中川響子 4-3
安住桜の手帳のなかに最も多く登場するのが板倉真奈美という名前だった。
手帳を読むことで、桜と真奈美の二人が高校時代からの同級生であることがわかった。真奈美は八幡にある病院で医療事務をしているらしい。
浅川は病院の前で真奈美に電話した。最初は驚いていたようだが、安住早苗から頼まれたというと、すぐに会うことを了承してくれた。
浅川と美鈴は近所の駐車場に車を停めると、病院の前にある小さな喫茶店で待つことにした。美鈴は浅川から板倉真奈美のことを聞き、浅川の反対を押し切りついて来ていた。
二人は店に入ると奥の窓際の席へと腰を降ろした。
店内には絵がいくつも飾られ、心地よいジャズの音色が流れモダンな雰囲気が漂っている。やってきたウェイトレスにコーヒーと紅茶を頼むと、若いウェイトレスはなぜか不思議そうな顔で浅川を見た。
腕時計で時間を確認しながら浅川は窓から正面に見える病院を眺めた。すでに約束の午前10時になろうとしている。
「お兄ちゃんは桜さんが3人目の被害者だと考えてるの?」
美鈴が紅茶を飲みながら訊いた。
「わからない。倉田さんは安住桜が失踪したのは事件とは無関係だと考えているみたいだけどね」
「でもその人が事件の被害者だとすると、どうして掲示板への書き込みはなかったのかしら?」
「それが不思議なんだ……いや、不思議なのはもっといろいろある。犯人の行動はすべて矛盾しているように感じるんだ」
「矛盾? でも、犯人が精神異常者だとすれば、少しくらいの矛盾はむしろ当たり前なんじゃないの?」
「うん、でもね、僕はこの矛盾にどこか意図的なものを感じるんだ」
二人が話していると喫茶店のドアが開き、濃紺の制服を着た女性が姿を現した。女性は喫茶店を見回し、ちらりと浅川のほうに視線を向けた。おそらく彼女が板倉真奈美だろう。
浅川が立ち上がると、板倉真奈美はゆっくりと近づいてきた。
「板倉さんですか?」
「はい……あの、桜のことでお話というのは?」
真奈美はわずかに警戒したような表情で浅川たちを見た。
「とりあえず座ってください」
浅川は真奈美に言った。ウェイトレスにコーヒーを注文し、真奈美が浅川の正面に座る。美鈴は浅川の隣に移動した。
「桜の妹さんの先生って言いましたよね」
真奈美はそう言って浅川の顔を見た。
「ええ、つい先日までね」
「つい先日というと?」
「この前、教師を辞めたもので正式には早苗さんの『元担任』なんです。ただ、今回彼女から連絡が取れなくなったお姉さんのことを捜してくれって頼まれましてね。それで彼女から桜さんの手帳を預かったんです。それであなたのことを――」
「そうですか……連絡取れないっていうのは? 何かあったんですか?」
「それを調べてるんですよ。妹の早苗さんは何かあったんじゃないかと心配しているんです」
「何かって……事件とか? まさかぁ」
真奈美はそんなバカな事があるわけないと言ったような表情をした。連絡が取れないと聞いても心配しているような様子はまったく見えない。
「桜さんとは仲が良かったんですか?」
「ええ、高校でクラスが同じだったもので、あの頃はいつも一緒に遊んでましたね。ただ、最近はお互い時間が合わなかったりで、会うことはほとんどなくなってました」
「最近、会ったのはいつです?」
「確か2ヶ月くらい前に……ちょうどこの店で会いました」
「それじゃ仕事中に?」
「ええ。急に電話がかかってきたんで、昼休みに抜け出してきたんです」
「たまに訪ねてくることもあったわけですか?」
「いえ、初めてですよ。あの時は彼氏と別れた直後だったみたいでぇ。それで話がしたくなったって言ってました。桜、本当は介護士を目指していたんです。それなのに――」
そう言った時、ウェイトレスがコーヒーを運んできて、真奈美は一旦言葉を切った。
