藤枝美月 2-4
旭ヶ丘の駅を出ると、徳永香織は一度振り返って駅の向こう側に見える台原森林公園を眺めた。
木々がわずかに赤く色づき始めている。
公園は香織にとって何よりの癒しの場所だった。陽を浴びて美しく輝く木々、サラサラと葉が風に揺れる音を聞いているだけで、気持ちがゆったりと落ち着いてくる。
だが、今、夕陽を浴びた公園の姿はどこか物悲しさを感じる。
心のなかに何か捕らえようのない不安が湧きあがっている。
香織は右手で胸のあたりをぎゅっと押さえると、再び公園に背を向けて歩き出した。
駅から家まではほんの10分程度。そのわずかな傾斜の道をゆっくりと歩いていく。
「何、怖がってるのよ」
ふいに声が聞こえた。いつのまにか隣を小さな子供が香織の顔を見上げながら、同じ速度で歩いている。
(何も)
香織は心のなかで答え、ほんの少し足を速める。
「嘘ばっかり」
少女はふふんと鼻で笑った。
(嘘じゃないわ)
「何が怖いのかしら。事件のこと? それともあの先生のこと?」
(先生?)
「あの先生に自分のことをさらけ出すことが怖くなってるんでしょ。あの先生はどんなふうにあなたのことを見てるのかしら?」
交差点の信号が赤に変り、香織は美容室の前で立ち止まる。
(それは……)
「ただの嘘つき? 幻覚ばかりを見るキチガイ? それとも烏やハイエナのように『死』を嗅ぎ取ることの出来る化け物かしら?」
(やめて! あの人はそんな人じゃない)
香織は少女から顔を背けた。
「そうね。あの人はそんなふうにあなたを扱ったりしないかもしれない。でも、あなた自身は自分を誰よりも化け物のような存在だと思っているんでしょ?」
(止めて!)
「怖がってるくせに」
(あなたに何がわかるの)
「わかるわよ。私はあなた。あなたは私なんだから」
少女は下から香織の顔を覗き込みながら言った。
(何が言いたいの?)
「あなたは誰にも理解なんてされないのよ」
その冷たい言葉が心に突き刺さる。
(ほっといて)
目の前の信号が青に変り、香織は思わず走りだした。
本屋の前を通り過ぎ、整形外科の角を曲がり、その細い路地の奥の自宅まで一気に走りぬけた。
(違う……違う……違う)
心のなかで何度も呟く。
(私はそんなこと望んでるわけじゃない)
鍵をさしこみ、家のなかへと駆け込み、そのまま2階の部屋へと階段を駆け上がった。
部屋に飛び込み、ドアを勢いよく閉めるとそのドアに背を預け、目を閉じる。喉がヒリヒリと痛かった。激しく鳴る鼓動の音が大きく聞こえてくる。
だが、次の瞬間――
香織の背筋に冷たいものが走り抜けていった。
その気配にはっとして目を開ける。
(まただ……)
そこはいつもの自分の部屋とはまるで違っていた。
窓はなく、暗くひんやりとした部屋。壁はコンクリートが剥き出しになり、ところどころ罅割れている。裸電球が一つ天井にぶらさがり、部屋をわずかな光で照らされている。
部屋には煤けた感じのベッドが一つ置かれ、そのベッドの上に一人の女性が寝かされている。顔には包帯が巻かれ、身体には薄い水色のシーツが一枚かけられている。ベッド脇に黒いワンピースが落ちている。そして、その脇に大柄な男が立っている。後ろ姿しか見えないため顔はわからないが、汚れた白衣を着て、その女性のことをじっと見下ろしている。その手の中に握られたメスが電球の光を受けて妖しく光っている。
全身に震えが走り、香織は自らの手でぎゅっと身体を抱きしめた。緊張感に息苦しさを感じる。
それがいつものヴィジョンであることは香織にもよくわかっている。それなのにそこに見える光景はまるで目の前に実在しているようにリアルに見える。
男の右手がピクリと動き、そのメスが女性に向けられる。男は左腕を動かし、シーツに隠れた女性の左手を表に出した。
女性は生きているのか死んでいるのかわからないほどに、ピクリとも動こうとしない。
男の右手がゆっくりと動き、メスが女性の指先に向かって動いていく。
(だめ……)
声は言葉にならず、身体が竦む。
「……いやぁ……」
やっと声を絞り出した瞬間、周囲は闇に包まれた。自らの身体が床に落ちるのをうっすらと感じながら、香織は意識を失った。




