安住桜 3-7
香織を車で家まで送り届け、帰ってくるとちょうど美鈴がやってきていた。浅川が教師を辞めてからは以前よりも訪ねてくる頻度も増えている。
「どこ行ってたの?」
まるで恋人の行動をチェックするように美鈴は訊いた。美鈴ほど可愛ければきっとモテるほうだと思うが、未だに恋人がいるという話は聞いたことがない。
「香織さんを送ってきた」
「来てたの?」
「昨夜、また新たなヴィジョンを見たらしいんだ」
「もしかして――」
と、美鈴はテレビを指差した。ちょうど夕方のワイドショーで今朝のバラバラ死体発見のニュースをやっているところだった。
――さきほど宮城県警の発表によると被害者は藤枝美月さん、22歳。白英女学院の4年生。成績が優秀で、明るく皆に慕われる人柄だったそうです。つい先日も門脇妙子さん、22歳が同じようにバラバラ死体で発見されています。警察では同一犯である可能性も視野にいれて二つの事件の関連性を捜査しています。
若いニュースキャスターが説明している。
どうやら、警察では鑑定の結果、今朝発見された遺体を正式に藤枝美月のものと断定したらしい。
「どうして藤枝先輩が……」
美鈴は唇を噛んだ。
「おまえ、彼女とは親しかったのか?」
「ううん。親しいってほどじゃないわ。藤枝先輩のことを知らない人なんて誰もいなかった。それはお兄ちゃんだって知ってるでしょ? みんなの憧れの的だった。優しくて、それに行動力があった。生まれながらにしてのお姫様って感じがしたわね」
「生まれながらにしてのお姫様か……」
美鈴の言うとおりかもしれない。クラスのなかでも藤枝美月はいつも浮いた存在だった記憶がある。
「成金的なお嬢様と違って、内側から溢れてくる何かが藤枝先輩にはあったような気がする。だから、みんな藤枝先輩の言葉に従うのかもしれない。たぶん藤枝先輩のためならどんなことでもするっていう男の子も多かったはずよ」
「どんなことでも? 人殺しも?」
確かに高校の時にも男子生徒からは人気があった。
「まさか……でも、内心そこまで思い込んでいた子もいたかもね」
「まるで集団催眠みたいだな」
「そうね、それに近いものがあるかもしれない」
「付き合っている男はいなかったのかな?」
「うん、高嶺の花だったみたいよ。好きでも絶対に手が出せないって感じかしら。あ……でも、一度だけ年上の男の人と付き合ってるんじゃないかって噂が出たことがあったわよ。一番町の通りを男の人と歩いているのを見た人いるって訊いたことがある。ただ、恋人っていうよりもお付きの人って感じでおどおどした感じで先輩の後ろを歩いてたっていう話だった。ひょっとしたら本当にお父さんの部下の人だったのかもしれない」
「それじゃ恋愛対象にはならないか……」
「噂で聞いたんだけど、お母さんは先輩が子供の頃に離婚してそれ以来一度も会ってないんですって。こういうことは担任だったお兄ちゃんのほうが詳しいんじゃないの?」
「ああ……そういや、父親の監視の目が厳しくて、母親に会うことも出来ないと言っていたことがあったな」
「なんかそういうのも可哀想よね」
「籠の鳥か……」
浅川はじっと事件の報道を見つめていた。
* * *
深夜のニュース番組に映る藤枝宗一郎の顔を浅川はじっと観察した。
――娘を殺した犯人を私は絶対許せない! どんなことをしても捕まえ、極刑にすべきだ!
