安住桜 3-6
まだ全身がだるかった。
香織は旭ヶ丘駅のホームのベンチに座り、5分後にやってくる泉中央駅行きの電車を待っていた。
熱はないが、それでもやけに身体が重い。出来ることならばこのまま横になって眠ってしまいたい。
早く浅川に会って話をしたい、と思いつつも、昨夜見たヴィジョンの恐怖は心のなかまで染みこんでいる。一晩明けた今でも、恐怖に身体が震える。
バッグの中で携帯電話が鳴る音が聞こえ、香織は急いで電話に出た。
――浅川です。
浅川の柔らかな声が聞こえてくる。
わざわざ浅川のほうから電話してくるということはやはり何かあったのだ。香りは昨夜のヴィジョンがやはり現実のものになったのだということに少なからずショックを受けた。
「浅川さん……やっぱり何かあったんですね」
香織は電話に出るなり言った。
――やっぱりっていうのは――
その浅川の声もいつものように柔らかさを持っているが、それでもいくぶん緊張しているように感じる。
「昨夜……また見えたんです」
――君、今どこに?
「旭ヶ丘の駅にいます。今から浅川さんのところに行こうと思っていたところです」
――なぜもっと早く連絡をくれなかったの?
「この前のこともあることだし……あまり浅川さんに迷惑をかけちゃいけないと思って……」
前回、浅川に遺体が公園に捨てられるヴィジョンの話をしたために、浅川が第一発見者として警察に事情聴取を受けることになってしまった。もし、今朝の遺体までも浅川が見つけるようなことになれば、厄介なことになるに決まっている。
――そんなこと気にする必要は無いよ。
「それと……先日、浅川さん、家にいらしたんですね」
――うん。黙ってて申し訳なかった。一度、お母さんに話を聞かせてもらおうと思ってね。まずかったかな?
「いえ、そんなことありません。わざわざすいませんでした」
――君のお母さんから話を聞かせてもらって、君の力のことが少しわかったような気がするよ。
「そうですか……」
――……君は知っていたのか?
浅川は少し躊躇いがちに訊いた。浅川の訊きたいことはすぐにわかった。
「私が一度死んだことですか? 昨日、母に教えてもらいました。でも、別にショックというわけでもありません。原因がはっきりするならそのほうがいいですから」
――そう。
「それじゃ、またあとでお伺いします」
香織はそう言って電話を切った。
やはり浅川なら自分の話を全て信じてくれる。浅川が自分を救ってくれるような気がした。
アナウンスが聞こえ、電車がホームに滑り込んでくる。
* * *
訪ねて来た香織の少し青ざめた顔を見て、浅川はふと不安になった。
「大丈夫?」
浅川が声をかけると、香織はそっと口の両端をあげて微笑んで見せた。
「ええ」
だが、それは明らかな作り笑顔で、体調はかなり悪そうだった。少し足元がふらついているように見える。
「無理はしないでいいからね」
「はい……大丈夫です。それよりも何があったのか教えてもらえますか?」
香織はソファに座ると浅川に言った。
「ニュースは見てないの?」
「今朝はずっと具合が悪かったので――」
浅川は一瞬、香織の様子を見て、今朝の事件のことを話していいものかどうか迷ったが、どうせすぐにニュースで聞くことになるだろうと思い話すことにした。
「今朝、七北田川の川原で女性のバラバラ死体が発見されたんだ」
「……やっぱり」
香織はそれほど驚きもせず、そっと視線を落とした。
「まだ被害者の特定はされていないが、警察では行方不明になっている藤枝美月と見ているようです。遺体は何箇所も切断され、そのほとんどは灯油がかけられ、燃やされていたらしいですよ」
浅川の話を聞き、香織は沈痛な面持ちで口を開いた。
「きっと昨夜、殺された人です」
「見たの?」
「はい……見たというよりも私の意識がその人のなかに入り込んだみたいです」
「意識が?」
驚く浅川に香織は昨夜のことを全て話して聞かせた。
「午前1時10分……か……その時間が合っているとすれば、君は2時間前の被害者の意識をキャッチしたということだね」
話し終わった香織に浅川は声をかけた。
「ええ……」
「それにしても『儀式』か……男はそう言ったの?」
「はい」
「何のことだろう……まさかバラバラにして燃やすことなのかな……」
浅川は額に手をあてた。
「さあ、わかりません……でも、あれは本当に藤枝美月さんなんでしょうか……」
「どういうこと? 藤枝美月ではないってこと? 何かそう思う理由が?」
「いえ……そうじゃないんです。ただ……」
「何か気づいたことがあるなら言ってくれないかな」
「指が……」
ためらいがちに香織は言った。
「指?」
「一瞬、左腕が自由になった時、左手には指が全て揃っていたような気がするんです。藤枝さんは小指が切られていたんですよね。もちろん私が見たのが現実のものかどうかはわかりませんが……」
香織は自信なさそうに言った。
「ところで君の力のことだけど――」
と、浅川は話を切り替えた。「火事のときのことは憶えていない?」
「ええ……」
「君のお母さんの話では、当時、高校生くらいの若者が君を助けたということだけど……」
「はい」
香織は表情を変えなかった。どうやら、香織も母親からその件については全て話を聞いているようだ。
「僕はその若者に興味がある。君のまわりに思い当たる人物はいないかな?」
「いいえ、私も母からそのことを聞いて、思い当たる人がいるかどうかを考えてみました。でも、そんな人はまったく」
「……そう」
浅川は肩を落とした。せっかく見つけた細い糸がプツリと切れてしまったような感じがした。
「でも……一つだけ憶えてることがあります」
「何?」
最後の希望を込めて浅川は訊いた。
「放火した犯人……私……うっすらと憶えているんです」
「犯人? あれは事故じゃ……」
「ええ、風の強い日でしたから誰が道に捨てたタバコの火が運悪く家の軒下に入り込んだんだって言われました。でも、違います。あれは誰かが火をつけたんです」
「放火? 君の家を狙って?」
「私の家を狙ったのかどうかはわかりません。けれど、あの時、私は見たような気がするんです。あの炎を見つめて嬉しそうに笑っている誰かの姿を」
香織はぼんやりと遠くを見つめるような目で言った。




