藤枝美月 2-7
午前10時半。
浅川は県警近くにある喫茶店に倉田を呼び出していた。
広々とした空間に静かなクラシック音楽が流れ、こうばしいコーヒー豆の香りが漂っている。これまでにも何度か来たことのある店で、そのしっとりと濃いコーヒーは浅川の好みにピッタリだった。
店内には学生やサラリーマンの姿も見えた。
「医者だって?」
倉田は鋭い視線で聞き返した。一瞬、倉田は自分でその声の大きさに驚き、思わず喫茶店の中を振り返り、誰にも聞かれていないことを確認した。
「ええ、そうです」
浅川はコーヒーを一口飲んでから答えた。だが、いつもと違いコーヒーをゆっくりと味わう気分ではなかった。
「なぜだ? なぜ、そんなことが言える?」
今度は声を潜めて倉田は訊いた。
「それは言えません」
徳永香織のことは、倉田にも話すわけにはいかない。もし、それを話すことになれば香織を裏切ることになる。
「理由がなくてどうしてそんな答えが出てくるんだ? 俺が今までおまえに話した内容を振り返ってみても、医者と事件の結びつきなんて考えられんのだが……おまえ、どこかに情報元があるのか?」
「いえ、そうじゃありません。それよりも事件関係者に医者や病院関係者はいないんですか?」
倉田は困ったように短髪の頭を掻いた。
「関係者か……事件と直接関わるような人間には医者や病院関係者はいないな」
浅川も香織の見たもので直接、事件解決となるとは考えてはいなかったが、何らかの事件解決の糸口になるかもしれないと考えていただけに、わずかに失望感があった。
「……そうですか」
「ただ、藤枝宗一郎の後援者に病院関係者がいるかもしれん。少し調べてみよう」
「お願いします。そういえば、被害者の二人に共通点はないんですか?」
「ない……こともない」
「どういうことです?」
「門脇妙子の婚約者である丸山修が藤枝美月のことを知っていた……ただ、知っていたといっても今年の冬にバイトでスキーのインストラクターをやっていて、そこで2回ほど教えたことがあるらしい」
「門脇妙子と藤枝美月はお互い面識はあったんですか?」
「それはないだろう。丸山修も藤枝美月のことはほとんど憶えていないと言ってる」
「藤枝宗一郎のほうはどうです? 彼女の父親と知り合いってことは?」
「いや、それもないな。藤枝美月だけが被害者というのであれば、怨恨の線で考えることも出来るんだが、そうすると門脇妙子との接点が見つからない」
「藤枝宗一郎はかなり恨みをかってるんでしょうね」
「山ほどさ」
そう言って倉田はタバコを一本咥えると火をつけた。「ま、俺の親戚にも政治家の秘書をしている奴がいるが、そういう仕事をしていて他人から恨まれない奴はいないよ。特に藤枝宗一郎の場合、裏ではかなり汚いことをしていて同業者からもかなり嫌われている」
「杉浦先生のほうは?」
「あれはシロだ。昨日、会ってみたが人殺しどころか、猫の子一匹殺せるような男じゃない。あんな男がバラバラ殺人など出来やしないな。血を一滴見ただけで気絶するような男だ」
それは浅川も同感だった。
「何か彼女のことで知ってることは?」
「いや。高校を卒業して以来会っていないそうだ」
本当だろうか。浅川は杉浦が嘘をついているような気がした。
「そうですか……それじゃやはり鍵になるのは丸山修でしょうか……一度、丸山修に会ってみたいんですが――」
その言葉に倉田は驚きの表情を見せた。
「ずいぶん熱心になったもんだな」
「いけませんか?」
「いけないってことはないが……」
倉田が困るのも無理は無い。もともと浅川は事件とはまったくの部外者なのだ。運悪く(?)門脇妙子の遺体の第一発見者にはなってしまったが、それでも警察と一緒に捜査する権限などありはしない。
「やはり無理でしょうね」
「ああ……そのかわり何か聞きたいことがあるのなら、俺のほうから聞いておいてやるぞ」
「いえ……特別、訊きたいことがあるわけじゃないんです。ただ、実際に会って話を聞くことで気づくこともあるんじゃないかと思って」
「確かに俺もおまえなら何か事件について俺たち警察じゃ気づかないところを指摘してくれるんじゃないかと期待して事件に巻き込んだ。だが、残念ながらおまえは警察じゃあない。その辺のところきっちり理解しておいてくれよ」
倉田は念を押した。
その倉田の気持ちを考え、浅川は小さく頷いた。