その怒りの表情は娘を失った父親の気持ちをはっきりと映し出している。
「娘が死んでるっていうのにタフな男だ」
ソファに凭れてタバコを吸う倉田が呟いた。
「そういう人ですから」
浅川には藤枝宗一郎の怒りの表情がただの政治家としてのパフォーマンスのように見えて仕方がない。今やこの連続殺人事件は全国的な感心を集めている。連日のように東京からもマスコミが押し寄せている。藤枝宗一郎は半年後に行われる県知事選への出馬が噂されている。もし、本当に出馬することになれば、娘の遺影でも胸に飾りながら選挙戦を戦うつもりだろう。単なる邪推なのかもしれないが、その藤川宗一郎の態度は娘の死を利用して知名度を上げようとしているように感じられて仕方が無い。
今、テレビに映っている藤枝からは父親としての顔よりも、政治家としての顔のほうが強く感じ取れる。
「そうか。おまえは藤枝美月の担任だったな。藤枝宗一郎とも会ったことはあるのか?」
「ええ……何度か顔をあわせたことがありますが、娘のことよりも自分のことを第一に考えているような人でしたね。この会見だって娘の死を利用して自分の名前を売り込もうとしているように見える」
浅川は不機嫌そうにリモコンをテレビに向けスイッチを切った。
「それでも一応は娘のことを愛していたようだ。娘には始終監視の目を光らせ、来年の春には娘を自分の会社の秘書課に就職させることを決めていたようだ」
「今の時代にそんな愛され方を好むような子供はいませんよ」
頭の後ろで手を組みながら浅川は言った。
「そうだろうな。彼女が自殺未遂を起こしたのも、おそらくはそれが原因だったんじゃないか。高校の時はどうだったんだ?」
「そうですね……自殺を図るようには見えませんでした」
藤枝美月は父親に良く似た強い性格の持ち主だった。
「実際、教師といっても子供の心のなかまで見透すのは難しいか。顔では笑っていても、心のなかでは悩んでいたのかもしれないぞ」
「ええ。教師なんて生徒の気持ちの半分も理解出来ていないでしょうね。でもね、彼女は自殺しようとしたことを本気で悔やんでいました。中学の時はどうだかわかりませんが、高校の頃の藤枝美月は、自殺するくらいならむしろ他人を殺すほうを選ぶかもしれません」
「すごい表現だな」
「けど、そういう子だったような気がします」
浅川は腕を下ろすとコーヒーを一口飲んだ。
「中学を卒業するまでは自由に家を出る事も出来なかったそうだ。彼女の部屋を見せてもらったが、部屋には何台もパソコンが置かれていた」
「パソコン?」
「パソコンにはハッキングツールまでインストールされていて、どうやらそういう面じゃプロ並だったらしいな。知らなかったのか?」
「ええ。高校には家庭訪問なんてありませんでしたからね。ハッキングツールですか……それじゃ彼女ならインターネット上で知り合った人間を特定することも可能だったのかもしれませんね」
やはりインターネット上で門脇妙子と言い争っていたのは藤枝美月ではないだろうか。そして、彼女ならば相手の門脇妙子を特定することが出来る。ひょっとしたら、二人はどこかで出会っていた可能性もある。
「ん? さあ……そこまではわからんが……どうかしたのか?」
「いえ。そういうことに女性が興味を持つのは珍しいと思って」
今はまだ倉田に告げることではないだろう。浅川は門脇妙子が自らのホームページ上で藤枝美月と知り合った可能性があることを話すのを止めた。
「まあ、ずっと家に閉じ込められていればそういう趣味に走るのも仕方ないか。死んでやっと父親から解放されたわけだ……父親のことを憎んでいたのかな?」
「いえ。愛していたと思いますよ」
「そうなのか?」
驚いたように倉田は浅川を見た。
「その点は僕も不思議ですけどね。彼女は父親のことを誰よりも愛していましたよ」
――昔は父を恨んだこともありました。でもね、私の身体のなかには間違いなく父の血が流れているって最近思うようになったんです。きっと私って父に似てるんだと思う。
そう言って複雑な笑顔を見せた美月のことを浅川は忘れられない。
「ふぅん……親子ってのはわからんもんだな」
「まったくです」
「実はな、俺は藤枝宗一郎の気持ちも少しわかるんだ」
紫煙を口から吐き出しながら倉田が呟くように言った。「俺にも娘がいるからな。俺の知らないところで危ないことにでも巻き込まれないかと不安になる」
「倉田さんの娘さんは、確か……まだ2歳でしたよね」
「何歳だろうと関係ない。父親ってのはそういうものだ」
倉田の意外な一面を見たような気がして、浅川はわずかに愉快になった。
「倉田さんも娘さんを監視しますか?」
