り上げる。

(いけない……)

 香織の力で男に適うはずはない。それでも考えるより先に身体が動いた。香織は男に

体当たりした。

 ガッシャーン……

 その音とともに男の身体が部屋の隅に転がる。

「なぜだ……なぜみんな僕から逃げようとするんだ……」

 男が泣いている。

 まるで子供のように涙を流し、そして、香織たちを振り返り立ち上がった。

「来ないで……」

「なぜだ……なぜ……」

 ゆっくりと近づいてくる。

 その瞬間――

 突然、男の背後に置かれた棚からドンという大きな爆音とともにパッと真っ赤な炎が燃え上がった。炎はその傍に置かれた灯油に引火したちまち大きな炎をあげる。

「うぁぁぁぁぁぁぁ!」

 男の身体に火は移り、その男の身体がみるみるうちに炎に包まれていく。


   *   *   *


「燃えてる!」

 思わず浅川が声をあげた。

 旭ヶ丘駅の角を曲がった瞬間、そのとおりの向こう側に炎が燃え上がっているのが見えた。

「橋口の家の方だな」

 炎の方向を睨みつけながらハンドルを握る倉田が言った。

(何があったんだ……彼女は無事なのか?)

 浅川の胸のなかで不安がますます大きくなっていく。

 倉田はハザードを出して、交差点の手前に車を止めた。すぐにドアを開けて浅川が飛び出す。

「おい、待て!」

 倉田の言葉も聞かずに浅川は走り出した。

 あの炎のなかに――

(彼女がいる!)

 浅川はそのことをはっきりと確信していた。

 ちょうど消防車がやってきて、消火活動を始めようとしている。近隣の住人たちがバケツリレーで少しでも炎が燃え広がらないように勤めている。

『橋口整形外科』

 その看板が炎に溶けている。

「浅川!」

 近づいていく浅川に倉田が背後から肩を掴んだ。

「おそらく彼女はこの中に――」

「寄せ! ここは消防署に任せるしかない」

 それが一番正しいことだということは浅川にもわかっている。それでもただ、じっと待っているわけにはいかなかった。

「貸してください」

 バケツリレーをしているパジャマ姿の若者から水の入ったバケツを奪い取ると、浅川は頭からその水を被った。

「浅川!」

 倉田の腕を振り解いて駆け出す。

 炎のなかに突っ込みながら浅川は頭の隅で考えていた。

(これは運命なのかもしれない)


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