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第六話 放課後の作戦会議と、マスターの助言

 「……ねぇ、聞いてる? 紬」

 午後の微睡まどろみを誘う現代文の授業中。隣の席の真波から回ってきたノートの端には、教科書の内容とは無関係なバイクの絵と、「次はいつ行く?」という走り書きがあった。


 紬は小さくため息をつきながらも、ペンを走らせる。

 「バイトが終わった後の夜なら、ガレージにいる」

 ノートを真波に突き返すと、彼女は満足そうに口角を上げた。


 窓の外には、桐生の山々がいつもと変わらず鎮座している。以前の紬なら、ただ「高い山だな」と思うだけだった。けれど今は違う。あの斜面のどこかに、自分とCL50で登っていける道があるはずだ。そう思うだけで、味気なかった授業の時間が、目的地へ向かうための「待ち時間」へと変わっていった。


 放課後、いつものように喫茶店『アンカー』でアルバイトを終えた紬は、カウンターの片付けをしながらマスターに切り出した。

 「あの、マスター。……今度、真波と赤城山の方まで行ってみようと思ってるんです。あの、自販機食堂があるあたりまで」

 

 サイフォンを洗っていたマスターの手が、一瞬止まった。彼は眼鏡を指で押し上げ、紬をじろりと見た。

 「赤城か。……初心者が最初に行くには、悪くない距離だが、甘く見るなよ」


 マスターはカウンターの下から、使い古された地図を取り出して広げた。

 「桐生から大間々(おおまま)を抜けて、三五三号線に入るんだな。あの道は大型トラックも多い。50ccは、奴らからすれば動いていないも同然だ」

 マスターの指が地図上のルートをなぞる。


 「いいか、紬。バイクは自由だが、同時にひどく無防備だ。車という鉄の箱に守られていないことを忘れるな。無理に流れに乗ろうとせず、左端を自分のペースで走れ。……それと、これを持っていけ」

 マスターが差し出したのは、小さなアルミ製の予備燃料ボトルだった。


 「CLのタンクは小さい。ましてや古いキャブ車だ。山道でガス欠になれば、重い鉄屑を押して歩くことになるぞ」

 「……ありがとうございます、マスター」

 無愛想な言葉の裏にある気遣いが、紬の胸を温かくした。

 

 その夜、ガレージに真波がやってきた。彼女のカブは、源さんの手によってリアキャリアが少し大きなものに交換されている。


 「見て紬! おじいちゃんが『これなら荷物がたくさん載る』って貸してくれたの」

 二人は暗いガレージの中で、地図とスマホを交互に見ながら作戦会議を始めた。

 「マスターに言われたよ。大型トラックが怖いって」

 「そうだね……。でも、私たちにはこの子たちがついてる。無理しなきゃ大丈夫だよ」

 真波はそう言って、カブのシートを優しく叩いた。

 

 紬は、ガレージの隅に置いたヘルメットを見つめた。

 一人暮らしの部屋に帰れば、相変わらず静寂が待っている。けれど、明日学校へ行けば真波がいて、放課後にはこのCL50が待っている。

 「何もない」と思っていた生活に、いつの間にかたくさんの「守りたいもの」が増えていた。

 「……ねぇ、真波。土曜、晴れるかな」

 「予報はバッチリ! 桐生最高のツーリング日和になるよ」


 翌朝。学校のチャイムがいつもより遠く聞こえるほど、紬の心はすでに赤城の麓へと飛んでいた。

 二人の「初ツーリング」は、すぐそこまで来ていた。

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