「出来るもんならそうしたいね。嫁になんぞやらず、一生、俺の傍に置いておきたいって思うことがあるよ。絶えず監視の目を光らせ、誰とどこで何をしたか、逐一知りたいもんだ。もちろん、そんなことが出来るはずもないこともわかってるがね。俺と藤枝宗一郎の違いは、実際にそれがやれるかどうかの違いかもしれないな」
「倉田さんは藤枝宗一郎とは違いますよ。娘さんを自分の地位のために利用しようとはしないでしょう?」
「当たり前だ。俺が言っているのは娘を手元に置いておきたいっていう父親の心理だよ」
「気をつけたほうがいいですよ。娘さんが大人になってそれを言ったら嫌われます」
「わかってるさ」
タバコをテーブルの上に置かれた灰皿でもみ消しながら倉田は言った。
「捜査は進んでいるんですか?」
「なかなか難しい」
倉田はソファの上であぐらを組んだ。「証拠らしい証拠がほとんどない。どこで殺され、凶器は何なのか……まったくもってこういう事件は苦手だよ」
「ところで安住桜のほうはどうなりました?」
その問いかけに、倉田は苦笑いして首を振った。
「あれは今回の事件とは関係ないんじゃないのか? 一応、彼女の仕事先や友人のところへ話を訊きに行ってみたが、皆、彼女が姿を消したことに驚く者はいなかった。なんでももう何週間も前から『どこか行ってしまいたい』ってのが口癖だったらしい」
「ただの家出ということですか?」
「そういうことだ」
倉田の言葉に浅川はどこか納得出来なかった。安住早苗の真剣な表情、あれは心から姉を心配していたものだ。家族だからこそ感じるものというのはあるのではないだろうか。それにたった一人の姉妹である早苗に何も告げず、着の身着のままの状態でどこかへ行ってしまうことなど有り得るだろうか。
「丸山修はどうなりました? 門脇妙子と藤枝美月を繋ぐ唯一の線でしょう?」
「確かに唯一の線だが、あいつはシロだ。門脇妙子のときも、藤枝美月の時もアリバイはある。それに二人を殺す動機がない」
「藤枝美月との関係は? 本当にスキーのインストラクターというだけなんですか?」
「本人はそう言ってる」
倉田は含みを持たせた言い方をした。
「それって――」
「本人は認めていないが、一緒に行った藤枝美月の友達は、二人がその夜同じ部屋で過ごしたとこっそり教えてくれた」
「丸山はそれについて何て言ってるんです?」
「本人はただ相談に乗っていただけだと言ってるが、どんな相談だったんだか」
「その後、連絡を取り合ってたという可能性は?」
「いや、その後はまったく会わなかったそうだ。実際、藤枝美月の携帯電話の記録からは丸山修と連絡をした形跡は残っていない」
「そうですか……」
「おまえは丸山修が怪しいと睨んでたわけか?」
「いえ、そうじゃありません。ただ、二人との共通点が丸山修である限り、丸山修を挟んでその二人が知り合いであった可能性があるんじゃないかと思ったんです」
「ひょっとしたら藤枝美月は門脇妙子のことを知っていたかもしれないな。だが、丸山と藤枝美月の関係を考えたら、丸山が門脇妙子に藤枝美月のことを話すということは考えられないだろう。そもそも丸山が門脇妙子と婚約したのは今年の1月、インストラクターとして藤枝美月に会う直前だそうだ。まったく婚約したばかりで他の女に手を出すってのはどういう頭をしてやがるんだか……最近の学生ってのはそこまで道徳感が薄れちまったのかね」
倉田はそう言いながら再びタバコを一本取り出した。
「ま、人それぞれだと思いますよ。美鈴なんていたってマジメなもんですよ」
浅川が言うと、倉田は突然表情を暗くした。
「……ところで浅川……おまえ、もうこの事件から手を引け」
「急にどうしたんです?」
「俺がおまえを無理やりこの事件に巻き込んだ。そいつは俺もわかってる。だが、おまえはやはり警察の関係者とは違う」
咥えたタバコに火をつけながら倉田は言った。
「そんなこと初めからわかってます」
「なら、もう詮索は止めて警察に任せろ。警察だってそんなバカじゃない。すぐに犯人を捕まえてみせる」
「いったいどうしちゃったんです?」
浅川には倉田がなぜ今になってそんなことを言い出すのかがわからなかった。
「おまえ、疲れてるんじゃないか?」
「いえ――」
「気晴らしに旅行でもしてくるのもいいもんだぞ。前から京都に行ってみたいと言ってたじゃないか。仕事も辞めて今ならちょうどいいだろ」
「事件のことなんて忘れてってことですか?」
「……そうだ」
倉田が何を心配しているのか浅川には理解出来なかった。
「お断りします」
「おい――」
眉間に皺をよせて浅川を見る。
「せっかくのお言葉ですが、僕はこの件から手を引くつもりはありませんよ。最後まで調べるつもりです」
「だがな――」
「大丈夫ですよ。倉田さんが何を心配してくれているのかはわかりませんが、危ないことには手を出しませんから」
浅川は軽く微笑んで見せた。




