中川響子 4-5
倉田から連絡が入ったのは翌日の昼を過ぎてからだった。
「わかったんですか?」
浅川はてっきり倉田が丸山の言った『幼馴染』のことを突き止めたのだと思った。だが、倉田の答えは違っていた。
――それなら今調べてる最中だ。
車のなかから携帯電話でかけているらしく、その音声は途切れがちだ。
「ずいぶん時間がかかるんですね。てっきりもっと早く調べがつくものだと思ってました」
――ああ、俺もそのつもりだった。ところが調べてみてもそんな人物が浮かび上がってこない。それよりもまた犯人から指が送られてきた。
「誰のものかわかったんですか?」
――鑑定の結果、中川響子のものと判定した。
「中川響子……それじゃ安住桜の件は――」
――あれは事件とは無関係の行方不明として捜査される。もちろん安住桜の家族が正式に届ければの話だ。届けがない状態では警察は動けない。
そういえば早苗は警察に届けを出しに行ったが、警察官の態度に怒ってそのまま帰って来たと言っていた。
「けど、僕も安住桜がこの事件に巻き込まれたんじゃないかって気がするんですけどね」
――何か根拠があるのか?
「ただの勘ですよ」
――勘? おまえらしくないな。
「柳田さんみたいなこと言わないでください」
――いずれにしても、今は3人目の被害者となった中川響子の身辺を捜査している。それと送られてきた指の爪の間から別の人間の皮膚組織が検出された。犯人のものである可能性が高い。今回は目撃者もいることだし、これまでの二人の時よりも情報が多い。あとで中川響子に関してわかったことを教えてやる
そう早口で言うと電話は切れた。
* * *
炎。
それがあの夜について、何よりも大きな記憶だ。
あの時のことは、これまでほとんど思い出そうとしたことなどなかった。思い出そうとするとあの炎が頭のなかに蘇り、全身に恐怖が走り動けなくなる。いつしかあの時の事を思い出してはいけないと本能的にストッパーが働くようになっていた。
頭いっぱいに広がる炎の記憶。
だが、それ以外にも何か見ているような気がする。助けに来た若者ではない、もう一人の存在。その存在こそが今まで記憶を封じていた何よりの理由だったのではないだろうか。
逃げてはいけない。全てを今、思い出さなければいけないような気がする。
そう――
(私は放火した人の顔を見ている)
香織はぼんやりと考えていた。
(なぜ、こんな大切なことを忘れていたんだろう)
いや、もっと大切な何かをまだ忘れている気がする。
(なんだろう……)
あの夜、一度目を覚まして、1階に降りていった時、居間にいたその男の姿をうっすらと思い出しかけている。
――誰?
あの夜、キッチンで背を向けている男に声をかけた。びくりと身体を震わせて振り返る男の顔。
中学生くらいの少年の顔。
どこかで見た。
そうだ……近所で見たことのある顔だ。
笑い声。
炎を眺め、狂ったように笑うあの声。思い出しただけでも、その狂気が身体の芯を突き抜ける。
(誰だったろう)
目を閉じて、思い出そうとする。
その瞬間、背筋を冷たいものが走った。全身に鳥肌がたつようなこの感覚。
はっとして目を開ける。そこはすでに自分の部屋ではなくなっていた。
(まただ……)
ぎゅっと拳を握り締める。
ひんやりとした感触が全身を包む。
暗い地下室のなかに血の匂いが漂っている。
その部屋の隅に一人の女性が壁に凭れて倒れている。下着姿で両腕は後ろ手に縛られている。
(誰なの……?)
そっと香織は近づいていく。
女は生きているのか、死んでいるのかもわからない。ただぐったりと壁に凭れ、項垂れたまま動かない。
(大丈夫なの?)
そっと手を伸ばす。その自分の手が透けて見える。まるで魂だけが自分の身体を抜け出てここにやってきたようだ。
ふいに女が頭を動かした。
「うぅ……」
どうやら眠っているようだ。目の周りが殴られたように紫に腫れあがっている。
ふと窓から部屋の奥から外の光が漏れてくる。
(月の光……)
香織はそっとその窓に近づいていく。
地下室の一部が地上に出ているらしく、窓はわずかな大きさしかない。ちょうど壁に押し付けるように置かれていた木製の机に乗っかり、香織は窓の外を眺めた。
だが、そこから見えるのはコンクリートの壁だけで、ここがどこか判断できるようなものは何も見えない。
(もし、ここから出ることが出きれば)
そう思った時だった。
ふわりと香織の身体が浮いた。
(そうか……)
今、自分の身体は物理的な肉体を持っていない。ただの魂の状態だ。それならここを通り抜けることも出きるかもしれない。
そっと右手を差し出すと、香織の手がすぅっと壁に吸い込まれていく。
香織はごくりと唾を飲み込むと、一気にそのコンクリートの壁に向かって身体を突き出した。
次の瞬間、目の前に明るい月が大きく見えた。魂の状態でそのまま外に飛び出したのだ。
香織はそのまま周囲を見回した。
暗い路面が見える。そして、その向かい側にコンビニとパン屋が並んで見える。
その景色にはっとした。
(ここは……)
いつも見慣れた景色がそこにあった。
家を出て旭ヶ丘駅に向かう一本道。目の前に見えるこの景色は、その大通りに出たところだ。
そこには――
(確か整形外科が……)
いつもカーテンが閉まっていて、開業しているのかどうかすらわからないところ。確か8年近く前に開業して、若い医者がやっているという噂を聞いたことがある。だが、ここ数年の間、まともに営業しているのを見たことがない。いつもその玄関にはブラインドがかけられ、門は固く閉ざされている。とっくに人も住んでいないものだと思い込んでいた。
(まさか……)
ぞくりと身体が震える。