「香田隆文さんのことですね。彼とは会ったことありますか?」
「いいえ」
真奈美はコーヒーに砂糖をいれながら、小さく首を振った。「でも、桜から話は聞いてました。桜はすごく好きだったみたいだけど、話を聞けば聞くほど、なんか桜が遊ばれてるような気がして私も心配だったんです」
昨日の香田隆文のことを思い出す。香田隆文にとって安住桜は遊びではなかったのかもしれない。それでも自分の夢の犠牲にしたことは間違いないだろう。
「その後、連絡は?」
「メールとかはたまにしていましたよ」
「どんな話を?」
「特別なことは何も……ただの雑談ですよ。でも、ここ数日は全然」
「何か変った様子はなかったですか?」
「いえ……別に……最近はメル友も出来たって言って、むしろ、前よりも明るくなってましたよ」
「メル友?」
「ええ、インターネットで知り合ったって言ってました。名前は忘れちゃったけど……」
「ひょっとして『カスミ』って人?」
「ああ……そうだったかも」
その名前ならば手帳にも数回出ているのを確認している。インターネットで知り合ったのだとすれば、部屋に残されたパソコンで何かわかるかもしれない。
「連絡が取れなくなって心配じゃありませんでしたか?」
「え、ええ……そりゃ気にはなってましたけど……でも、ほんの数日メールが来なくなっただけなので気にしていませんでした。それに桜はよく『どっか行きたい』っていうのが口癖だったから」
倉田が調べてくれたとおりだ。
「それで本当にどこかへ行ってしまったと思ったんですか? 彼女と一番連絡を取り合っていたのはあなたですよね」
「でも何か気分が落ち込んだ時とかに数日連絡をとらなくなることなんてよくあることだし、桜の場合は前に大学を辞めた時も私は何にも話してくれなかったんです。あの時も一ヶ月くらい全然連絡はなかったし……今度もまたあの時と同じなのかと……」
非難されたと感じたのか、真奈美は少し不愉快そうな表情をした。真奈美の言うことももっともだ。よほど身近な存在でなければ、少しくらい連絡が取れなくなったところで大騒ぎすることはない。もし、本当に行方不明になっていたとしても、妹の早苗が騒がなければ当分は誰も気づかないままだろう。
「彼女はどこへ行ったんだと思いますか?」
「さあ……高校の同級生で東京へ行ってる人もいるけど……でも、あんまり連絡とってるって話も聞いてないから……」
「他に仲のいい友達とかいませんでしたか?」
「さあ……人当たりは良い方だったけど、あんまり親友って存在は少なかったかもしれませんね。昔から広く浅く付き合うような感じだったから」
「あなたは親友なんでしょ?」
「え?……ええ……でも、私だって高校卒業してからはそんなに頻繁に会っていませんでしたよ。それに彼女って昔から誰か男の人を好きになると、カレシしか見えなくなるタイプだったから。ま、女の子ってみんなそういうとこありますけどね」
「彼女から他の人の話を聞いたことはなかったですか? 職場の友達とかは?」
真奈美は首を振った。
「いえ、あの子、仕事のことはあまり話そうとしなかったから。でも、桜にも今の生活や友達がいると思うし、たぶんそういう人に聞いてもらったほうがいいんじゃないですか? 私も昔の友達に訊いてみますよ。何かわかったら連絡します」
浅川は、その真奈美の言葉に桜を昔の友達としか見ていないように感じを受けた。きっと、真奈美は真剣に桜を探したりはしないだろう。そして真奈美から連絡がくることはないだろう。
美鈴も同じように感じたようだった。
「友情って時間とともに消えていくものなのかな」
隣に座った美鈴が寂しそうにポツリと呟いた。その声が聞こえなかったのか、真奈美は何も言わずにコーヒーに口をつけた。




